―5―
恋と愛は違うと思うけど、好きだということに、変わりはないと思う。
全てを自覚するには、俺自体まだ全然子供で、一歩進むだけでも覚束なくて、苛つくくらい意気地なしだけど。
……多分、俺の横で、俺と同じように足踏みしてる怖がりがいたら、手を差し出すだろう。
俺も怖い、お前も怖い。でも、二人で進めば、少しは安心できるだろ?
慣れ合い、じゃない。互いに互いを頼り合うこと。
これが、恋ってものじゃないのか?
俺は、間垣弥生に愛を抱いて、恋をした。
あの、強く繊細な男。驚くほどに甘えたで。どっぷり甘やかしてやりたくなる。その反面、甘やかしてはいけないと思う自分もいる。矛盾? 結構だ。黒か白かなんて、はっきりできないのが世界だろう。それでもどちらかに決めたいと思うのが、人だろう。
迷うのも後悔するのも、決意するのも、人が人であるからだ。
俺はあいつが好きだ。
弥生が俺をどんな風に好きなのか、それは正直わからないけど、俺の好きは、恋情の、好き。俺が弥生を好きになったせいで、何かが変わるだろうか?
きっと、何かが変わるだろう。
***
人生で初めて果たし状を書いた。
「なあ、こんなんで平気かな」
一応第三者に見てもらおうと思い、部屋のソファで隣に腰かけてテレビを見ていた西条にほいと渡す。
「ん? 何だこれ?」
訝しみながらも受け取り、さっと中身に目を通した西条は、はあ? と間抜けな声を上げたきり動きを止めた。
「こんな感じだよな、果たし状って多分」
要点と氏名しか書いていない、短文。今日、間垣弥生に手渡すつもりだ。
「おい、西条」
どうかしたかと名を呼べば、西条は手から紙をひらりと落とし、呆然と、というよりも戦々恐々とした表情で、俺を見た。
「……俺、俺、」
「? どうした」
目を潤ませた西条は、震える声で、叫んだ。
「もう保の友達やめるぅぅぅううっ!」
耳が潰れるかと思うほどの、絶叫だった。
***
「 間垣弥生
明日午前十時 第二校舎屋上にて 待つ
お前との因縁に 決着をつける
川崎保 」
その日、いつものように親鴨子鴨よろしく間垣弥生の相手をして、帰り際、無言でその紙を手渡した。訝しむのに首を振り、誰もいないところで読め、と囁く。
「……ああ」
じっと紙を見つめて、さも大事なもののように、制服のポケットにそれをしまった。
さあ、もう後戻りはできない。覚悟はできている。
俺は弱い、けど、自分で決めたことに責任を持つことくらいは、できる。
変わるのは怖いけど、このまま変わらないのも、怖いんだ。――空き地の隅でひっそりと開いた花。気付けば枯れて、種を付けることもできず。そうやって枯れた花を、何度も見ている。枯れた様子さえ、美しいかもしれない。けれど、現実はわびしく、さみしい。
水を貰って、生き返った花を見たことがある。うなだれて今にも枯れそうだったのに、たった一杯の水で、また美しく花咲いたのだ。
花は咲く。咲くんだ。土と、光と、水があれば。
俺の中で、それらに当てはまるのは何だった? 要因は一つではない。でも、揃ったんだ。全部揃ったから、花が咲く。
花が、咲く。
***
そして、午前十時。第二校舎屋上にて。俺は、間垣弥生と向き合って立っている。
「……どういう、つもりだ」
まるで怒っているような声音と表情だが、どこか戸惑うような、悲しむような、怯えるような。そんな様子が見え隠れしている。わかりにくい感情を、全身から読み取ろうとする俺がいる。顔、仕草、声の高さ、足を組み替え腕を組んで、髪を肩から払って。今の俺なら、わかる。わかりにくくわかりやすい、こいつの想い。
「言葉通りだ。“決着”をつける」
俺達と、授業免除をされている者達以外は、全員授業を受けている時間だ。ましてや屋上なんて、誰も来ない。
二人きりだ。もしかしたら、初めての。
すれ違うばかりの人の中から、こうして対面するほどに知り合えるというのは、もしかしたらすごいことじゃないのか? しかも、その相手がこいつだ。風紀委員長、狂犬、〈四季〉の三月。間垣弥生――俺の首を、絞めた男。
