第13話 コカインと引き換えに


「お前ら……」


 アッシュは立ちつくす。


 坊っちゃん派の金髪の男達はそれに気付き、アッシュがヤブ医者の治療を優先する命令を出したと勘違いをした。


「アッシュ! トーイが先だろう!」


 言われてアッシュは我にかえる。


「あ、当たり前だ。おい、次は坊っちゃんの治療に取り掛かれ」

「分かっています」


 ミン・ジウは使用期限の切れていない抗生物質を探し出していた。


 トーイの体重を目視で計算して、適切な量の投与を始める。


 脇腹の被弾した傷を露出させ、メスや持針じしん縫合糸ほうごうしを用意する。


 手早く滅菌手袋を着けながら、金髪男達にトーイの手足を押さえているように言った。


「何をする気だ?」

「焼けた肉を取り除きます」

「肉⁈」


 問答無用と、トーイの口にタオルをねじ込んで、消毒液をドボドボと傷に振りかけた。


 高熱で朦朧もうろうとしていたトーイは、叫び声を上げ、激痛に体をのぞけ反らして抵抗する。


「しっかりと押さえていて下さい」


 ミン・ジウに言われ、男達は力を入れる。


 鑷子せっしで、焼けて黒くなった皮膚と皮下組織をつまみ上げ、メスで切り取って行く。


 正常な組織を傷付けてはならない。


 慎重に、しかし的確に動くメスさばきに舌を巻くだけの知識のある者はここにはいないが、それでも、なめらかに動く手に皆が目を離せなくなっていた。


 額の汗を拭いてくれる仲間もおらず、たった1人で、片手で皮膚をつまみ上げ、片手で縫合を終わらせた。


 不要な組織を切り取った分、傷は深くなったが、皮膚を縫い合わせたので見た目は小さくなる。


 生々しい傷が綺麗に縫合され、素人達はそれだけで安心したと息を吐いた。


 ガーゼを押し当て、足を押さえる男に圧迫しておくように指示を出す。


「ここを少しの間、強く押さえていて下さい。薬が効いて来れば、すぐに良くなりますよ」


 微笑む女に金髪の男達の緊張が解ける。


 汚れた手袋を脱ぎ捨て、ヤブ医者のかたわらに移動した。


 脱水が改善された顔色は、少し人らしくなっていたが、意識が戻るところまでには程遠い。


(カロリーをらせたいな……ブドウ糖が確かあった)


 コカインは空腹を感じなくなる副作用がある。単に摂食障害を引き起こしているのだがダイエットになると安易に使いたがる若者が後をたたない。


 この医師の肋骨を見れば、何日も食事をっていないのは見て取れた。


 アミノ酸やビタミンが入った点滴を探すが、そんな気の利いた薬品は揃えられていなかった。


 仕方がないので高濃度のブドウ糖をゆっくりと滴下させる。


 指示通りに医師の顎を上げさせていた男をねぎらい、休んでいて良いと微笑むと、男はホッとした様子で手を離した。


 血圧を確認してから、再びトーイの元に行く。


 トーイの傷を押さえる金髪男と交代して止血が上手くできているか見る。しかし、頭は意識の戻らない医師を考えていた。


 コカインの血中濃度が下がれば禁断症状に襲われるだろう。その時、心臓がもつかが生死を分ける。


 副作用の少ない医療用のコカインで、これだけ重篤な状態になったという事は、かなりの常用者で、しかも高齢だ。


(なんとしてでも専門医にせなければ)


 No.2 のアッシュを説得しなければ、意識を取り戻しても、床に散らばるコカインを一包でも服用すれば今度こそ即死する。


(床に散らばるコカイン……そうだ……)


 ミン・ジウは比較的若い金髪の男達に、アッシュに知られないようにそっとコカインを拾い集めてと頼む。


「なぜだ?」

「これだけのコカインはそう簡単には手に入りません。コカインと引き換えにヤブ医者を病院に運べとアッシュと交渉します」

「はあ⁈ 俺達には関係のないことだろう。それよりトーイを病院に……」

「アッシュはトーイを病院に連れて行く気はありません」

「なに⁈ 」


 本当はミン・ジウも、銃で撃たれた傷を持つトーイを病院に運ぶ事は、通報の危険があると理解していた。


 だからアッシュの言う通り、ここで手術まがいのことまで行ったのだが、組織のためだからとアッシュの苦渋の決断を知らないトーイ派の男達は、先程のヤブ医者の治療を優先させたのはアッシュの命令だと誤解したままだったので、ミン・ジウの言葉をあっさりと信じた。


「よく聞いて下さい。私はトーイを治療したい。しかし、死にかけた老人と2人の治療は難しいのです。コカインを渡す代わりに老人を病院に運ばせる。全部、渡す必要はありません。一部はあなた達のモノにしてしまえばいい」


 金髪の男達はうなずいて、そっと診療所に隠されたコカインを集め始める。


 ある者はヤブ医者が倒れている院長室にさりげなく入り、アッシュ派のスーツの男達の目をかいくぐって、床のコカインの袋を拾ってはポケットに隠した。


 ミン・ジウはアッシュの目の前で堂々と袋を拾う。


 そして、見せつけるように袋を破き、白い粉を床にばら撒いた。


「お前、何やってんだ!」


 その価値を知るアッシュは慌てて袋を奪い取る。


「この医師は目覚めたら、また、これを摂取してしまう。それを防いでいます」

「バカかっ! 末端価格でいくらすると思ってんだ!」

「そんなに高価なのですか?」

「医療用なんて処方箋がなければ手に入らないレア物なんだぞ!」

「そのレア物を、たくさん持っていると言ったら、どうしますか?」

「な、なに?」

「私の願いを聞いてくれますか?」


 昨夜、出会ったばかりの謎の女を見る。


 銃の脅しも効かず、殴られて微笑みを浮かべる女。


 そして、今は高価なコカインと引き換えに願いを叶えろと言う。


「……言ってみろ」


 そう言うのが精一杯だった。


「この医師を病院に運んで下さい。適切な治療を受けさせたい」

「それだけか⁈ 」

「はい」


 スーツの男の1人が失笑した。


「そんな事、当たり前だろ。なあ、アッシュ、ヤブ医者を病院に連れて行くだろ?」

「はあ? 元々、死に損ないだぜ? ここまでしてやったんだ。充分だろ」


 もう1人のスーツの男から反対の意見が出る。


(ふーん。アッシュ派の男達は一枚岩ではないのか……さて、アッシュはどうする?)


 ミン・ジウはNo.2 を見据みすえた。

 



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