第10話 /【その愛しさに用がある3】

 

 メイド喫茶をやることが決まった日の放課後、僕は思った以上に各方面への確認作業や必要な材料の多さに頭を抱えていた。ただでさえ次のテストの事で脳のキャパをオーバー気味だというのに、ここに来てショート寸前まで来てしまうほど悩みの種が増えていく。

 初めての担任は考えることが多くて大変だとは聞いていたけどこれは僕の予想を遥かに上回るもので、何度も何度も頭を悩まし、しまいにはまだ作業が残っているにも関わらず職員室で寝落ちしてしまうという醜態を晒してしまった。時間にしては二十分程度で残っているのはまたも僕と千鶴さんだけというのが不幸中の幸いだが、目覚めたときにいの一番に見た彼女の笑顔で更に焦りを加速させていく。


 好きな人にはかっこいいところを見せたいと頑張る姿はかっこいいものだが、だからといって途中で力尽きたところを目撃されるのはあまりにもダサすぎる。


「お疲れ様。私も初めて担任を受け持ったときは同じようになったからあまり無理しないでね」

 千鶴さんはそういうと隣に座り、二本を持っていた栄養ドリンクのうち片方を僕の机に優しく置いた。気を使ってもらったのだろうが、これはあまりにも恥ずかしい。


「すみません、こんな事でダウンしてちゃクラスの皆に心配かけちゃうのに……」

「そんなことないわ。それに担任である前に一人の人間なんだから無理はしないようにね。私は生徒じゃないんだからたまには弱いところも見せてほしいな」

「いや、僕は千鶴さんに色々教わったのにそんなことできるわけ――」

 そう弱音を吐こうとした刹那、千鶴さんに軽めのデコピンをいれられる。


「もう、まだそんなこと言ってるの?というか私より全然しっかりしてるから自信持って。私なんて担任の時は家に帰って若葉に資料作成とか手伝ってもらってたんだから」

 それもそれでどうかと思うけど……まあそうだよな。誰かに弱みを見せることなんて普通に生きてりゃ当たり前にあるよな。

「ありがとうございます。なんだか少し元気になりました。これも頂いちゃいます」

「うんうん。それでこそ西元くんだね。今は休めるときに休んでやるときにやる。どうせ眠らずに働く日は必ず来るんだから」


 うわそれ聞きたくなかった――なんて内心思いながらグビッと栄養ドリンクを体内に入れ込む。昔はどうも好きになれなかったこの味も今じゃ飲んだら安心するラインまで到達している。子供たちよ、醜いかもしれんがこれが働く大人というものだ。


「それにしてもメイド喫茶か〜。私も学生の頃やったけど大変だったなぁ」

「染石がポロッと言ってましたけど、お化け屋敷もやったんですよね。結構充実した学生生活だったんですね」

「そうかな?逆にそこしか覚えていないくらい薄い記憶だよ。メイド喫茶もめちゃくちゃナンパされたことしか覚えてないし」

「あぁ、そっちの意味での大変ですか」

 密かに千鶴さんのメイド服姿を想像するが……なんとまぁ破壊力がすごい。僕にはナンパする勇気はないけど、こっそり目で追っちゃうキモいタイプのお客になっていたのは間違いない。

 あぁ、見たかったなぁ。そしてご主人様って言ってもらいたかったなぁ。


「鼻の下伸ばして妄想をしてるとこ悪いけど、別にご主人様なんて言ってないからね」

「そ、そうなんですか」

 まあそうだよな、うん。アニメの観すぎか。

 というかなんで地の文にツッコミをいれるんですかねぇ?

「さすがにそこはライン超えだって当時の担任に言われてね。普通の対応して普通に終わったよ。あっ、でもあまりにも変な客には『お帰りくださいませ、ご主人様』って言って追い出したことはある」

 それはそれで刺さる層があるから逆効果だと思うんだけどな……まあでも、僕なら心折れて二度と顔すら見れなくなると思うけど。


「楽しみだなー若葉と琴音ちゃんのメイド服。これって個人的な写真撮影オッケーなの?動画は?ローアングルとか――」

「ダメに決まってるじゃないですか。全部ダメです」

「え〜、一枚くらい良いでしょ?私のメイド服写真一枚あげるから特別に、ね?」

「……ダメ、です。僕はそんな闇取引にはのりません」

 一瞬折れかけたがここはなんとか担任魂で乗り切った。千鶴さんもこの交渉は勝てると思ってたのか露骨に大きなため息をついて僕から視線をそらした。その対応もダメージ結構くるからやめてもらえませんかね……?


「じゃあ実行委員が撮る写真で我慢するしかないんだね」

「そういうことになりますね。それだけでも若葉はかなり嫌がってましたけど」

「あの子はすごく恥ずかしがり屋だからね。小さいときは髪切ったあと学校に行きたくないってしょっちゅう泣いてたな〜」

 えーなにそれめっちゃ可愛い。若葉本人に言ったら十中八九殴られるけどどちゃくそ可愛いな。

「あの時の若葉は私にすごく懐いてたんだけどな〜。今じゃお姉ちゃんを冷たい目で見るし、全然笑ってくれない……」

「え、千鶴さんが思ってる以上に若葉って笑いますよ?」

「それは西元くんに心を許してるからじゃないかな?私には全然だよ。大きくなって姉のウザさに気づいたんじゃないかな〜」


 千鶴さんは大きさため息と同時にコーヒーを喉にながしこんだ。僕には兄弟がいないから分からないけど、どこもこういうものなのだろうか?彼女の表情も成長を感じて嬉しい気持ちと妹が冷たくなって悲しい気持ちが混ぜ合わさったものになり複雑そうだ。


