第31話 私は “トラブル”

 

 法的には子供とはいえ、高校生のスレイポウにもその知識はある。


 しかし、男と女が抱き合っていれば、目をらして立ち去るという大人の礼儀は、まだ心得ていない。


 JKは目の前の出来事に真正面から口を開いた。


「うちでエッチなことしてないでよ!」

「いや、スレイポウ。これは……」


 アッシュはボスの娘に見られたと、なんとか取り繕うために立ち上がる。


(ダメ! 危ない!)


 スナイパーの視線は消えていない。伏せた姿勢のままミン・ジウは腕を伸ばしてアッシュの足を引いた。


 アッシュは前に転倒し、その代わりにスレイポウが後ろにのけ反った。


 スレイポウの腕から鮮血が飛ぶ。


「痛ーい! なにこれ⁈」

「スレイポウ!」


 アッシュは頭を下げたまま、スレイポウに駆け寄った。


 ミン・ジウは2人をかばうように、痛む腹を押さえて弾道に立ち塞がる。


「アッシュ、早くリビングに避難して下さい! まだ、狙われています!」


 アッシュは素早くうなずき、痛みで泣き叫ぶスレイポウをかかえてリビングに避難した。


 ミン・ジウは腹を押さえたままガラス窓から外を見る。


 すると、またヘリオグラフがまたたいた。


(もー、早いっちゅーの。普通、英語でしない⁈ 韓国語のモールス信号なんて……ダメだ、早すぎて読めない)


 バカ代表めがと、口の中で悪態をきながら、しばらく窓辺にただずむ。


(やはり、私は撃たれない……)


 背後にアッシュの気配がした。慌てて指文字を作り、照準を合わせたままであろう狙撃手スナイパーに見せた。


 コ・ロ・ス・ナ


 しかし、光の返事が来ない。


(あれ? 分からない? そんなバカな……)


 アッシュはそっとバスルームをのぞき、穴の開いたボスお気に入りの一枚ガラスを横目に、昨夜から繰り返し自問していた言葉を口に出す。


「お前、何者なんだ……」


(これで2度目……女の組織は俺を殺そうとした。しかし、女はそれを阻止している……いったい、なんなんだ⁈)


 ドアに手を掛け、一歩、女に近づく。


 すると、3発目の銃弾がアッシュの耳をかすめた。


 アッシュは咄嗟に首を縮めるがミン・ジウは、その銃弾が飛んで来た方向をキッと見据みすえた。


(微妙な位置に撃って……これじゃあ、私の指示に従う意思があるのか分からないじゃん)


 アッシュを見下ろして少し考える。


(確かめる方法はこれしかないな……)


 ミン・ジウは、首をすくめてしゃがみ込むアッシュの手を取った。


「私が何者か知りたいですか? 私は……」


 そう言ってアッシュを立ち上がらせる。


 そして、アッシュを突き飛ばした。同時に4発目の銃弾が打ち込まれる。


 その位置は明らかに頭部を狙っていた。


 目を見開いたまま尻もちをつくアッシュは、女が何をしたのか理解した。


「お、お前……俺で試したな⁈」

「ええ。どうやら、あなた達を消すことにしたようですね」

「どういうつもりだ!」

「言ったでしょう。私は……」


 腰を曲げてアッシュの耳元に口を寄せる。


「“トラブル” なんですよ」


 アッシュの顔からサーッと血の気が引いた。


 今までも組織間の抗争はあった。下っ端同士がくだらない理由で銃をぶっ放し合い、それを力と金で抑えつけたり、昨夜のような銃撃戦も規模は小さいが経験済みだ。


 しかし、真っ昼間の安全なはずのアジトの中で命の危険を感じたことなどない。


 しかも、女が気づかなければ、自分はとうに死んでいた。


(どうやって、気付いたんだ⁈ なぜ、俺を助けた⁈)


 バタバタと階段を駆け降りる足音がして、リビングに怒号が入り乱れた。


 さすがに4発もの銃声は2階にも届き、金髪の男達とスーツの男達が何事かと駆け付けたのはいいが、リビングには泣きじゃくるスレイポウの姿のみで、その説明は要領を得ていなかった。


 ミン・ジウは、腰が抜けたように座り込むアッシュをまたぎ「スレイポウの手当てをして来ます」と、バスルームを出て行った。


 無駄に立派なソファーで、スレイポウは兄のトーイに傷口を押さえてもらっていた。


 ミン・ジウはトーイを見て、ため息を吐く。


「トーイ。安静にしていなくてはならないと言いましたよね?」

「妹が撃たれたんだぞ! なにがあったんだ⁈」

「……スレイポウ、傷を見せて下さい」


 ボスの息子を横に追いやり、スレイポウの腕を見る。ほんのかすり傷だが、JKは泣き止まなかった。

 

「痛いですよね。銃の傷は火傷を伴うのでナイフで切った時よりも痛みが強いんです。でも、大丈夫ですよ。治ります。跡も残りませんよ」


 笑顔を向けて慰める。


 スレイポウはグスグスと鼻を鳴らして頷いた。


「いい子です。消毒しましょうね」


 救急箱を取りに立ち上がると、アッシュが顔面蒼白のまま、皆の前に現れた。


 ミン・ジウは男達を横目に、すれ違いざまに耳打ちをする。


「窓に近寄らないように」


 アッシュはゾクっと背中に悪寒を走らせ、身動きが取れなくなった。







 韓国で芸能事務所を営む代表は、高級焼肉店で、サッと炙ったシャトーブリアンを口に入れたところだった。


 すーっと溶けて消えていく上質な脂に舌鼓を打ち、ワインを口に含んで鼻にまでその香りを届ける。


「んー……美味い」


 カウンターでワイングラスを回し、1人焼肉を堪能していると、場に合わない酔っ払いの笑い声が耳に届いた。


 代表は目を閉じて、その声を意識の外に出し、次はミスジに手を伸ばす。


 少し肉の表面が汗をかいたくらいで、フランス産のトリュフソルトをひとつまみ乗せる。


 口を開き、至福の瞬間を待つ舌に乗せようとしたその時、極上の肉を持つ箸がクルリと向きを変えた。


「んほほ〜! 美味しい〜!」


 酔っ払いの笑い声の主、ジョンが代表の手をむんずとつかみ、箸の向きを変えて至極の逸品をパクリとくわえて奪っていた。

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