第16話 瀬田のお願い

 

 あれから、面倒臭いモードになった瀬田のお願いを聞くため、俺は居酒屋へほぼ拉致されるかの如く、連れて行かれた。


 今週中にやらなければならない仕事があるから、と断ったがもちろん聞き入れて貰えず、挙句その仕事のために管理本部から1名サポートを派遣するという話で、さっさと纏められ、断る理由が無くなってしまった。退路を絶たれるとはまさにこの事だろう。


 あれよあれよという間に、個室に通され、目の前に生ビールまで運ばれてきてしまった。

 ここまできてようやく諦めがついた俺は、溜息混じりにボヤいた。



「お前のお願いは碌な事がないから嫌なんだよ。」


「いやん♡猫ちゃんったら褒めても何も出ないわよ♡」



 頭が痛くなってきた…俺は額に手を当て、ガックリと項垂れた。そんな俺を見て楽しそうにくつくつと瀬田は笑った。



「……帰ろうかな…。」


「すまんすまん、揶揄いすぎた。で、肝心のお願いなんだが…さっき、サポートを1名付けると言ったろ?そいつとセットでもう1名引き取ってくれないかというのがお願いなんだが。引き受けてくれるよな?」



 サポートにサポートを付けて寄越すということか。一体何のために?

 要領を得ない内容に首をかしげると、瀬田は実際の詳しい依頼内容を話してくれた。


 サポートのサポートに付くのは管理本部にいる2年目の女子社員。この社員が中々の曲者らしく、仕事の覚えが悪いだけでなく、勤務態度も最悪。平たく言えば、その問題社員を更正させる手伝いをして欲しいというのが、依頼らしい。

 再び頭が痛くなってきた。



「…事情はわかったが、なんで俺が…?」


「お願い聞いてくれるっていっただろ?それに、これは本部長からの指示だよ。あの人基本的にギブテクでしょ?」


「はぁ…すんなり了承したのはこれか。やっぱ見返りなしに要求通すわけないよな。相変わらず食えない狸親父だわ。」



 本部長からのGOは、これありきだったか…


 正直面倒臭い。非常に面倒臭い。と言うより、彼女以外の女に神経を割くこと自体が、死ぬほど面倒臭い。やりたくない。


 しかし、俺の無理な要件を通してくれたのも事実だ。この件がなければ当然断った案件だが、こちらに断る権利は…万に一つもない。瀬田の言う通り、本部長は基本的にギブアンドテイクなのだ。やらなければ次にもし頼み事があったとしても、絶対に聞いてもらえない。


 彼女のためだ、面倒臭い…実に面倒臭いが、仕方がないと受け入れるしか無かった。短く嘆息する。と、ここでふと疑問が湧く。



「問題のある女子社員ねぇ…そんなの瀬田が対応すれば済むことじゃないの?」



 管理本部のメンバーなのだから、管理本部内で対応すればいいのではないか。俺がそう言うと、瀬田の顔からサッと血の気が引き、本気でぶるぶると震え出した。



「いやいや…俺はダメだ。もう既に、言い寄られた。その件で嫁に誤解され…本当に大変だったんだ。その上、変な噂でも立てられてお義父さんの耳に入ったら…真偽は関係なく、俺はきっと社会的に抹殺されるに決まってる。」


「あ、あぁ…本部長お義父さんね。確かにそれは否めないな。」



 瀬田の嫁は本部長の次女の為、本部長は瀬田の義理の父にあたる。

 普段は温和な本部長だが、キレたら非常に厄介だ。加えて、二人の娘を溺愛していることは、営業部全体では周知の事実である。

 娘の為ならなんでもやる親バカな本部長は、娘が傷つけられたら、恐らく表立って何かする訳ではないが、裏から手を回し確実に相手を追い詰めるだろう。


 そんな訳なので、浮気ではなくても、部署の社員と噂となったら血を見ることになるのは明らかだった。

 濡れ衣着せられて、本部長に追い詰められる事を想像して恐慄く瀬田が、少しだけ不憫に思えてくる。まぁ、俺には関係ないが…


 瀬田いわく、管理本部のリーダー以上の男性役職者は、ほぼ全員がその女子社員に言い寄られ、管理本部ではお手上げ状態とのこと。

 そこで最近浮名を流していない俺に、白羽の矢が立ったのだろう。なるほど、俺への社員更正依頼は、瀬田から本部長への進言があっての事だったのかと得心した。



「はぁ…本当にお前は俺を面倒事に巻き込むよな…ていうか、言い寄られたってどういう事だよ。」


「そのままだよ…もうね、あからさまな媚び。馬鹿な男は煽てられて言うこと聞いちゃうけど…偶然を装って待ち伏せされたり、手作り弁当やらスイーツとかの差入れとか。何しに会社来てるんだって感じよ。オンナ全面に出してきて、もう色々とゾッとする。」



 一時期、俺と一緒に合コン三昧だった程の女好きな瀬田が、震え上がる程とは一体どんな事をされたのか…全く興味が湧かない俺はそれ以上の追求を辞めた。



「ていうか、そういう女の扱いは猫ちゃんがピカイチでしょ?だって君、社内と面倒くさい中身カラッポ女には手を出さないもんね。」


「……惚れた女は別だけど。」



 しまった!と思った時には時すでに遅し。思わず出た俺の本音に、瀬田ががっちり食いついてきた。



「それな、それも聞きたかった!なぁ、惚れた女って社内だろ?で、誰だよ?俺の知ってる人か?」


「……教えねーよ。」



 俺はそれだけ言うと、内心はバクバクしていることを隠し、涼しい顔を装ってタバコをふかした。

 その様子に、先程まで蒼白になっていた瀬田が、今度は意味ありげにニヤリと笑い、戯けるような口調で言った。



「またまた連れないねぇー。あ、でも俺心当たりあるぞ?えーと、確か…"なつき"だっけ?」



 瀬田の言葉に俺は一瞬固まった。

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