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気付いてはいけないことに、気付いたと思った。
***
間垣弥生と過ごす毎日。図体がでかいだけの子供みたいなものなので、よくよく考えてみれば結構可愛い、気もする。今は大人しくなっているとはいえやはり凶暴だし、俺より一回り程度大きくて男前な顔をしている相手に、可愛いはいささか似合わない気もするけど。
先日の騒動以来、間垣弥生は俺を過保護に守ろうとする。首を絞めるなんて論外、ちょっとプリントで指を切っただけでも、泣きそうな感じで沈んだりする。もっとも、泣きそうだとわかるのは俺だけ、くらいの無表情っぷりだが。
鳥の雛のすりこみ……間垣弥生にとって俺は、親、みたいなものなんだと思う。よく、小学校高学年くらいになった子がいきなり親を心配したり手伝ったりするようになったりするじゃないか。かと思えばその後思春期が来て見事に反抗期、それが終れば自立心がついて親なんて構わなくなる。
言葉が足りず力に訴えるのが幼稚園生くらいだとすれば、今の間垣弥生は小学校高学年程度か。着々と人間らしくなっていることに、安心感を抱く。
このままもっと情緒が身に付けば、こいつはもっと皆に対して優しくなる。
(嬉しい、けど……)
少しだけ、本当に少しだけ、寂しい感じもする。
間垣弥生が皆に優しくなったら、俺だけがこうして特別に思われることは、ないのだと。
誇らしさと寂しさは、別物だ。
***
〈四季〉の奴らのせいで、学園内での俺の呼び名が“姫”で固定されつつある。切実にやめてほしい。西条、長谷、堂内までその呼び方をし始める始末だ。
「別に“姫”でいいじゃん。守ってもらえるんだし」
「保がいるからかな。今の間垣委員長は、あんまり怖くないよね」
「お前ら付き合えば? 案外お似合いなんじゃないか?」
しかも、付き合ってしまえ、と言う。相手は男だぞ!
「関係ないだろ」
「ここがどこだと思ってるの?」
「いまさらだよな」
毒されてる、毒されてるぞお前ら! 一般常識に当てはめれば、この学園は異常だから!
「でも、保」
「郷に入っては」
「郷に従え」
だろ? と言われると、何も言えない。
「そもそも、好きって感情は、性別ごときで諦められるような生半可なものじゃないよ」
「そこまで誰かを好きになったこと、俺はないけどな」
「ないんだ? 西条、お子ちゃまだね」
「うるさい、長谷!」
「お前ら、喧嘩すんなよ」
ぎゃーぎゃー騒ぐ長谷と西条を尻目に、俺は、弥生のことを考えた。
俺を見る、目。たくましい腕。低く耳に快い声。保……俺の名を呼ぶ時の、熱さ。
そして、それを――。
***
俺がくどくど言うせいか、間垣弥生は少しだけ人当たりが良くなった。あくまで少しだけだが。特に俺みたいな弱い奴らには優しくなって、風紀委員長らしくなってきた。それに伴い、学園内での認識も四十度ほどは変化した。狂犬から、不良へと。人間になっただけましだと思う俺は、おかしいのか?