「俺は、弥生。俺は、」
「……やめろ」
「聞け。俺は、お前が」
「言うなっ!」
決着、という言葉に怯え、久々に俺の首へと手を伸ばす。大きな手が絡みつく。気道を塞ぐ。頸動脈を押さえつける。本当に、久しぶりだ。こいつに首を絞められるのは。
「や、よい……はっ、きけ、よ」
最初に首を絞めたのは、俺が気に障ったから。
次に首を絞めたのは、俺が逃げるから。
なら、今回は? 首を絞めるのは……聞きたくないからだ。俺の口から、決着なんてものを。
期待してもいいか? 自惚れてもいいか? 俺は間違いなくお前に好かれてるって。
「っ、は、あ」
躊躇っているのだろう。いつもより力が弱いせいか、余計に苦しく感じる。ああ、そんな泣きそうな顔して。大丈夫だ。俺は、お前が……。
「すき」
そうだ、俺はお前が好きなんだよ。弥生。
***
「す……き?」
ぽかんと間抜けに口を開けた弥生は、ふっと手の力を緩める。途端入り込む空気にむせる。しゃがみこんでげほごほと咳をし、荒い息をつけば、はっとしたように弥生が動いて、ぎこちなく俺の背を撫でた。
「わ、るい……大丈夫、か?」
温かく優しい手の温度に、ゆるやかに呼吸が戻る。そういえば、こうして首を絞められておいて意識が落ちないのは初めてだ。
「へい、き……」
喋りにくい。喉が、まだ圧迫されているような感触。右手で首を一撫でしてから弥生を見れば、弥生はどうにも泣きそうな顔で、しゅんとしている。知らず頬が緩むのをそのままに、頬に両手を伸ばし顔を正面に固定して問う。
「弥生。……俺が、好きか?」
一も二もなく頷く。うん、いい返事だ。
「そっか。……俺も、お前が好き」
お互い目は逸らさず、見つめ合うこと数十秒。
「……そうか」
ふわりと、弥生が笑んだ。
ほら、花が咲いた。
俺が微笑みを返すと同時、ばたんっと大きな音を立てて扉が開かれ、すごい形相の奴らが雪崩れ込んできた。
「間垣っ」
「弥生、保!」
「何してんだよっ、保!」
「また首を絞められたんですかっ?!」
折角良い雰囲気だったのに、だいなしだ。思わずむっとすれば、弥生に抱き寄せられた。それは、いつもの縋りつくような抱き方ではなくて……もっと、柔らかな、抱擁。
弥生、と名を呼び目を合わせる。ちらり、視線を扉前に群がる奴らに向けてから、そっと、顔を寄せて。
「……好きだよ」
唇が、触れ合う。
***
それを呆然と見やったそいつらと……全校生徒に向けて、俺は声を張り上げた。
「お前ら、全員、聞いたな」
放送室のマイクに携帯を括って。勝手に借りた西条の携帯と通話状態のまました、全校中継の告白。
「川崎保と間垣弥生は、好き合ってる。俺は弥生が、弥生は俺が、好きだ。一緒にいたい、触りたい、抱きたい、抱かれたい、キスもそれ以上も、弥生とならしてみたい」
どうしてそんなことしたのかと言えば、簡単なことだ。それだけ沢山の証人が欲しかった。俺達の結びつきが、より深く強固なものとなるように。戒めたかった。逃げたがる自分と、臆病な弥生を。
「お前達は、証人だ。俺達の、誓いの」
これは、誓い。
「俺は弥生を好きで居続ける。弥生が俺を、好きでいる限り」
そして勿論、弥生は俺を好きで居続けるんだ。俺が弥生を好きでいる限り。
弥生を見上げれば、何ら不満はないようだった。むしろ、尻尾があれば千切れるほどに振るくらいには、喜んでいる。だって……、
「っわ」
「う、そだろ?」
「ミツキが、笑って、る……」
俺以外にもわかるくらいに、満面の笑み、なんだから。
可愛い奴だと思いながら笑みを返せば、痛いくらいに抱きこまれ、噛みつくような優しいキスを貰った。頭の芯がとろけるほどに、熱い。
***
川崎保は間垣弥生と、間垣弥生は川崎保と、
手を繋ぎ、体を寄せて、ともにそばに。
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