第2話 危ない場所


 2人で主任ににらまれながら頭を下げて、嫌味をつらつらと言われながらもなんとかオープニングセレモニー翌日の休みを確保した。


 これ以上、主任の機嫌を損ねないように2人は頑張って仕事を片付けていく。


 楽しみと笑顔で語る友人につられて、ミン・ジウもなぜだか胸がワクワクしてきた。


(子供抜きで出掛けるなんて久しぶり。ところでスカートなんて持ってたかなぁ)


 その日の夜、子供を寝かし付けてから、韓国から引っ越して来て以来、一度も開けていない段ボール箱をさぐった。


 すると、ハイブランドの紙袋に入ったまま放置されていた洋服が出てきた。


(うわ、懐かしい。これ、ゼノにもらったやつだ)


 それは黒のニットワンピースだった。


 子供の父親・ジョンが所属するアイドルグループのリーダー・ゼノからのプレゼントは、高級ブランドらしい流行に流されないデザインで、ニットでも充分にドレスになりそうだった。


 アクセサリーやハイヒールは持っていないが、ストッキングくらいはコンビニで買えばいいし、黒のバイクブーツを合わせれば見栄えは悪くないだろう体にあてて見る。


(体型は維持してるし、これで良しとしよう。あとは、パーティバッグがないな…… あ、そうだ)


 子供のオモチャ箱から、お菓子が入っていたビニールの黄色い手さげを引っ張り出す。


(ちょっと、ママに貸してねー)


 肩に掛けて鏡をのぞき、体を回して友人に恥をかかせないかチェックをする。


(うん、悪くない)


 スヤスヤと寝息を立てる息子の毛布をかけ直してチュッとキスをする。その隣に横になり、息子の夢を想像しながら眠りに付いた。






 数日後、待望のクラブで夜遊びの日がやって来た。


 夕方、いつも正確な時間に現れるベビーシッターに息子を預ける。


 ベビーシッターは、その見慣れない女らしい服装に、プライベートには立ち入らないという自分のポリシーを破って思わず聞いてしまう。


「どちらに行かれるのですか?」

「あー…… 」


 そういえば店の名前を聞いていなかった。


 観光客の多い繁華街の名前を告げる。ベビーシッターに、あなたも顔見知りの友人と出掛けると伝えると、彼女は安心したとうなずいて、息子を抱き上げてバイバイをさせた。


 慣れないスカートを押さえながら待ち合わせのバス乗り場で友人と合流した。


「ちょっと! まさか、スッピンなの⁈ 」


 開口一番、ミン・ジウの顔面を両手で挟む。


 普段は日焼け止めと、せいぜい保湿クリームくらいしか手入れをしないわりにはキメの細かい肌だと自負しているが、さすがに今夜のスッピンは頂けないらしい。


 バスを待つ間、友人はベンチにメイク道具を広げた。


「もー、確かにジウは美人だけどー。ほら、こっち向いて」


 ファンデーションを塗られると皮膚呼吸が止まったようで息苦しくなるが我慢する。


 アイシャドーとアイラインでまぶたは重くなり、眉毛を書き足されてかゆくなり、リップは舐めてしまいそうになるが、友人の為にグッと我慢を続けた。


「うわー、ジウ、すごくえるわね! 三十路みそじには見えないわよー!」


 それは余計だと思いながら鏡をのぞく。


 なるほど、これならカメラに写っても私だとは分からないと苦笑いを噛み殺し、ハリウッドメイクをありがとうと、頭を下げた。


「なに、言ってんのよ。ハリウッドメイクが10分で出来るわけないでしょー。私は2時間もかけたのよ」


 友人は肩の髪を払ってポーズを取った。ミン・ジウは微笑んで言う。


「ああ、だから誰だか分からなくて二度見してしまったのですね」

「それって褒めてるのよね? そうよね?」


 とたんに不安な顔をする友人に、思わず腰を曲げて大笑いしてしまう。


「なによー! 気合い入れて来たんだから笑う事ないでしょー!」


 ポカポカと叩いてくる友人を笑顔で避けているとバスが到着した。


 笑いが止まらないまま2人で乗り込む。


 吊り革につかまり、後ろに流れるプノンペンのにぎやかな夜を目を細めて眺めていると、友人が脇をつついた。


「ジウ、目立ってるわよ」


 え? と、見回すと、目をらす乗客と笑顔を向ける乗客に分かれた。


 ミン・ジウの身長は170センチ弱。カンボジア女性の平均身長よりも格段に高い。しかも、出産後も体型は変わらず、整った顔立ちとスタイルの良さで一児の母には到底見えない美しさだった。


 短い黒髪を撫で付けて耳に掛け、高級な服を身にまといメイクをしている今、まさか病院でヘルパーとして働く一般人だと言っても誰も信じないだろう。


 思わず背中を丸めて下を向く。


「こら、また悪いクセが出てるわよ。本当に注目されるのが苦手なんだから」


 友人はミン・ジウの背中をバンッとたたく。


「今日は目立ってなんぼなの! 顔を上げて! 胸を張って! ほら、降りるわよ!」


 友人に手を引かれてバスを降車する。


(注目されるのが苦手なんじゃなくて…… )


 本当は男達の視線を避けたかった。自分が美人の部類に入る事は百も承知で、その為にさんざん苦労して来たのだ。


 男との接触を極力避ける。それが自分を守る唯一の手段だった。


 なので、職場の飲み会の誘いもすべて断って来たのだが、いつも小汚い格好をしてバイクで通勤するミン・ジウを誘う者はいなくなっていたので、すっかり気を緩めていた。


 友人に手を引かれたまま下を向いて人混みを進む。


(この場所はマズイかも……)



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