第28話 アイス食べたい


 ここからそう遠くない診療所の医師が、救急病院の前に放置され、死亡したとの情報だった。


 それと女の失踪と、何の関係があるのかと仲間は眉をひそめる。


 しかし、地元ギャング “クロサー” の縄張り内にある診療所だと情報屋は付け加えた。


 ベビーシッターはすぐに、車をその診療所に向かわせる。


 診療所に到着した時、ベビーシッターは舌打ちをして車を停めさせずに診療所をやり過ごした。


 理由を理解した仲間が、首を傾げる仲間に説明をする。


「今、入って行った2人組。あれは刑事だ」


 医師の死が不審死と届けられたのだろう。警察が動き出したからには、診療所内を捜索することはできなくなった。


 仲間の一人に、刑事にさとられないようにと注意を与えて診療所を見張らせ、自分は医師が死亡した病院に向かう。


 女の方が警戒心を抱かせにくいからと、ベビーシッター自ら院内に入り、それとなく洗濯室に忍び込む。


 事務員のユニホームを盗み取り、羽織りながら足早に受付に入り込んだ。


 1台くらいはログインしたままのパソコンがあるだろうと踏んだが、案の定、非常勤医師の名称で立ち上がったままになっている1台を見つけた。


 今朝、搬送されて死亡した医師の記録を探す。


 医師の死因が分かったところで母親の居場所が分かるとは思えないが、母親を“ケガ人を連れた看護師”と考えると、クロサーの縄張り内の診療所と医師の死は関係がありそうだという勘は、あながち外れていないかもしれない。


 ベビーシッターはパソコンを操作し続けた。


 すると、医師のカルテはすぐに見つかった。


 薬物中毒で何度か搬送された記録がある。今回は病院の外で意識不明の状態で発見され、その後、急性心不全で死亡となっていた。


(ん……これはー……)


 気になる記述に目が行く。


 左腕に注射痕があり、輸液ゆえきをされた形跡があると書かれている。


 これは母親の仕業しわざだとピンときた。

 

 ベビーシッターは、適当な患者のカルテを開き、最後に閲覧したのが医師のカルテではないと偽装をしてから病院を離れた。


 医師を頼って診療所に行ったのはいいが、薬物中毒で死にかけの医師を発見してしまった。そこで治療を施したが、これ以上は無理だと判断して救急病院の前に放置したのだと結論づけた。


 しかし、意識のない人間を女1人では運べないのではとベビーシッターは考える。


(クロサーの連中が母親に従った? まさかね……)


 診療所でボスの息子とNo.2の治療を終わらせていれば、すでに解放されているかもしれない。しかし、自宅を見張らせている仲間から母親が帰宅したとの連絡はない。


 人たらしの代表になつかない女。


 代表が直接仕込んだスキルを持つ母親は、ギャングを手中しゅちゅうに収めたのかもしれない。しかし、それでは、なぜ子供の元に帰らない?


 何か理由があるはずだが考えても分からない。


 ベビーシッターは、クロサーのアジトを突きとめるように指示を出した仲間の報告を待つ。






「いだぁー!」


 リックは叫び声を上げた。


 ミン・ジウが無造作に消毒薬を振りかけたからなのだが、トーイの傷よりも明らかに軽症なのに弱虫だなぁと、仲間から失笑をかう。


 トーイは痛む傷を押さえて笑いをこらえながら、謎の女が、なぜ、そんなに不機嫌なのか問いただした。


 ミン・ジウは、キッとボスの息子に鋭い眼光を向ける。そして、口を尖らせてつぶやいた。


「アイス……買い直してこれば良かった」


 これには、こらえていたトーイも吹き出してしまう。


「あんた! 溶けたアイスの腹いせにリックをいじめているのか⁈」

「だって……アイス……」


 自分が持っていたアイスは袋ごと店の駐車場に置き忘れ、リックが後部座席に置いたアイスは倒れてドロドロに流れ出てしまっていた。


「厳選して選んだのに……」


 クソーと、思わず傷口をぬぐうガーゼに力が入る。


 リックはまた悲鳴を上げた。


「イテーッてば! あんたこそ、そんなに大事なアイスを弾よけにしてたじゃねーかよ!」


 アイスでライフルの弾丸をどうけようとしたのかと、金髪男達から笑いが巻き起こる。


「アイスをこうやって持ち上げて頭を隠してよ。情けない姿だったぜー?」


 情けないのはあんただっつーの! と、ミン・ジウは鼻の穴を広げる。


 一般市民なのでギャングの男を怒らすことは言わないようにするが、それでも顔に出てしまう。


(あんただって、あんなに太陽光をチラつかせていたライフルに気付かずにいたくせに……ん? 太陽光……の反射……?)


 サイドミラーが撃たれた後、反射光が見えた。


 あの距離からリックを殺さないように撃てる腕前のスナイパーが、敵に反射光が届いていると気付かないだろうか?


(相手に自分の居場所を知らせることになる。そんな、素人のように……)


 ミン・ジウはまたたく光を思い出していた。


(あれはー……まさか……)


 一見すると不規則に見える光を、もう一度、頭の中で再現してみる。


(ん、違うな……確か……)


 短く途切れる時と、少し長く感じる時があった。


(これはー……)


 パターンを読み取ろうとしていると、大きな笑い声で思考が遮断された。


「私、アイスクリームに隠れていたの〜。キャー、怖い〜。アイスちゃん、助けて〜」


 リックの悪ふざけに金髪男達が大笑いし、ミン・ジウが傷口にプラホック(魚の塩漬けペースト)を塗ってやろうと本気で決心した時、アッシュが顔を出した。


「−79℃のドライアイスなら、充分、弾道をズラせる。頭と心臓を守りながらリックに駆け寄ったんだ」


 さすが、アッシュ。分かってる〜と、笑顔を向ける暇もなく「話がある」と、低い声で言われた。


(ああ、嫌な予感しかしない……)


 ミン・ジウは、重い腰をゆっくりと上げる。


 なぜ銃撃を受けたのか議論すらしないトーイ派の金髪男達の視線を浴びながら、ミン・ジウはサイズの合わないブラジャーの位置をむんずと直した。










【あとがき】

 プラホックとは魚の塩漬けをペースト状にしたもので、カンボジア料理には欠かせない調味料です。お試しあれ〜。


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