第23話 逃げます


 それは、ミン・ジウがメンバー達の写真集の作成を手伝っていた当時の記事だった。


 歌謡祭のあと、バイクで帰れなくなった自分をメンバー達の移動車で連れ帰ってもらった時に撮られたものだ。


 顔は隠しているが、姿形はミン・ジウそのものだった。


(出産太りをしておくべきだったー……)


 今さらな後悔をしていると、スレイポウはファン達の投稿サイトを開いた。


「見て。週刊誌はメンバー全員って書いてるけど、私達の目は誤魔化せないのよねー。ほら! 気付いた? もう一度見せるわね。ほら、テオがこの女を車に乗せているのよ!」


 当時、テレビ局を何重にも取り囲んでいたファン達の動画には、確かにテオが女の腕を引き、さらに背中を押して車に押し込んでいた。


(そうか、私を放り込んだのはテオだったのか)


 まぶしいフラッシュに囲まれて動きが止まり、誰かに押された気はしていた。


 あの頃はテオが必死に守ろうとしてくれていたなぁなどと、胸を熱くしながらスレイポウの熱弁を聞き流す。


 すると、あることに気が付いた。


(あれ……この眼鏡と帽子、返した記憶がない)


 顔を隠す為に貸してくれたノエルの眼鏡とテオの帽子を紛失したことに、カンボジアのギャングのアジトで思い出すとは、我ながらなんとも呆れてしまう。


 返せと催促さいそくしない2人の心の広さに、アッシュには悟られないように気持ちの中で手を合わせた。


「……で、こっちがユミちゃんで、この生意気そうなのがソヨンっていうの」


 聞き流していたスレイポウの口から馴染みの名前が飛び出したので、えっ! と、顔をあげる。


「なによ」

「い、いえ、ファンの方はメイクさんの名前も知っているのですね」

「当たり前よー。女のスタッフはすべてチェックしてるから」

「チェック?」

「そうよ。少しでもびていたりメンバー好みの髪型や服装に変わっていたら、すぐに吊るし首よ!」


 古い表現を使うJKだと苦笑いで応える。


(知らないところでユミちゃんやソヨン達は苦労していたのだな……本当、頭が下がるよ)


「特に、このソヨンていう女! ユミちゃんの後釜あとがまに収まってから、ずっとメンバー達のそばにいるのよ! そして、また! ほら、ここ読んで。ニューヨーク公演の時に、このアバズレが韓国に帰ったのよ。そしたら、ほら! テオが会いたいって皆んなの前で泣いちゃったのよー!」


 ソヨンの人柄は良く知っている。決してアバズレではないと弁護してあげたいが、グッと、ググッと飲み込んだ。


 それに、テオの失態はノエル達の捨て身の作戦でカバーできていたはずだった。


 中途半端な知識をさらすJKにいきどおる。


「へー……そうなんですねー……」


 ただでさえ苦手な愛想笑いをしようにも、いきどおりで顔の筋肉が頬を上げるのを拒否した。


 やっとミュージックビデオの鑑賞が始まり、スレイポウの熱弁に合わせて、いちいち停止される画面に辛抱強く耐えていると、同じく熱弁を聞き流していたアッシュがスマートフォンを取り出して何やら検索を始めた。


 時々、ミン・ジウとスマートフォンの画面を見比べている。


 背中だけでなく、全身にかつてないほどの汗が流れ出す。


(これは、本格的にマズい……逃げなくては)


「ト、トーイの様子を見て来ます」


 そう言って立ち上がるミン・ジウに、スレイポウは「あんなヤツ、丈夫なだけが取り柄なんだから放っておけばいいのよ」と、悪態をく。


 そういうわけにはいかないと、早々にアッシュから離れ、部屋を出た。


 部屋のドアが閉まる直前、目尻に不穏な光景がチラリと映る。


 アッシュがボスの娘にスマートフォンの画面を見せ、閉まるドアを指差していた。







 トーイは大人しくベッドに横になっていた。


 周りの仲間達が盛り上がるゲームをテレビ画面で見ながら一緒に笑っている。


 ここがギャングのアジトだと知らなければ、まるで友達の家に集まった部活の仲間達だ。


 ミン・ジウはアッシュがなにかしらの行動を起こす前に、そして、親父達が帰ってくる前に、この家を離れたかった。


 トーイに、それらを悟られる前にベッドの脇に膝を付く。


「トーイ、あなたの傷はもう大丈夫です。私は家に帰りたい。解放してくれませんか?」

「あ、ああ。そうだよな」


 パァッと笑顔が弾けそうになる。


 しかし、当然のことだと平静を装う。次の瞬間、ミン・ジウは坊っちゃんの言葉に殺意を覚えた。


「アッシュに聞いてみないと」


(なにおー! ボスになろうとする男がライバルにおうかがいを立てるだとー! そんなことだから妹に軽く見られてんだぁー! 今、ここでボスとして命令すれば見直してやってもいいぞー!)


 金魚のように口をパクパクとさせる。させすぎて過呼吸になりそうだった。


 ミン・ジウは鼻から息を吐き出した。


(落ち着けー、私ー。他の方法を考えるんだー。正体がバレる前にー。ここから出る方法ー。えー……)


「アイスを買って来てあげましょうか?」


 口に出してから、なんて幼稚な口実だと赤面する。


 こんな格好で外を歩けば人目を引き、しかも、警察に保護を求められる立場ではない。身元引き受け人の韓国にいる代表に連絡をされたら、すぐにでも息子共々、強制帰国させられる。


 そして、引き離され、幼い息子は練習生という身分に落とされ、代表に献上されるその日まで、辛い芸事げいごとに明け暮れる毎日を強制させられるのだ。


 息子の父親譲りの美貌を持ってすれば金儲けの代表亡者を満足させられるであろうが、息子がその人生を望まない可能性もある。


 そうなれば偶像アイドルとしての人生は地獄に変わる。


 奴隷のように働かせられ涙する息子と、高笑いの代表の憎たらしい顔が脳裏に浮かぶ。


 ああ〜と、心の中で頭を抱えつつ、表情はそのままに考える。


(あのベビーシッターは代表に通じている……ということは、私が帰宅しなかったと、すでに把握されていると見て間違いない。友人の名前は伝えてあるし、昨夜の銃撃戦は報道されているだろう。すぐに、銃撃戦と私の失踪を結びつけるはずだ。と、すれば、代表ならどうする? まずは遺体安置所をまわり、私の生存の可能性を調べるか。そして……聞き込み。あの状況下で私を覚えている人物などいるか? あ、いるわ。相手のギャング達。……まずい。代表仕込みの腕前を披露しまくってしまった。いや、あの状況では……ああ〜、どつかれる〜、いやだ〜)


「どうした? あ、この辺の土地勘がないのか。誰か一緒にアイスを買って来てくれ」


 赤くなったり青くなったりと忙しく顔色を変えるミン・ジウに、そんなにアイスが食べたいのかとトーイは気を利かせて言う。


「いえ! 1人で行けます! 速やかに買って来ます!」


 思わず声が裏返る。


「車を出してやる」


 背後から、今1番聞きたくない人物の声がした。


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