第7話 / 【闇の細道 4】
「食材をキッチンに置いてくれればあとはゆっくりしてていいですよ」
家に着くと彼女はすぐにエプロンをつけ料理の準備を始める。肩についた髪も上の方で結び、その姿はいつもと違う魅力があった。
「良ければ手伝うけど、何かやることあるか?」
「有り難いですけど先生って料理できるんですか?」
「うっ――卵かけご飯なら得意だよ」
恥ずかしいことに昔からキッチンに立った回数は数えられるほどしかない。大学を卒業し就職したタイミングで一人暮らしになったものの、基本コンビニと牛丼屋にお世話になり弁当も冷凍食品を詰めただけの代物だ。
「男の一人暮らしって感じですね。そういえば先生の弁当って手作り感は皆無だったの思い出しました」
「違うちがう。それは僕が悪いんではなく冷凍食品が美味すぎるのがいけないんだ。我が国の冷凍技術は世界一だからな!」
「たしかに私もお弁当に少し入れますけど、全部は流石にないです。体壊しちゃいますよ」
「……やっぱ自分でやるべきか」
「頑張ってください。でも今日は運んでもらったお礼なんでゆっくりしてください。テレビが退屈なら私とお話しますか?」
「おっ、それいいな。邪魔にならない程度にお喋りしようぜ」
「――ほんともう、そういうとこですよ」
若葉は包丁を手に野菜を切り始める。手元はよく見えないが気持ちのいいリズムが聞こえる。やっぱり相当手慣れてるんだなと感心するレベルだ。
「そういえば勝手にメニュー決めちゃいましたけど、ハヤシライスは好きですか?」
「ああ大好きだよ。小さい頃は甘口カレーでも辛く感じてさ。だから家庭の味と言われたらカレーよりハヤシライスのほうが強いかな」
「それなら良かったです。でもあまり期待しないでくださいね。さすがに先生の家庭の味には勝てそうにないので」
「そんなことないさ。たしかに母さんのも美味いけど若葉も負けてないよ」
「そういうのは食べてから言うもんですよ」
「あはは、ごめん。でも楽しみ過ぎてさ、若葉のご飯は美味しいって千鶴さんや染石から聞いてるから」
「ふふ、先生って意外と子供っぽいんですね」
たしかに好きな食事を待っているときはテンション上がるけど、それより若葉がいつもより笑顔が多めなのが嬉しくて仕方ない。別に普段が暗いってわけではないが、先生の僕にはあまり見せないクラスメイトと話してるような柔らかい表情が新鮮で、見ていてとても楽しい。
「……私の顔になにかついてますか?」
「え!?いや、なにもついてない!」
「ほんとですか?ずっと見つめて……恥ずかしいです」
「ご、ごめん!人のご飯ってあまり食べたことなくてつい気になっちゃって」
「――先生、意外と可愛いとこありますよね」
「そうか?普通だと思うけど」
「大人がオドオドしたりウキウキしたりする姿って可愛いじゃないですか。先生は感情がすぐ顔に出るので特に」
うわー悪い子。そんなこと言うと男ってすぐ勘違いするからやめてさしあげろ……
「それ言わたら若葉もだろ。最初は大人しいと思ってたけど話してみたら表情豊かでさ、仲良くなると可愛い一面たくさん見れて嬉しいよ」
「も、もう、手元狂うんでそういうのはやめてください。まったく、先生だんだんお姉ちゃんに似てきてますよ」
「それはないだろ。あの人みたいに誰にでも好かれる力は持ってないぞ」
「はぁ……自覚がないぶんお姉ちゃんよりも直しようがないですね。ちょっとこっちきてください」
彼女に呼ばれキッチンに移動する。鍋を覗くとほぼ完成してる感じで、香りだけで今にもお腹が鳴りそうだ。
「はい、あーんしてください。味のチェックです」
若葉を小鉢をそっと口元に寄せる。いくら生徒とはいえ、これにはドキッとせざるを得ない。というかお姉ちゃんに似てるといえば彼女も相当なんだよなぁ。
「いや、味見しなくて美味しいのはわかるから……そういうのは、な?」
「なに照れてるんですか。好みわからないとこれからに活かせないんです」
「——これからも、作ってくれるつもりなのか?」
「あ、それは、その……」
自然と出た言葉だったのか、若葉も急に照れ臭そうな表情を浮かべる。
「もう、焦ったいなあ。えいっ」
