第8話 / 【その愛しさに用がある 1】


「急に呼び出してどうしたの。千鶴ちゃんから連絡くれるなんて珍しいじゃん」

 私が公園のベンチで空を眺めていると琴音ちゃんは買い物袋を手に現れた。家からそのまま来たのか少し色あせたパーカーにショートパンツといかにも部屋着って感じで。


「話し相手が欲しかったの。若葉に連絡したんだけど取らなくてね。急にご飯いらないって言ったから怒ってるのかな」

「若葉はそんなことで怒らないでしょ。それよりこれ、言われた通り買ってきたよ。焼き鳥とビール」

「わーいありがとう。居酒屋であまり食べれなかったからお腹空いてるのよね」

 袋を受け取るなりすぐさま一本口に運ぶ。熱々とは言えないけどそれは諦めるしかない。ねぎまは冷めてても十分美味しいし。


「可愛さのかけらもない食べ方するね。男の子が見たら幻滅しそう」

「これくらいで幻滅するならこっちからお断りよ。私にどんな理想を描いてるか知らないけど、私だって勢いよく焼き鳥にかぶりついてビールで流し込みたいときだってあるの」

「そこまで大胆ならいっそ清々しい。ハルちゃんが好きかもね」


 ハルちゃん――たしか琴音ちゃんは彼をそう呼んでたっけ。なにげにこの子だけなのよね、あの人をあだ名で呼ぶのって。

「西元くんね。どうだろ、今でも私のこと好きなのかしら」

「好きだと思うよ。いつまで経っても思春期男子みたいな反応するじゃん」

「それはまだ女性に慣れてないだけでしょ?」

「どうかな、意外と生徒や他の先生の前では普通にやってるよ……あー、もう一人いた。ハルちゃんがオドオドする人」

「え、誰?」

「若葉だよ。今日の反応は凄かった。千鶴ちゃん距離詰められたんじゃない?」


 べつに私、西元くんかけて争ってないんだけどなぁ。最初に求めてきたのはあっちの方だし、私はただ面白いから興味があるフリをしただけで。でも、若葉がすぐそこまで来てるならまた面白くなっちゃうかも。


「ふーん、若葉よく頑張ってるじゃん。姉として鼻が高いよ」

「ちなみに、さっきまで若葉と一緒に家にいたっぽいよ。窓開けてたから隣の私の部屋まで声聞こえた。」

「え、もうそこまでやってるの?強いなぁ若葉は」

「……気持ちがこもってない。嘘つくの下手すぎ」


 あ、生徒からダメ出しもらっちゃった。でもさすがに早いなって思うのはほんとのこと。いくらか焦りすぎなところもあるけどね。

「あーぁ。荷物持ちならわたしを呼んでくれればいいのに。ここ最近ハルちゃんとばっかイチャイチャしてさ」

「それもすぐに終わるんじゃない?あの子、きっと西元くんが私に惚れてるから奪い取ろうと躍起になってるのよ」

「それなのに妙に大人しいんだね。なに、そういうの好きなの?奪われたりするの」

「バカ言わないで、私が好きなのは面白いことよ。しかも西元くんの一方的な気持ちでしょ。私はなにも思ってないから」

「楽しければなんでもいいんだね」

「だって人生、面白くないなら続ける意味ないでしょ」


 私はもう一缶のビールに手を伸ばす。

 正直、昔から恋愛には全く興味がない。そりゃ付き合ったり男に抱かれたりしたこともあるけど、それはただ経験したかっただけで相手を愛する気持ちなんて一度だって湧いたことがない。

 それでも、親のおかげで顔がいいから次々と男は寄ってくる。拒みもしないが追いもしない――そんなスタンスで今までやってきた。それはただいろんな男が見たいという興味と女としてのステータスが欲しかったから。

