第3話 流れ弾


 クラブに到着する前から、ほろ酔いの観光客や興奮しながらオープニングセレモニーを中継する報道陣の熱気を感じる。


 店の前にはレッドカーペットが敷かれ、派手に着飾った人々を写真に収めんとする報道陣と、客を早く店内に入れてしまいたい黒服の男達との攻防戦が繰り広げられていた。


「あのセレブ見た⁈ テレビで見た事あるよね⁈」


 友人は跳ねながら興奮して言うが、普段テレビを見ないミン・ジウには誰だか分からない。


「あー! あの人、モデルの……名前が出て来ないわ。あ! は知ってる! えーと、なんて名前だったっけ? あ、あれ! 見たことある!」


 失礼な興奮の仕方をする友人に呆れつつ辺りを見回すと、入り口の一箇所で、抽選に当たった一般客の招待状を確認している黒服がいた。


 ミン・ジウは友人のそでを引く。


「あそこに並べば良いのでは?」

「あ、本当だ! ジウ、急いで!」


 まぶしいフラッシュを浴びながら、当選した幸運な人々として列に並んでいると、黒服の一人がミン・ジウを見て近付いて来た。


「失礼いたします。貴女あなたは列に並ぶ必要はありません。招待状を拝見いたします」


 友人と、なぜだろうと顔を見合わせながら招待状を手渡すと、一読した黒服の男が眉を上げた。


「一般の方でしたか。申し訳ありません、勘違いを致しました」


 黒服の男は招待状を返し、頭を下げて立ち去った。


 ミン・ジウは首を傾げる。


「何を勘違いしたのでしょう?」

「やっぱりねー。ジウをモデルさんだと思ったのよ。この列で浮いてるもん」

「え、おかしいですか?」

「いいえ、完璧だって言ってんの。そのオモチャのビニールバッグもブランド品に見えるわよ。まったく」


 腕を組む友人に、褒められたのかけなされたのか理解できないまま列は進み、やっと店内に入る事が出来た。


 きらびやかな装飾と大音量の音楽に、友人は目をキラキラとさせ、ミン・ジウは顔をしかめる。


「今日は飲み放題なんだって!」

「え? 聞こえません」

「飲み、ほー、だい!」

「トイレ行きたい?」

「違うわよ!」

「違うわよ?」

「そうよ!」

「トイレはあちらですよ」

「違うってば!」

「違うトイレ?」


 友人は諦めたと大袈裟おおげさに手を広げてから、バーカウンターでカクテルを注文した。


「私は飲めません」

「分かってるわよ。2杯も頼んだらカッコ悪いじゃない。ジウはおとりよ」


 おとりの使い方が間違っているとは空気を読んで言わないでおく。


 酒を飲み談笑する者や、音楽に乗って踊る者。思い思いに楽しむ着飾った人々を見ながら、ミン・ジウはふと、自分が目立っていないことに気が付いた。


 バスの中や道端では、高身長や服装のせいで人目を引いてしまっていたが、本物のモデルや女優、セレブの前ではかなり地味だ。


 そして、そんな女性達をエスコートしている男性陣はミン・ジウに目もくれず、気安くナンパしてくるバカもいない。


(お、これは意外に居心地が悪くない)


 カクテル2杯を一気飲みした友人のご機嫌なダンスに大笑いしながらそれなりに楽しんでいると、オーナーのハリウッド俳優が挨拶に登場した。


 店内の音楽とまぶしい照明が派手な登場を演出し、人々はさらに盛り上がる。挨拶の内容は二の次に、友人は声が枯れるほどキャーキャーと騒ぎ立てた。


「カッコいいー! あ〜、死んでもイイ〜。ジウ、そう思わない?」


 ミン・ジウはその俳優を知らなかったが、スターのオーラを撒き散らしながら不自然なほど白い歯を見せて手を振る姿に、友人には申し訳ないが共感は出来ないと思った。


「もー、彼のセクシーさが分からないわけ? 本当、男嫌いなんだから。それでよく子供を生めたわね」


 友人の言葉に、大きなお世話だと、ベーっと舌を出す。


 お目当ての俳優に会えて興奮した友人は、酒の力を借りて、彼がどれほど魅力的か饒舌じょうぜつに語り出した。


 それを適当に聞き流していたミン・ジウは、甘いアルコールの匂いと強い香水の香り、そして禁煙の店内になぜか漂う煙に気分が悪くなる。


(この煙の臭い…… 大麻か)


 嗅いだ記憶のある不穏な空気からは、逃げるにこした事はない。


 友人の耳に口を近づけた。


「出ませんか?」

「えー、彼がまた来るかもしれないじゃない」

「さっき、VIPルームの客と出て行きましたよ?」

「えー! 教えてよー!」

「今、追い掛ければ……」

「追い付くわね! ジウ、行くわよ!」


 嘘も方便ほうべんと、心の中でびながら友人に手を引かれて店を出た。


 カンボジアの湿気の多い空気を肺に入れて一息つく。


「車に乗るなら裏の通りよね」


 いまだ、マスコミとパパラッチ、セレブを一目見ようと立ち去らない群衆の間を抜けて、クラブの脇道に入る。


「こっちよ。ほら、早くー」


 急かす友人に従って路地を小走りに進むと、夜にも関わらずサングラスをかけたスーツの男に呼び止められた。


「おい。そっちに行くな」

「な、なによ」


 ミン・ジウは男の左脇の膨らみに気が付き、友人の腕を引く。


(こいつ、銃を持っている……)


「戻りましょう」

「なんでよ。道は皆んなの物でしょー!」


 酔って気が大きくなっている友人の腕を強く引き、男に背を向けた瞬間、パンッと乾いた破裂音がした。


 二人が振り向くと、男は呆然と立ち尽くしている。


 そのまま、真っ直ぐな姿勢で、棒の様にドサッと地面に倒れ込んだ。


「キャー!」


 友人の叫び声と同時に再び破裂音が続き、ミン・ジウはとっさに友人を押して地面に伏せる。


 パンッ、キンッと、断続的に路地の壁や地面が砂埃を上げ、ミン・ジウは友人を守りながら頭を上げた。


(狙撃されている⁈ どこから、なんで⁈ )


 暗い路地を抜けた向こう側、裏通りの灯りの下に車が停まっている。その後ろから男が銃をこちらに向けて撃っていた。


(私達を狙ったんじゃ……ないな。流れ弾が飛んで来ているのか)


 車の後ろから撃ちまくっている男の銃弾が耳をかすめる。


(ヘタクソめ。あいつを止めないと……)


 頭を抱えて地面でおびえる友人に「ここで動かないでね」と言い、目の前で血を流して倒れている男の頸動脈を触る。


(死んだか)


 まだ温かい死体の脇から銃を引き抜いて、地面に寝たまま弾倉を確認した。


(3発しか残ってないじゃーん)


 チッと舌打ちをする。

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