第24話 逃しません


 振り向かなくても誰かは分かる。


 トーイが笑顔で、ミン・ジウの背後の人物を見た。


「アッシュ、ありがとう。皆んなの分も頼むよ」

「ああ、もちろんだ」


 ミン・ジウはアッシュに背を向けたまま、愛想笑いを装うこともできない。


 代表とギャングのNo.2。どちらにとらわれているのがマシだろうか。


 数秒、考えた結果、組織としてのギャングは怖いが、単体では堅気かたぎのはずの芸能事務所の代表の方が何倍も恐ろしく感じる。


 このまま、ここで謎の女として生きていこうかなぁなどと人生を諦めていると、アッシュはトーイの部下の1人を誘った。


「リック、お前も手伝ってくれ」


 トーイの仲間の中で1番年齢の高そうな金髪男に声を掛ける。


 リックと呼ばれた男は、あきらかに驚いた様子で「ああ」と、曖昧に返事をした。


 その様子に、ミン・ジウはこぶしを握る。


 自分は何かヘマをしたに違いない。そうでなければファミリーの実権を握る男がボスの息子の為とはいえ、パシリをするはずがない。


 そして、なぜ、金髪男を誘ったのか。


 リックはあきらかに動揺していた。普段、アッシュに話し掛けられることなど、ないということだろう。


(私を連れ出して何をするつもりだ……? 逃走防止の為ならアッシュ1人で良いはず。トーイ派を連れて行く意味は? 分からん……)


 すでに、この男には全てを見抜かれているのかもと思うと、笑顔を取り繕う気にもなれない。


 ギャングとアイスを買いに行く。


 このあまりにシュールな状況を楽しめるほど自分は壊れていないと思っていたが、じわじわと笑いが込み上げて来た。


「では、3人で仲良く買い物に行きましょうか」


 ミン・ジウはパンッと手を叩く。


 アッシュはフッと鼻で笑い、あたかも女王陛下を前にしたようにうやうやしく頭を下げてドアを押さえた。


 ミン・ジウは姿勢を正し、ほんの少し会釈を返して先にドアを通る。


 続こうとするリックを押し退け、アッシュは謎の女、ミン・ジウに続いた。


「おい、ガレージはこっちだ」


 真っ直ぐ玄関に進むミン・ジウをアッシュは呼び止める。


 姿勢正しくきびすを返してアッシュに続き、ガレージに入った。


「リック、運転しろ」


 アッシュは壁にかかる車のキーを取り、金髪男に投げて渡した。


「お前はリックの車に乗れ」


 そう言って、自分はグレーの高級車に1人で乗り込む。そして、エンジンの重低音を響かせた。

  

 リックの助手席に鎮座したミン・ジウは、ますます意味が分からなくなる。


(自分を見張る為なら同車した方が確実なはず……なぜ、2台に乗り分ける必要が?)


 その時、アッシュが前にかがみになり、ダッシュボードから銃を取り出すのが視界に入った。


 それを上質なスーツの内側のショルダーホルスターに差し込んでいる。


 なるほど亜熱帯の蒸し暑いカンボジアで上着を脱がないのはそういう理由かと、いらぬ納得をして、さらにわけが分からなくなる。


 昨夜、命を狙われたばかりだ。銃を携帯したくなる気持ちは分かる。では、なぜアイスを買いにアジトを出る?


 分からないを繰り返していても仕方がないのだが、事の成り行きによっては息子と息子の父親の命に関わる。


 これ以上、ヘマをしないように気を付けなくては。そう腹をくくり、助手席に深く座った。


 アッシュは先に行けと合図を出した。


 リックはそれに従い、サイドブレーキを降ろす。


 ガレージの自動扉が開き、ミン・ジウを乗せたリックの車が前進した時、アッシュ派の1人が建物から出て来た。


 アッシュは車に駆け寄ろうとする部下を、待っていろと言わんばかりに手で制止した。


 それを、ミラー越しに見たミン・ジウはアッシュが自分の部下には何も伝えずに出たと悟った。そして、自分の部下ではなく、トーイ派の部下を誘ったことに、やはり意味があると確信した。


 この先にはアイスではなく、危険が待っている。


 何も分からない状況でそれだけは分かってしまう自分の鼻の良さを苦々しく思いながら、ミン・ジウはギラギラとした太陽に目をつぶる。







 体を揺さぶられて目が覚めた。リックが店に着いたと半笑いで知らせる。


「あんた、ぐっすりだったぞ。よく寝てたから俺とアッシュで買いに行こうかと思ったけどよ。アッシュが、あんたと店に入れとさ」


 ミン・ジウは寝不足の首を回して車の外を見回した。


 そこは小さなアイスクリーム専門店の駐車場だった。


 後ろを走っていたはずのアッシュは、駐車場に入らず、道の反対側で車内からこちらを見ていた。


(自分は安全な場所にいるってわけね。最低ー)


 ミン・ジウは車から降り、バンっとドアを閉める。


 腰に手を当てて腹が立つほど青い空を見上げる。そして、リックと連れ立って店内に入った。


 それを見ていたアッシュは思わず笑みをこぼす。


 射撃の腕も度胸もハンパない、アイドルのTシャツを着た、みっともない服装の女がアイスを買いに行くと言い出した時、仲間との接触を図るかと思った。


 しかし、自分が付いて行くと言うと、1人で買いに行くと言い張った。


 訓練された人間ならば、そんなことを言えば疑われるのは承知で、かけたカマにあっさりとハマったり、車で眠りこけるなどの、どこか素人臭い理由は本当に素人だからかと首を傾げざる得ない。


 事実、アイスクリーム店に入る時に、辺りをうかがうそぶりすら見せなかった。


(韓国人。年齢は30そこそこ。なかなかの美人。両足に手術痕。“ソヨン” をメイクスタッフと知っていたところを見ると、スレイポウお気に入りのアイドルと何かしらの関係がある。バイク乗り。銃の腕前は一流。元・SPで今は警備担当といったところか? さて、姿を現すか……?)


 アッシュは、謎の女が仲間と接触する可能性は消えたとしても素性を明かせられないのは単独ではないからだと考えた。


 女の仲間が自分達を急襲するか、もしくは、女を抹殺に現れるかのどちらかの可能性はあると踏んでいた。


 決して何者かを悟られないようにする女が、自分達と関わったのは偶然だとは思えない。しかし、それならば違う誰かを装って潜入して来なければ辻褄つじつまが合わない。


(女があの場所に居合わせたのは偶然。俺と逃げることになったのも偶然。しかし、どこかの組織に所属しているのは事実。一晩たち、仲間が女を探し始めているはずだ。女の組織は俺達の敵か味方か……)


 アッシュはミン・ジウを泳がせて、それを探ろうとしていた。


 敵だとしても味方だとしても、謎の組織がどこまで自分達に近づいているのか確かめたかった。


 だから、自分の部下を連れて来なかった。


 ここは住宅兼店舗の3階建ての建物が密集している。もし、自分が女の組織の人間ならば、背の高い建物のないこの場所では、ライフルで射撃するよりも、車で乗りつけて銃を乱射させるだろう。


 すなわち、リックはおとり


 女の味方が現れれば、まずはリックが標的に。そして、女が何かをしゃべったかもと消しにかかれば、女が死ぬか、もしくは、女をこちらの味方にできるだろう。


(俺は状況を見て、情報収集に努めればいい)


 アッシュは防弾仕様の窓が閉まっているのを確認してシートに深く座り、エンジンをかけたまま、アイスクリーム店を見張り続けた。


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