「ところでメイド服のレンタルはもう抑えた?そういうのってどこも同じタイミングでやるから急がないと間に合わなくなっちゃうよ」

「それは早急に若葉が店舗をアップしてくれたので抑えました。あとはメニューでなにを出すか……ですが、それをどうやって決めるかで悩んでます。難しいものは時間的に出せないし、簡単になれば他の屋台との差別化ができないって感じですね」

「そこは難しいところだね。いっそ甘いスパゲティとか出したら?人気になるかも」

 それってたしか愛知県にある喫茶店のやつだよな……?僕も食べたことあるけど相当人を選ぶと思う。話題性は大事だが食材を扱う以上どうしても廃棄の面から目を逸らすことはできない。


「そもそもだけど、西元くんってカフェやメイド喫茶に行ったことあるの?」

 紙コップに少量だけ入ったコーヒーを眺めながら千鶴さんは呟く。

「ないですね……そういうのには無縁の人生を送ってきたもので」

 男の憧れとしてメイド喫茶に行きたいと思ったことはあったが、残念なことにあそこへ一人で行くメンタルはチキンの僕には持ち合わせていない。


「それじゃよく分からないんじゃない?本場で要領を経て実践に活かすのもいい手だと思うけど」

「でも、一緒に行ってくれる人なんていないし……」

「誰かいないの?メイド喫茶うんぬんはともかく一緒にご飯食べたいって思う人とか」

 千鶴さんにそう言われ頭を悩ます。大学の友人はみな仕事で忙しいと耳にしていて誘いづらいし、高校ではそういう趣味を隠していたから今更曝け出すのは気恥ずかしいものがある……


「やっぱり一人で行くしかないですかね」

 僕がそういうと、千鶴さんはぐっと顔を近づけた。

「もう、なんでそうなるかな」

「――え?」

「千鶴お姉ちゃんからの大ヒーント」

 彼女はここぞとばかりに満面の笑みを浮かべる。演技だと分かっていてもこの表情にはつい顔を赤くしてしまう。

「私たちって居酒屋以外ではあまりご飯してないよね?たまには雰囲気を変えるのも、悪くないんじゃないかな」


 その言葉を聞いた瞬間、僕になにを言わせたいかが瞬時に分かってしまった。

「ここまで来たら、あとは分かるかな?」

「……そんな気もないのに、よくここまで言えますね」


 自分でもおどろいた。こんなことを言うつもりなんてなかった。けれど相当疲れていたのか、つい本音が漏れ彼女を攻撃するような口調になってしまう。

 しかし、それでも千鶴さんは眉一つ動かさず笑顔のまま畳み掛けるように言った。

「そんなの分からないじゃない。私だって西本くんのこと嫌いだったらこんなこと絶対しない。あなたには少しでも可能性があるの。私を楽しませてくれる可能性がね。だから、ここはかっこよく誘ってほしいな」

 そうやってまた、僕の弱い所につけ込んでくる。

 ……でも、僕も男だ。ここまで言われて誘わない理由はない。そして、この人のおもちゃでいるのはもうゴメンだ。

 絶対に、振り向かせてみせる。


「千鶴さん、僕とデートしてください」

 意を決した告白に彼女は簡単に首を縦に振った。

「うん。楽しみにしてるね――ところで」


 彼女は立ち上がり扉の方へと向かう。


「立ち聞きは良くないわよ、若葉」


 千鶴さんに促され若葉が顔を出す。プリントを持っているあたりを見ると提出物を届けに来てくれたと容易に察しがつくが、まさか聞かれているとは思いもよらなかった。

 無言のまま若葉は僕の方へと近づいてくる。その顔は待たせれたからか少し不機嫌なようにも感じ取れる表情をしていた。


「これ、言われていたプリントです」

 少しクシャクシャになったプリントの束が机の上に置かれる。

「おぉ、ありがとう。待たせてすまなかったな」

 いつもなら優しく手渡してくれる彼女だが、今日は力強く置くもんだから少しだけ驚いてしまう。そして――


「そう思うなら、私のワガママを聞いてください」

 彼女は僕の目をまっすぐ見つめそういった。

「……内容による。メイド喫茶はもう変えようが――」

「そうじゃないです」


 若葉は千鶴さんの前にも限らず、否、千鶴さんの前だからわざとというべきか、いつもより強気に僕に顔を近づけた。


「私ともデートしてください。お姉ちゃんだけなんて、そんなの不公平です」

「…………」

 ここでしらを切るのも一瞬考えたが、流石にそれは大人としてどうかと思い言葉が詰まる。だが。


「分かった。でも生徒と先生がデートというのは問題でしかない。文化祭の事前準備、そういう形でもいいか?」

「構いません」

 納得した若葉は僕から離れ千鶴さんを睨む。

「いい加減人で遊ぶのはやめなよ。大人げない」

「そっちこそ、なにムキになってるの?いつもの若葉らしくないじゃん」


 僕が見たなかで史上最悪の空気が二人の間に流れる。

 この二人はいったいなにがしたいんだ……?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マルのついた君へ かで苅 @kdkr_story

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