そういうと彼女は押し込むように小鉢に入ったルーを僕の口に突っ込んだ。それはトマトの酸味が程よいアクセントになり、野菜や肉の旨みとマッチした最高の味わいだった。
「なにか足りないものとかありますか?」
「……いや、めちゃくちゃ美味い。こんなのお家で作れるなんて家族が羨ましすぎる」
「そ、そこまで褒めてとはいってません。味に文句ないなら席に戻ってください」
言われるがままキッチンを離れようとする。しかし冷蔵庫に貼られている一枚の写真に目を奪われついその場で立ち止まる。そこには母親が貼ったものであろう幼き姉妹の写真があり、砂山を作りながら微笑む千鶴さんと黙々と砂を盛る若葉の姿があった。
「どうしたんですか?」
「いや、昔から二人は変わってないんだなぁって思ってさ」
「なにいって——あっ」
若葉の視線にもその写真が映り込んだのか、彼女は鍋から離れ冷蔵庫の前から僕を突き放そうとした。
「……どうしてこう、見てはいけないものばかり見ちゃうんですか」
「別におかしなものじゃないだろ。可愛いし自信持ってくれ」
「そうやっておだてても私の気持ちは変わりません」
「いいじゃないか。これ以外に小さい頃の写真ないのか?」
「あったとしても見せません!」
ぐいぐい背中を押す若葉だが、手の力だけでは無理だと感じたのか体を使って僕をキッチンから追い出そうとする。こっちもなんとか踏ん張ろうとするが胸を躊躇なく押しこまれてるせいで力が思いのほか入らない。おっぱいの力ってすげえな!
「も、もう……いい加減に、してください……」
若葉の方は少し疲れてきたのか吐息混じりの声に変わっていく。あっ、やばい。ここまでいじるつもりはなかったがだんだんあとには引けない状況になってきた。誰か助けてくれ、僕がおかしくなる前に——
「ただいまー。お母さんドジしちゃった。今日はパート休みだったよ——って、あれ?」
「あっ、お邪魔してます」
「お母さん……?」
神頼みをしたところ、ほんとうに誰かが止めに入ってくれた。
しかし、それはよりによって若葉のお母さんだった。
「あら、若葉が男連れてイチャイチャしてる——胸押し付けるなんて大胆ね」
「——ッ!へ、変なこと言わないで!」
お母さんに言われて若葉はスッと距離を取る。この場合は感謝、でいいんだよな?
「あー、しかもハヤシライスじゃない!若葉これ得意だもんね。男心を掴むにはもってこいだね」
「……もう、なんで帰ってきたの。恥ずかしい」
ははーん、もしやこの人、千鶴さんより強敵だな?
※ ※ ※
ハヤシライスが完成すると三人で食卓を囲むことになった。僕と若葉が横並びに座り、それをお母さんがニヤニヤしながら眺めている。なんの罰ゲームだよ……
「まさか先生がうちに来てくれるなんて。千鶴と若葉、二人がとてもお世話になっていると聞いていますよ」
「いえいえ、こちらの方こそ。二人にはとても助けられていますから」
「そう言ってもらえるだけで安心できるわ。というか若葉、いつまでいじけてるの?」
「別にいじけてない。今日はついてないからショックなだけ」
「……もう。ごめんなさいね。昔からすぐいじけちゃうんですよ」
お母さんはそういうも表情を崩さない。絶対なにか勘違いしてるから誤解を解かなきゃな。
「あの、今日は千鶴さんが帰ってこないと聞いてそれで手伝いに来たんです。決してやましいことはなくて……」
「ふふ、それは最初からわかってますよ。こんな真面目な先生が変なことするわけないって信じてますから」
「ありがとうございます。じゃあ、どうしてずっと笑顔なんですか?」
「二人の反応がとっても面白いから!」
うーわこの人隠す気ないようーわ。
「なぁ若葉、お母さんってなに、魔女なの?綺麗な笑顔とは裏腹にすっごく怖いんですけど」
「あのお姉ちゃんでも勝てないと諦める人間です。抵抗せず弄ばれた方が平和ですよ」
「もうひどーい。そんなこと言うなら若葉のアルバム持ってきちゃうよ?」
「や、め、て」
ギロッと擬音が聞こえてくるくらい強い眼光でお母さんを睨む若葉。さすが親というか、娘の逆鱗を一発で触れるスキルを持ってるんだな。マジでいらん能力だと思うけど。
「うふふ、そんな顔しないの。せっかく可愛く産んだのに台無しじゃない」
