第30話 女を殴る男


 ミン・ジウは、真っ白なタイルが、ただ太陽の光を見せているだけだと気にも留めなかった。


 ニヤけた顔のアッシュはネクタイを緩める。


「泡風呂で抱いてやろうか?」


 その視線の先には、広いスペースの真ん中にドンッと黄金のジェットバスが鎮座していた。


 そこには、これまたキンキラキンの裸の女神像が蛇を体に巻きつけ、なやましいポーズで見下ろしている。


(うわー、下品ー)


 せっかくのバスルームが、成金趣味のオブジェで台無しになっている。


(風俗かっ。引くわー)


 金は掛かっているのかもしれないが、こんな場所でヤリたくなるほど落ちぶれてはいない。


 緩めたネクタイの下に手を入れ、ボタンを外し始めるアッシュに、ミン・ジウは向き直った。


「アッシュ、待って下さい」

「なにを待つ必要がある?」

「えーと、心の準備?」

「後にしろ」

「準備は前にするものでしょう⁈」

「アイドルに会うのに帽子も眼鏡も準備しなかったお前がか?」


 この言葉にミン・ジウは息を飲む。

 

 アッシュは、あの時、お持ち帰りかと報道された相手が、目の前の謎の女だと気付いていた。

(第23話参照)


 ミン・ジウは、なんとか取りつくろうと口をパクパクさせて、言葉を探す。


「あ、あれはー……」

「はん。当たりか」

「!」


 またもやカマを掛けられて、見事にハマってしまった。


 そして、そのすきに腕を引き寄せられる。


「バラされたくなければ大人しくしてろ」


 これがギャングのやり方だったと、少しでも心がなびいた自分に後悔する。


「そうだ、それでいい。トーイの傷が癒えたら、今度はがお前の存在理由になる」


 アッシュは腰を強く押し付け、背中に手を回した。


(愛人にでもするつもり⁈)


 ミン・ジウは、どう逃れようかと身をよじった。


 アッシュはそんな女の髪に手を入れた。にらみ付ける気の強い女の唇を強引に奪う。


 肩を押し返す手首をつかみ、女を壁のタイルに押し付けた。


「いっ!」


 したたかに背中を打ち付け、歪んだ顔をする女の両方の手首を頭の上で押さえ込む。


 そして、再び唇を奪う。


(このやろっ。ちょっとはイイかもって思ったのに! このやり方は許さない!)


 頭を左右に振って鼻息荒く舌を忍ばせて来る男に、ミン・ジウは車の中でしようとした歯を使った攻撃を仕掛ける。


 アッシュの唇をガリっと噛んだ瞬間、バシッと頭に衝撃が走り、頬に激痛を感じたと同時に腹に重い拳を落とされる。


「大人しくしてろと言っただろ」


 男は自分の切れた唇を舐めながら、それでも手首を離さなかった。女の腹に激痛を与えた片方の手で唇の血を拭き取る。


 ミン・ジウは殴られた腹を丸めたいが、両手を壁に押し付けられたままで、それも叶わない。


 そうだ女を殴る男だったと思い出しても後の祭りだった。


 Tシャツをめくり上げられ、サイズの合わないブラジャーは容易に男の手を入れた。


えるなぁ……」


 アッシュのつぶやきに、ミン・ジウは一瞬、意味が分からなかったが、アイドルの顔がプリントされたブラを見ていると気が付き、スレイポウの存在を思い出した。


「ス、スレイポウにバレますよ! 私、声が大きいんです!」


 この場を逃れるためのウソは、あっさりとかわされた。


「ああ、問題ない。この風呂は親父達がそういうコトに使うために防音になっている。女が何人、喘いでも音は漏れない。もちろん叫び声もな」


 手首を掴まれたまま、この下品な装飾はそのためかと脱力する。


「最低ー……」

「ああ、最低だ。お前も最低にしてやる。それに、声の大きい女は嫌いじゃない」


 アッシュは、殴られて赤く色づく頬を撫でた。そして、腹も。


 その妙に優しい手つきに、どちらがアッシュの本性なのか分からなくなるが、その程度でほだされる女ではない。


 毅然きぜんと言い返す。


「やめて下さい」

「無理だ。抵抗するな、お前も楽しめ」


 男は、女の短パンの中に手を突っ込んだ。ゆるゆるのゴムはいとも簡単に侵入を許す。


(クソっ)


 男の姿勢が低くなったところで、ミン・ジウは膝を蹴り上げた。


 が、アッシュは想定内だと、その膝を手掌で受け止める。


「いい蹴りだ。しかし、もう少し大人しくできないか? 女を殴る趣味はないのだが」


 そう言って、再び、腹を殴り付ける。


 ミン・ジウの腰は曲がり、真っ白なタイルに倒れ込んだ。


 胃液が上がる苦痛に顔を歪め、腹を抱えて男を見上げる。


(なにが殴る趣味はないだ! 何回目だっ!)


 声にならない叫びをにらみで聞かせるが、男は、その顔を見てせせら笑う。


「へー。まだ、そんな顔ができるのか。本当、面白い女だな」


 舌舐めずりをする男を見上げるミン・ジウに、太陽の光はチラチラと瞬いてみせる。


 すると、その反射光に規則性があると気が付いた。


 フ・セ・ロ


(伏せろ⁈ 伏せてるし……って違う! 射撃命令!)


 アッシュに伝えるよりも早く体が動いた。


 むんずとアッシュを引き倒し、胸に抱える。


「なんだ、ヤリたいんじゃないか」

「違うわい!」


 次の瞬間、ビシッとガラスにヒビが入り、何かが空気を切り裂いて壁のタイルに穴を開けた。


「な! 銃撃か⁈」

「そのようですね」

「そのようって、お前……」

「頭を上げないで下さい」


(思いっきりアッシュの頭部を狙った……威嚇は終わりか……)


 その時、この状況よりもさらに最悪なことが起こった。


 よりによってスレイポウがバスルームをのぞいたのだ。


「ねえ、なにやって……なにやってんの⁈」


 JKは抱き合う2人に目を見開く。

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