第15話 黒猫は策を弄する
あの日から何となく胸のつかえが取れない。
裏切られたのは俺ではないのに、鈴木に対しての怒りが収まらず、頭の中で何度殴りつけたかわからない。
ただ、怪我の功名ではないが、その事をきっかけに俺の中で燻っていた気持ちが固まった。
彼女の幸せを願い見守るつもりだった俺の気持ちは、如何にして彼女を手に入れ、幸せにするかという方向へ一気に転換した。
そうなると、彼女を渇望する気持ちが以前よりも大きくなり、胸が痛む事も増えたが、その甘い痛みですら今は愛おしい。
これからの行動方針も定まったのは良かったのかもしれないが、彼女の気持ちを思うと、気が晴れることはなかった。
俺の仕事は相変わらず忙しく、連日連夜日付が変わるまで仕事をしても追いつかない程で、さすがの俺も忙殺される寸前だった。
仕事も恋愛も上手く事が運ばず、悶々とした日々が過ぎていく。
会いたい気持ちだけが募っていった。
◇◇◇
週の中日、水曜日は一日外出で帰社した時間は19時半。定時はとうに過ぎていた。流石にノー残業デーだけあって、オフィスには人は疎らに残っているだけだった。
自席に戻ると、デスクには新規の仕事とまだ手付かずの書類が山のように積まれている。それらの納期を見て思わず溜息を吐く。
新規の仕事以外に、手付かずだった今週中に仕上げなければならない提案書と見積もり、契約書関連が数件…どう考えてもオーバーフローだ。
まず、手付かずの書類の一部をサブマネ3人に振るとしても、まだまだ仕事が残る。どう考えても、俺一人で回せる仕事量ではなく、週末まで残り2日で終わらせられる量ではなかった。
さてどうしたものか。休日出勤やむなしか?
考え過ぎて少し頭が痛くなってきた。気分転換に屋上へ夜風に当たりにでると、ひんやりした空気が頬を撫でる。
タバコをふかしながらあれこれ思案していると、この時間には珍しく、同期で管理本部のサブマネージャーの
端正な顔立ちで一見冷たくお固く見えるが、話してみると口は悪いが非常に気さくで砕けたやつで、同期の中でも数少ない友人だ。
「よっ!猫ちゃん最近調子どうよ?」
瀬田は普段見せている鉄壁のポーカーフェイスを崩し、人懐っこい笑顔を浮かべながら、つかつかと大股で隣にやってきた。
「瀬田か…珍しいな。禁煙中じゃなかったか?」
「はっ!禁煙なんて辞め辞め!ただでさえ仕事でストレス溜まるのに、この上、禁煙のストレスなんて俺には耐えらなかったわ。」
「さよか。」
瀬田は楽しそうにくつくつと笑うと、俺の胸ポケットから勝手にタバコを抜く。
俺は苦笑いしながらライターを差し出すと、瀬田はライターを受け取りタバコに火を着ける。深く一口吸いこみ、煙を吐き出すと、やっぱうめーな、といいはにかんだ。
昼間ならまだしも、この時間に屋上に人が来るのはそうそういない。もちろん瀬田もだ。その瀬田が来たということは恐らく俺に用事があったのだろうが、そんな素振りをみせず、ポーカーフェイスの瀬田は美味しそうにタバコをふかしていた。
俺は、タバコの煙を吐き出しながら瀬田に尋ねた。
「瀬田。ここに来る、ということは俺を探してたんだろ?で、何か用か?」
瀬田は表情を崩さず、手に持ったタバコを咥えまた深く吸った。相変わらずのポーカーフェイスだ。
「んー、用って程でもないんだけど……そーいや猫ちゃんさ、オンナでも出来た?」
「は?突然なんだ?」
「いやさ、最近、合コンにも飲み会にも全然顔ださないじゃん。あんなに女をとっかえひっかえしてた猫ちゃんが、最近大人しいからさ。」
そう言うと、瀬田は先程までのポーカーフェイスを崩しニヤリと笑った。
俺は瀬田の唐突な言葉に、意味がわからず目をぱちくりさせる。なんだ、本当に瑣末な用事だったらしい。
確かに、彼女と出会う以前の俺はセックス出来れば誰でも良かった。不毛だと思いながらも、肌を合わせる心地良さに抗えず、手当り次第に手を出したことは否めない。
…うん、屑だな。
とりあえず反省する。が、未だ話の意図がみえない。
瀬田は顔をニヤニヤさせたまま、更に俺に探るような視線を向けながら言った。
「俺はてっきり
「…別にそういうんじゃないよ。ただ、仕事が忙しいだけ。」
