第38話 酔っている場合ではないらしい
「電話だってー」
「お、そりゃどうも。って! ベッドから出ろよ!」
「もう少し、寝かせて〜」
「ふざけんなっ! おい、ゼノ! 子守りをしろ!」
焼肉店があまりに高級で、代表の
代表宅にはワインセラーがあると、作詞作曲担当のセスが言い出しっぺなのだが、普段は無口な彼にしては珍しく、ワインに合うツマミの作り方を教えるからと代表の夫人を口説いて家に上がり込んでいた。
しかし、夫人は男同士の集まりに水を差すような女性ではない。
セスに冷蔵庫の中身は自由に使って良いと言い、5人が客間に寝られるように寝具を整えて自分は早々に寝室にいとましていた。
大酒飲みのアイドル達に秘蔵のワインを飲まれないかと、代表はヒヤヒヤとしながらも思いのほか楽しい時間を過ごし、1番年下のジョンが姿を消したことに気が付いていなかった。
そして、夫人の「キャー!」が、深夜のマンションに響き渡る。
「ジョン。奥様のベッドに潜り込むとは……出禁ですね」
リーダーのゼノが腰に手を当てる。
「だって、いい匂いだったんだも〜ん」
「本当? どれどれ?」
ダンス・ボーカル担当のノエルが髪をかき上げてベッドに入ろうとする。
「ノエル! ダメだよ!」
幼馴染のメインボーカル・テオが立ち塞がるが、酔ったノエルは「テオちゃ〜ん」と、抱きついてそのままベッドに押し倒した。
下敷きになったジョンが、ゲラゲラと笑う。
「お前らー!」
愛する妻を男3人の下から助け出し、代表は青筋をたてた。
申し訳ありませんと、ゼノが頭を下げていると、セスが代表のスマートフォンを指差す。
「メールが届いた。開け」
「人のスマホを勝手に見るなよ! なにが開けだ……」
代表は妻の肩を抱いたままブツブツと文句を言いながら、しかし、素直に指紋認証でスマートフォンを開いた。
その動画を見て、眉がグッと寄る。
「あなた? お仕事なの?」
こんな夜中にと、不安な顔を向ける妻の肩をさすり、ベッドでじゃれ合う3人とスマートフォンが気になる2人を追い出し、妻をベッドに座らせる。
「寝ていたのにすまない。カンボジアからだ」
「カンボジア? トラブルのいる?」
「ああ。また子供の動画だろう」
「そう……でも、なにかトラブルだといけないから、早くチェックしてあげて」
「ああ、そうするよ。あいつら、まだ寝ないようだが……」
「私はかまわないわ。久しぶりなんだから、あの子達と遊んであげて」
仕事にもプライベートにも理解のある妻にキスをする。
「寝てくれ。鍵を掛けて。俺はソファーで寝るから」
「分かったわ。でも、寂しくなったら鍵を開けちゃうかも」
「俺以外は入れるなよ⁈」
「んふふ。心配だったらドアを見張っておいてね」
「はいはい。お姫様をお守りしますよ」
「んふふ」
妻をベッドに横たわらせ、布団を掛け直して頬にキスをする。
「あなた、飲みすぎないでね」
「了解。おやすみ」
目を
送られて来た動画は、やはり、トラブルことミン・ジウが指文字をする映像だった。
前回と同じく画質は粗く、画面が揺れている。
(クソ、前より読みにくいぞ……シ・カ・ク・ハ……四角? 資格……? 視覚……お! 分かったぞ! 刺客だ!)
「バーカ」
例によって音もなくセスが立っていた。
「バカとはなんだ! 今回は読めたぞ!」
「死角だ。狙えない位置を聞いている」
「“死角は” か! なんだよ、もっと分かりやすく聞けばいいと思わないか?」
「バーカ」
「お前! 会社代表に向かって!」
「早く、現場に知らせてやれよ。死角に連れ込まれたら守れないんだろ?」
「そ、そうだな。電話で……」
代表は国際電話で指示を出した。
通話を切ってから、ホッと胸を撫で下ろす。そして、会社を支える作詞作曲の天才・セスを
「お前、どこまで知っている?」
「いや、知らない。あいつが意識を飛ばして来ない限り、あいつの現状は分からない。しかし……」
「しかし?」
「時間が掛かっている」
「そうだな……死角を確認して警戒しなくてはならないほど……同じことを思いついた奴が敵にいたら……?」
「撃たれない場所にクソ女を連れ込んで始末する。そして、その場所を利用して逃走する」
「……狙撃手を増やすか」
代表がカンボジアにいるベビーシッターに電話をするあいだ、セスはジッと考えていた。
(殺すなと言ったということは、それほど恐ろしい目には遭っていない。しかし、いまだ逃走できず、死角を確認しなくてはならないということは……? 同じくらいか、それ以上のスキルを持つ人間が近くにいるのか……)
拉致・監禁されている理由はどうでもいい。
それよりも、なぜ逃走に時間が掛かっているのか。
(時間……時間を掛ける理由は……)
「よし、伝えたぞ。これで死角はなくなった。あとは、あいつが尾行されないように見届ければいいだけだ」
“尾行”
代表のその言葉にセスは息を飲んだ。
「そうか……分かったぞ!」
「なんだよ、急に」
「すでに身元が割れているんだ!」
代表も、すぐその意味を理解した。
「だから、ただ逃げ出すわけにもいかず時間を掛けていると?」
「そうだ。尾行どころか捜索されれば探し出されてしまう。だから、策を練っているんだ」
「それならば……」
代表は声を低くする。
「皆殺しにするしか子供とジョンを守るすべがない」
ベビーシッターから送られて来た最近の画像で、ジョンの隠し子は父親ソックリに育っていた。
見る人が見れば、すぐにジョンと結びつけられてしまう。
隠し子の存在は、格好のゆすりのネタになる。金で解決できなければ、ネットを騒がし、会社はたちまち廃業に追い込まれる。
当然、所属アイドル達も第一線ではいられない。そして、その母親の過去を調べる者が現れたら……。
人の顔から血の気が引く音を、セスは始めて聞いた。
セスは、白い顔でワナワナと体を震わす最高責任者に、平然と言い放つ。
「代表の悪事が露見するな」
「俺の悪事じゃない! ってか、悪事って言うな!」
顔に赤みが戻る。
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