 そして、いまが一番面白いかも。誰かに求められてる人に求められるって、最っ高に気持ちがいい。


「でも、若葉はこのままじゃ危ない。きっと本当に好きになると思う。というか、もうなってるんじゃないかな」

「良いことじゃない。誰かを好きになるって」

「……それが絶対に叶わないものだとしても?バットエンドと知っても最後まで走り抜けっていうの?」

「初恋ってそんなもんでしょ。叶わない、報われない、忘れようとしても忘れられない――まあ、私はこの歳になっても真剣な恋って一度もないから分からないけど」


 きっと本気で西元くんに恋をしていれば今の若葉に怒ってるかもしれない。でもそんな気持ちはさらさらない。むしろ二人が結ばれたなら本気でお祝いしてもいい。恋愛に関する愛しさなんて知らないけど、妹を思う気持ちは本気であるから。

 ……なんて言っても、若葉は聞いてくれないんだけど。あーぁ、あんなにお姉ちゃんのこと好きだって言ってたのにいつから嫌われるようになったのかしら。


「わたしは嫌だな。そんな簡単に二人を祝福できないよ」

「そうでしょうね。叶わない恋をしてるのは琴音ちゃんも一緒なんだし」

「ほんと質が悪い。大嫌いになりそう」

「どうせ無理でしょ。私たちの中で一番乙女なんだから」

「そこは否定しないかも。どう考えても私が一番性格いいしね」

「それはどうかな〜。こうやって私に若葉の話を内緒でするあたり、私といい勝負な気もするけど。ところで報われない気持ちってどんな感じなの?心地いいもの?」

「うーわ、やっぱり千鶴ちゃんが一番性格悪いよ」

「あら、今気づいたの?」

「どうしてこんな人にハルちゃん惚れたのかな〜。キスでもしたら目を覚ますかな」


 冗談っぽく言ってるけど、それはそうかもしれないのが恐ろしいとこ。あの人は多分私と違う意味で本当に恋を知らないだけだと思う。どうせ若葉が無意識に胸を押し付けたりしてあたふたしてるんでしょ?チョロすぎる。


「ところで琴音ちゃんは、もう思いは伝えたの?いつまでもこうやって愚痴を言ってても、何もしてないなら変わらないわよ」

「したに決まってるじゃん。でも全然気に止めてくれない。はいそうですかって簡単に流しちゃってさ」

「ふーん、あなたも意外と苦労してるのね」

 苦労してないのは私だけ、か。それはそれで幸せなんだけど、琴音ちゃんはどうして辛い思いしてるのにそんなに笑顔でいられるんだろう。私だったら絶対に耐えられない。人生はなるべくイージーモードじゃないと生きていきたくないもん。


「琴音ちゃん、好きな人に振り向いてもらえないってそんなに辛いことなの?」

「人によると思うけど、わたしはめちゃくちゃ辛いかな。でもその分すっごく楽しいとも思える」

「なにそれ、辛いのが楽しい?マゾ体質なの?」

「そういうわけじゃないけど……あー、うまく説明できない。とにかく、笑顔を見れて幸せとか、今日も話せて良かったとか――小さなことで嬉しくなる自分がいるんだよね。千鶴ちゃんには絶対わからない気持ちだと思うけど」

「そうね。今は分かりそうにもないし分かりたくもないかも。誰かの行動で心が揺さぶれるなんて生きづらそうだし……ってあれ、もうお酒切れちゃった」


 追加で買いに行こうと立ち上がったとき、一瞬だけ視界が歪み体制を崩す。

「危ないなぁ、もうお家帰ろ。手握って上げるからさ」

 その場に倒れるんじゃないかと思ったけど、琴音ちゃんが優しく私を受け止めてくれた。こんなかっこいいのにどうして好きな人に振り向いてもらえないのかな、不思議でしょうがないわ。

「ありがとう……じゃあお言葉に甘えようかな。その代わりお尻触ったらすぐ離れるから」

「そんなこと千鶴ちゃんにしないよ」

「他の人にするのも許しません。これは先生としての言葉です」

「酔っ払った勢いで生徒呼び出してそのまま潰れる人が言っても説得力ないよ。ほら、しっかり握って」


 そのまま、私たちはお家まで手を繋いで帰った。

 たまにはこういう暖かさも悪くないわね。



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