第5話 弾切れ


 流れ弾に当たった不幸な被害者かと思ったがスーツの男が叫び声を上げた。


「ボス!」


 その言葉ですべてを察した。


(なるほど。こんな裏通りに不似合いな高級車だと思ったけど、ギャングかなにかのボスと坊っちゃんでしたか。……面倒だな)


 運転席には同じく口から血を流して、頭が半分吹き飛んだ男が死んでいた。


 その手に車のキーを握りしめている。


 ミン・ジウはその冷たい手からキーを奪い取り、エンジンを掛けてみる。すると、車は低い唸り声を上げた。


(よし、逃げよう)


 友人の元に早く戻らなくては。


 頭を低くしたまま助手席に身を乗せると足元で銃声がする。とっさに足を上げて丸くなるが、これでは運転どころではない。


(近づいて来た。当たり前か)


 さて、どうしたものかと、考える。


 スーツの男は坊っちゃんをかばいながら同じ事を考えているようだった。


「敵が近づいている。彼を乗せるので手伝って下さい」


 ミン・ジウは、丁寧に言われてもーと、思ったことを顔に出す。


「私の敵ではありません」

「な! 1人で逃げる気か!」


 なんで私が味方みたいな展開になっているの?と、首を傾げて見せると、スーツの男は信じられないと目を見開いた。


「この状況でケガ人を見捨てる気か⁈ 」

「ギャングの抗争なんて自業自得ですよ」


 ミン・ジウは冷たい目を向ける。


(なんだこの女……)


 スーツの男は改めてミン・ジウをまじまじと見た。


(弾が2発残っていると知っていた。この女が車のかげから男を撃ったのか……しかし、この距離で可能か? なぜ、冷静でいられる? いったい何者なんだ)


 この状況でキャーキャーと悲鳴をあげて騒がない女。


 一筋縄ではいかない女だということは理解した。しかし、自分も被弾している今、正体不明の女でも手を借りなければ助かる道はない。


 頭が吹き飛んだ運転手の死体を向こう側に落とそうと苦戦する女に、低く脅すように声をかける。


「後ろの遺体はどうする」


 ミン・ジウは答えない。体を伏せたまま腕を伸ばして力を込め、運転手を向こう側に転がり落とすことに成功した。その間も銃声は鳴り止まず、急いでドアを閉める。


「おい、ここから逃げられても穴だらけの車はすぐに警察に止められるぞ。ボスの遺体を乗せていれば仲間だと思われる」


 ミン・ジウは振り向いてスーツの男を見た。スーツの男はここぞと続ける。


「死体を乗せているんだ。仲間ではないと否定しても敵対するギャングだと思われるだけだ。もし警察の手を逃れられてもお尋ね者になるぞ」


 確かに、ここに死体と今すぐにでも死体になるであろう2人を捨てて行っても、車内には自分の指紋がべったりと付いている。


 クソったれと、目を細めるとスーツの男は頬をあげて笑い出した。


「ハッ! 選択肢は1つだ。ボスの遺体と俺達で移動する。廃病院に辿り着けば車を隠せる。彼の止血をしてくれれば仲間に連絡を取り、お前の痕跡はすべて消す。どうだ」


 大きなため息をくと、ふと、銃声が止んでいると気が付いた。


 突如、返事を待つスーツの男の背後に、銃を持った大男が現れる。大口径の銃を向け、口角を上げて黄色い歯をむき出し、下品な笑みを浮かべて見せた。


No.2 ナンバーツー、覚悟しな」


 後頭部に銃口を押し当てられ、スーツの男の笑顔は張り付いて顔から血の気が引いた。


(坊っちゃん、すみません……)


 No.2と呼ばれたスーツの男は奥歯を噛み、観念して目を閉じる。


「あー、もう面倒臭い」


 その女の声に目を開けたのと同時に、男はこめかみに衝撃と熱風を感じた。


 後ろの男の気配が消えた代わりに、うめき声が地面から聞こえる。


 ミン・ジウが助手席から身を乗り出して、坊っちゃんの腹の上に置かれていた拳銃で大男を撃ち抜いていた。


「その銃を拾って下さい」


 スーツの男にそう言いながら、腕を撃ち抜かれて転がり回る下品な男に「ここを押さえて出血を最小限にして下さい。そうすれば死にはしません。分かりましたか?」と、弾で穴の開いた腕を本人に押さえさせる。


 大男は自分を撃った女を怯えた目で見上げつつ、それでも素直に従った。


 ミン・ジウにとって敵ではない敵は、ったか確認しに行った味方が倒れたのを見て再び撃ち始めるが、味方が射程内で生きているので、遠慮がちな射撃になっていた。


「逃げるなら今ですよ」


 ミン・ジウの言葉にスーツの男は我にかえる。


 坊っちゃんの脇を抱え上げ、ミン・ジウが足を持ち上げてなんとか後部座席に押し込むと、スーツの男はボスの死体に体をひそめた。


 運転席に乗り込みながら、今度はミン・ジウがハッと、笑う。


「遺体って言ってたクセに」

「使えるものはなんでも盾にするさ」


 スーツの男は死んだボスに言い訳をする。


「それよりも早く出してくれ。エンジンに穴が開く」


 はいはいと、運転席のミン・ジウはサイドブレーキを下ろした。


 体を伏せたままアクセルを踏む。


 すると、目の前に敵が現れた。銃を車内に向けている。


 ミン・ジウにとっては敵ではないが、大男を撃った時点で立派な標的になっていた。


 右手でハンドルを切りながら左手で敵の肩を撃ち抜く。


 ろくに狙いもしないで動く車から当てたすご技に、スーツの男はピュ〜と、場に合わない口笛を吹いた。


 ミン・ジウはほんの少し口角を上げる。


「弾切れです。後ろから援護して下さい」




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