とにかく、間垣弥生は段々人間らしくなってきた。あとはきっと、放っておいても勝手に人間になっていく。そう、俺の役目は、もうすぐ終わり。
考えてみると、人間というのは、何か仕事を片付けている間というのが一番楽な気がする。それ以外を考えなくていい。それ以外にしなければいけないことはない。
任された仕事を、責任をもってやりきる。
仕事なんてしてない俺にだって、やっていることはある。今なら、間垣弥生の親代わり。今までの生涯で言うならば、両親の子供という役割。何より、“川崎保”という個人であること。他人から背負わされた荷物と自分から背負った荷物の境なんて、曖昧なものだ。同じなのは、それが背負わなければいけないものであること。
間垣弥生は、俺が自ら手にした荷だ。それをいつか離すことに、躊躇なんて生まれないと、思ってた。
(思って、たんだ)
甘い見通しに溜息が出る。
***
朝。顔見知りに姫と呼ばれても、振り向かないことに決めた。俺は姫じゃない。間垣弥生の姫なんかじゃない。
***
食堂で、保、と相馬奏がいつものように名を呼ぶ。何か元気ないな、と言われて、そんなことないと首を振る。今日はまだ一度も間垣弥生に会っていないから、いつもの調子が出ないだけだ。
***
放課後、間垣弥生は今日一日真面目に仕事をしていたらしい、とクラスの奴らが話しているのを小耳に挟んだ。日に日に風紀委員長としての責任を自覚していく、あいつ。
しばらくして届いたメールには、会いたい、と一言だけ。明日な、という三文字の前に打った文章は、しばらく考えてから消した。
***
間垣弥生が俺にくっつきたがる回数は、日に日に減っている。一緒にいてもあまり抱きついてこなくなった。手を繋ぐ程度で満足する。
今日は土曜日。俺は間垣弥生に頼んで、〈四季〉の溜まり場に連れてきてもらった。気紛れではない。少し、話したい相手がいたから。
「おう、姫じゃねえか!」
こんちはーとかどーもですとか、如月を筆頭に挨拶をくれる〈四季〉の奴ら。俺が間垣弥生の“姫”だからだろう、彼らは俺に好意的だ。
「どうも、如月さん」
「ああ。……どうかしたか?」
さっさと所定位置に向かった間垣弥生から離れて如月の元へ行けば、如月は不思議そうに目を丸め、煙草片手に俺を見た。俺はこくりと頷き、その隣に腰かける。
「訊きたいことがあるんだ」
答えが、ほしいことが。
「……どうした?」
煙草の火を灰皿で消して、如月は真っ直ぐ俺を見た。こういう風に真摯に聞いてくれることを、たった数回顔を突き合わせただけだがわかっているから、俺は如月に訊く。
「〈四季〉の代表として答えてくれ。俺と弥生が本気で好き合ったら、どう思う」
……如月は間抜けな顔で数秒沈黙して、それから短い溜息一つ、頭をがりがりとかく。
「そんな状況になったら、俺達〈四季〉は、心から祝福する。好き合うのに男女は関係ねえし、ミツキも落ち着くだろうからな。何も悪いことは起きねえよ。……あんた」
好きになったのか、と問われ、目を閉ざす。
答えを出すには、もう少し時間がいる。俺にもあいつにも、ちょっとだけ。
俺達が生きるのは、不確定な、未来。
***
今逃げたら、弥生はまた俺を追うだろうか。そして、あの表情で、また首を絞めるだろうか。
俺は臆病だ。自分でわかってる。他の誰がそんなことはないと否定しても、誰よりも俺自身がわかってる。俺は、臆病だ。
何よりも、変化が怖い。日常は巡る。変わらない日なんてない。変化は素晴らしい。わかってる、でも、変わらないでほしいこともある。変わってはいけないこともある。
変わることが、怖い。
……今日、間垣弥生を遠目に見た。風紀委員長として立派に立ち働いていた。逆制裁が起きてもまだなくならないリンチ、強姦。襲われていたのだろう衣服の乱れた可愛らしい少年を片手に抱きこんだ弥生は、とても、凛々しかった。
射抜くような鋭い目。冷たい声。……俺に向けられるそれとは違う、絶対的強者の様相。それを見て感じたのは、憧れと、恐怖と、少しの寂しさ。間垣弥生と俺では、住む世界が違う。だから……何度でも言う。俺は、変わることが怖い。臆病なんだ、本当は。とても、とても。
俺を見る、目。たくましい腕。低く耳に快い声。保……俺の名を呼ぶ時の、熱さ。
そして、それを、求める、自分。
――気付いてはいけないことに、気付いてしまった。
俺は、弥生が、好きだ。
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