第20話 彼女と俺の接点※

 

「さみ…」


 日も落ちて当たりが暗くなってきた夕方、俺はひとり屋上でタバコを吸っていた。


 世間では恋人達が色めき立つ季節がやってきた。

 屋上から見る景色は壮観だ。街は街灯の灯りだけでなく、この時期ならではのイルミネーションで飾り立てられ、いよいよクリスマスムードも高まって、街中がキラキラと輝いて見える。


 そういえば、ここ最近…4年程クリスマスを一人で過ごしていた事を思い出した。

 改めて意識すると、流石に人恋しくなる。彼女を愛しく想う気持ちでどうにか保てていたが、4年の歳月の禁欲は若い健康な男性にとってはかなりの苦行だ。


 よく耐えてこられたな、と自分で自分を絶賛する。


 俺は人よりも少々特殊な家庭環境で育ったため、愛情に飢えている節があり、人肌の温もりと安心感は、そんな俺の精神を保つためにも必要だった。


 彼女だけを求める心と、誰でもいいから繋がりたい身体との狭間で、揺れ動く。



「はぁ…抱きたいな…もうそろそろ限界…」



 俺はどうにもならない切ない気持ちを、タバコの煙にのせて思いっきり吐き出した。




 屋上から自席に戻ると、机の上には部下達の日報書類の束が見えた。毎度の事ながら、日報チェックが一番時間がかかる。

 時間は定時を少し過ぎたところ。今日も残業だな、と軽い溜息を吐き、日課の締め作業と日報をチェックしていると、この時間には珍しく内線が鳴った。



「はい、三営猫実です。」



 受話器を取ると、聞き覚えのある懐かしい声が聞こえてきた。



「お疲れ様です。一営2課の仲原です。お忙しいところ、すみません。ただいま少しお時間よろしいでしょうか。」



 電話越しではあるが、久しぶりの彼女の声に心臓が跳ね上がる。

 案件専属になってもらってから数ヶ月。もうメールでは何度もやり取りをしているのに、直接電話で話したことがなかった事に今更ながら気が付いた。


 メールにはいつも、


 "内線しましたが、タイミングが合わなかったようなので、メールにて失礼します"


 と言う文言が、添えられていたので、本当にタイミングが合わなかったのだろう。


 お互い売れっ子営業なので、致し方ないとはいえ、こうもすれ違うものか、と苦笑する。

 俺は逸る心を鎮め、出来るだけ落ち着いた声で話をする。



「…はい、仲原さんお疲れ様です。うん、大丈夫ですよ。案件の件かな?」


「はい、新商品のプロモーションの件で、クライアントから相談を受けていて、先程メールも送らせて頂いたんですが…」


「あ、あぁ…メールね。今確認するので、少し待って。」



 仕事の件だとは分かっているが、ドキドキが止まらない。緊張で手には脂汗が滲み、呼吸も心做しか荒くなっていた。

 気を抜くと今にも、好きだ、とか抱きたい、とか口走ってしまいそうになり、メール確認の間だけでも保留にすればよかった、と少し後悔する。


 軽く焦りながらも、該当のメールを見つけ内容を確認し、彼女に指示を与えた。



「…………という感じで大丈夫かな?」


「あ、はい!ありがとうございます!早速明日、クライアントにアポ取って行ってきます。また何かあったら、メールか内線いれますね。」


「うん、よろしくお願いします。では頑張って。」


「はい、ありがとうございました。」


 ガチャ



 俺は受話器を置いた後、両手で顔を多い天井を見上げる。たったこれだけの会話で、胸が高鳴り動悸が止まらない。

 完全に仕事の話のみで、プライベートな会話や色気のある会話等は一切ない。それなのに、一瞬にして感情全てを持っていかれ、頭の中は彼女一色に染まった。


 それと同時に、先程燻っていた劣情と熱が戻り、俺の下半身は彼女に反応し、痛いくらいに昂り熱を持っている。

 思春期の子供ガキかと思うくらい身体は欲望に正直で、自分でも嫌になる。


 俺は彼女の声音を思い出し、自らの分身に触れた。

 この4年間、何度彼女の事を想い慰めてきたか…今日、このタイミングで声を聞いてしまい、もう我慢が出来るはずがなかった。


 彼女の事を考え、熱く猛った自身を手で強く扱くと、凄まじい快感が背筋に走る。



「っく……はぁ…名月…名月…」



 名前を呼びながら手を上下に動かすだけなのに、酷く興奮した。抗えない程の快感が襲い、本能の儘に手を動かす。

 肉棒の先から滴る透明の先走りの露が指を濡らし、扱く手の動きを滑らかにする。

 ぐちぐちと卑猥な音が耳を刺激し、興奮を高めて行った。

 俺の頭の中は、以前会議でみた彼女の姿に支配されている。



 その唇で俺の名前を呼んで

 その瞳に俺を映して

 俺に笑いかけて



 彼女の事を考えるだけで、胸が締め付けられ、どうしようもない程の切ない想いが溢れ出した。頭の芯が痺れ、そろそろ限界が近づく。俺は手の動きを速めた。



「……名月、お願いだ…俺を受け入れて……っうっ。」



 俺の手の中で俺自身が熱く膨張し、そして大量の精を放つ。勢いのあるそれは、一度では吐ききれず、何度も何度も吐精した。

 そして訪れる甘い気だるさと、オフィスでやってしまったという罪悪感。


 俺は短く嘆息し、引き出しを開けウエットティッシュを出す。

 自身を清めながら、情けなさと淋しさに涙が出そうになった。


 俺は彼女が好きだ。彼女しか欲しくない。

 だけど、時折頭を擡げる、どうしようもない淋しさを消すことは出来ない。

 誰でもいいからと適当な女を抱いた事もあったが、抱いた後に訪れる虚無感と狂おしい程の渇きの方が辛くて、それ以来誰ともセックスはしていない。

 人肌を意識したことによって、余計に彼女が欲しくなるのが苦しかった。



「どうしたらいいんだよ……。」



 苦しさと切なさと淋しさが入り混じった、消化出来ない思いを抱えて俺はデスクに突っ伏した。




 ◇◇◇




 彼女から内線のあったあの日から、俺の身体はおかしい。

 今までは極偶にしかしていなかった、自慰が再燃してしまったのだ。


 何回抜いても火照りが治まらず、身体が疼き手が止まらなかった。気持ち良さに溺れ、本能の赴くままに手を動かす。何も考えられず、ただ快感を追うだけの動物みたいな自分に嫌気がさすが、辞めることが出来ない。


 俺はこの日も頭の中で彼女をドロドロに汚した。


 理性などかなぐり捨ててしまえたら楽になれるのに、手放せない俺はまた、今日も罪悪感と淋しさに苛まれる。


 手早くシャワーを浴びて、ベッドに潜り込む。

 広いキングサイズのベッドでの独り寝は、余計に淋しさが増し孤独感だけが募り、気がつくと涙が頬を伝って枕を濡らしていた。



 君が傍にいてくれたら、俺は他には何も望まないのに……

 どうして君は人の物なんだろうか。

 ねぇ、名月。そんなやつ辞めて俺の手を取ってよ。

 俺が何よりも誰よりも大切にするから。



 吐精した後の気だるさからくる眠気に、俺は自然と身を任せた。

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