「……先生、ほんとはゆっくりしてほしかったですけど、お母さんがいつラインを超えてくるか分からないので早めに食べて帰ってくださいね」
「そうだな。さすがに生徒の家でゆっくりするのもどうかと思うし」
「えぇ〜。お母さんもっと先生とお話したいのに〜」
「お母さんは今後先生と話すの禁止。絶対にダメ」
「あらあら、好きな人の事になったらすぐ熱くなるんだから。お姉ちゃんとは正反対ね」
「先生に家の恥ずかしいところを見せたくないだけ」
ふーん――とお母さんはニヤニヤしながら僕を見つめる。なにも悪いことしてないのになぜか変な汗が流れてきそうだ。
「あなたが担任になるまでこの子は人の前で感情をあらわにしなかったのよ?どうやって若葉を落としたのか詳しく聞きたいわ〜」
「いや、落としたなんてそんな……僕はまだまだ力もない教師です。若葉と染石がそんな僕を支えてくれてようやく自信が持てるようになったんです。そう思うと、落とされたのは僕の方だと思いますよ」
「あらま素敵な先生ね。なるほど、この真面目な性格に若葉は惹かれたのね。ま、顔も良いし変な男に捕まるよりかはマシよね〜」
「……さっきから黙って聞いてるけど、私別に落ちてないから。勝手に話進めないで」
「でもあなたが男の人を家に連れてきたのは初めてじゃない。そういうのお姉ちゃんと違って大事にする人でしょ?しかもいつもよりテンション高いし」
「う、うるさい!私だってたくさん笑ったりするもん」
「笑うのは誰でもできるわ。でもそうやって怒ったり不機嫌になるのは心を許して甘えてる人間の前でしかできないものよ。あなた琴音ちゃんと家族の前でしかそういう顔しないじゃない」
「も、もう。黙って食べてよ……」
若葉は頬を染めて再び黙り込んだ。それを見てお母さんはより一層上機嫌になる。私の娘めっちゃ可愛いでしょ――と言いたげな表情だ。
そして、若葉に言われた通り食べ終わるとすぐに帰宅の準備を整える。もともとここまでいる予定なんてなかったし、このままお母さんの前にいるとつい千鶴さんへの気持ちをこぼしそうになるからさっさと退散するか。
「ごちそうさまでした。若葉、お皿は洗っておく」
「いいですよ。水つけてシンクに置いてください」
「まあ、気が回せて偉いわね。そういえばさすがに高校生の若葉にはまだ早いから私がもらっちゃった方が現実的ね」
その発想はたしかに現実的だけど、言葉自体は夢であってほしいんですが。
言われた通り皿を水につけ、そのまま挨拶を済ませ玄関へと向かう。
「先生、ちょっと待って」
靴を履こうとしゃがみこんだ時、後ろから若葉の声が聞こえる。
「今日はありがとうございました。先生がいたから、私頑張れたよ」
「はは、若葉の力になれてよかったよ。こちらこそご馳走様でした」
「……あっ」
若葉は小さく恥ずかしそうな声を上げる。やべ、あまりにも自然に彼女の頭を撫でてしまった。怒られるかな……さすがにこれはやりすぎた。
「先生っていつもお姉ちゃんといるから気づかなかったけど、歳下にもすごく優しいんだね」
「あ、いや、ほんとごめん!つい……」
「謝らないで。すごく嬉しいから」
「おいおい、先生をからかうな」
とは言うものの、僕もそう言われてとても嬉しかった。若葉の笑顔はとても癒しになるし学校とは違う彼女を見れて満足感に浸っている。
「良ければ……その、また来てほしいです。今日はお母さん帰ってきちゃったから追い出すみたいになっちゃったけど、今度はゆっくりお話がしたい。ふ、二人で」
「ああ、手伝えることがあるならまた呼んでくれ。僕も若葉の手料理楽しみにしてるから」
「――へへ、やった」
ここで若葉は今日一番の笑顔を魅せる。純粋で曇りのない笑顔、一瞬見惚れてしまいドキッとしたがバレてないよな……?
「それじゃあ、本当にありがとう。お邪魔しました」
僕か扉を閉めるまで彼女は小さく手を振り見送ってくれた。あまりにも幸せな時間だった。
……それでも、胸のモヤモヤがどんどん大きくなる感じはどうして消えてくれないのだろう。
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