女はいないが惚れてる相手がいる、とはいえなかった。瀬田の事だ、どうせ面白おかしく揶揄われるに決まっている。仕事が忙しい事も事実だし、嘘は言っていない。悟られないように素っ気なく言うも、瀬田はニヤニヤ顔のままだ。
勘のいい瀬田の事だから何か気がついたのかもしれない。俺がなんと弁明するか、あれこれと考えを巡らせていると、何かを察した瀬田が先に口を開いた。
「ふーん。なぁ、社内だろ。もうヤッた?」
「ヤる以前にそもそも認知すらされてない。」
サラッと告げると、瀬田は吃驚したのか、口をあんぐり開き思いっきり目を見開いた。
俺の態度から相手が社内の人間だと気付く洞察力はさすがだ。ただ、先程からの下世話な発言に少々イラついていた俺は、子供じみているとは思ったが、反撃のつもりで思いっきり嫌味を言ってやる事にした。
「ははっ、マヌケ顔だな。色男が台無しだ。」
「いやいやいや?!お前嘘だろ?!あの、お前が?!まだ手を出していない?!てか認知されてない?一体どういう事だ?!どんな女でも、お前が一言抱かせろと言えば、みんな喜んで股開くだろ?!」
心外だ。抱かせろなんて言わなくても、抱いてくれって縋りつかれる事が大半だ…という言葉が喉まででかかったが、これ以上は薮蛇なので、俺は言葉を飲み込んだ。
代わりに、瀬田をジト目で睨めつける。
「瀬田……お前には俺がどんな人間に見えてるんだ?」
「んー、女ったらしのプレイボーイ……な野良猫?」
俺の嫌味な視線など何処吹く風で、真顔でサラリと暴言を吐く瀬田に軽く殺意を覚えるが、本人は至って真面目で一切悪びれる様子はない。
その清々しいまでの毅然とした表情に俺は脱力し、毒気を抜かれた。
まぁ、事実だったから反論は出来ないが…短く溜息を吐く。
「はぁ…そんな事を言うために俺を探していたのか?」
「いや、単純に心配だった。最近のお前の数字をみると無理しているように見えるぞ。昔は女に逃げてたが、今は仕事に逃げてるのか?」
「…本当に忙しいだけだよ。マネージャーはやること多いんだよ。お前と違ってな。」
「へー、さようですか。そういう嫌味を言うやつには、本部長からの伝言は伝えないでおこうかな。待ちわびてるかと思ってわざわざお前を探して来たのになー。あー、無駄足だったなー。」
態とらしく拗ねた様子を見せる瀬田の言う、本部長からの伝言…それは、
という要望に対しての返答だろう。瀬田の言う通り、とても待ちわびてた。それはそれは首を長くして…
俺は、ウジウジ拗ねた真似をする瀬田を無視して、本部長からの返答内容を促す。
「それで、本部長はなんて?」
「いやっ!猫ちゃん、冷たいから教えてあーげない。」
瀬田はそう言ってぷいと横を向く。揶揄っているのはわかるが、面倒臭いモードにスイッチが入った瀬田は、こうなると暫くウザイ。延々とぶりっ子の真似をして、ウザ絡みをしてくる。とりあえず機嫌をとって早く返答を聞きたい所だ。
「はいはい、俺が悪かったから…早く教えてくれ。頼むよ。」
「えー?じゃあ、渉のお願い聞いてくれる?」
「うー…わ、わかったから。で、本部長はなんて?」
俺の言質を取った瀬田は、いったな?、と言い、片口角を上げて不敵に笑った。ぶっちゃけ嫌な予感しかしない。
「本部長から、"お前の提案を了承した"と。ただ、表向きは、"お前の案件はお前が担当指名する事になった"と発表するそうだ。それでいいか?だと。」
本部長からの望んでいた通りの返答に、俺は心の中で快哉を叫んだ。どうあっても絡まなかった俺と彼女に、ようやく出来た接点に、俺は歓喜で震えた。
ここからだ、ここから彼女の外堀を徐々に埋めていき、最終的に彼女を手に入れる。
自然と頬が緩んでしまう。きっと緩みきっただらしのない顔になっているんだろうが、そんな事に構っていられなかった。
「それで猫ちゃん、ニヤニヤしている所申し訳ないけどぉ、渉のお願い聞いてくれるんでしょー?」
隣から気持ちの悪い猫撫声が聞こえてきた。しまった、瀬田の事をすっかり忘れていた…。
振り向くと俺以上にニヤニヤした瀬田がいた。
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