第9話 黒猫は懐かない
「
そう言って、付き合ってた女に公衆の面前でいきなり殴られた。正直なんで殴られたのかわからない。
合コンで知り合って、何回か一緒に食事してセックスして。
寂しいって言われれば慰めてあげて、好きって言ってって言われたから好きって言った。
欲しい時に欲しい言葉だってかけてあげたのに、何で俺が殴られなきゃいけない?
他人に興味なさそう
壁がある
何を考えているかわからない
気まぐれ
学生の頃から言われ続けてきた言葉だ。
だから、社会人になって早四年、必死に対人スキルを磨いた。
親身で親切
人あたりがよくフレンドリー
話題に富んでいて気が利く
気遣いできて優しくて面倒見がいい
本音を綺麗に隠して、建前だけを全面に出せば、気さくで話しやすい、親切で気遣いできて面倒見がいい人物と評価された。
その結果、グングン営業成績も伸びて、スーパーエースとか言われるようになったけど、結局外面だけ取り繕っても、本質なんてそうそう変わるもんじゃない。
どうやら俺には、人の気持ちを理解する機能が決定的に欠如しているのかもしれない。
でも、そんな事は心底どうでもよかった。
別に他人を理解したり、他人に理解されたりする必要性を感じた事がなかったから。
誰かと馴れ合いたかったり、人肌恋しくなったら適当に相手を探してセックス出来ればいい。
相手が一晩限りの遊びを望めばその場限りだし、彼女という立場を望めばそれなりの付き合いはする。
だが、会うのは絶対に外だし、セックスするならホテル。どんな理由があっても、自分の部屋に入れるなんて以ての外だ。
必要以上に自分の事は語らないし、相手の事も興味が無い。
誰にもパーソナルスペースには立ち入らせない。
そんな俺を何かに例えるなら、懐かない野良猫みたいなやつ、らしい。名前も『
それにしても……
「…ってぇ。バッグで殴るのは反則だろ…」
バッグで殴られてメガネが吹っ飛んでどこかに行ってしまった。まぁ、メガネは伊達だからいいとして…
問題は顔だ。女がバッグに付けていたキーホルダーか何かが引っかかったのか、頬に結構深めの引っ掻き傷が出来ていた。血が滲んでヒリヒリする。
営業マンは見た目が全てと言われているわけで…
この傷は明らかに人為的に付けられたものだから、結構なマイナスイメージになるなぁ、猫にでも引っかかれたとか言い訳するかな、と溜息をつく。
「あの…大丈夫ですか?」
不意に後ろから声をかけられ振り返ると、リクルートスーツに身を包んだ女の子が心配そうに立っていた。
一瞬ドキリとした。
まだ学生であどけなさが残っていて、可愛らしい顔立ちをしていたが、意志の強そうな綺麗な瞳が印象的で…その瞳に心臓を鷲掴みされた。が、しかし、瞬時に打ち消す。
いやいや、就活生って、まだ
それに本音をいうと、いきなり話しかけられるとか、面倒くさいことこの上ない……適当にあしらって、さっさとどこかに行ってもらおうと思った。四年間培ってきた外面建前で武装する対人スキルが、こういう時に役に立つ。
俺はニッコリ人好きのする笑顔を浮かべて受け答えした。
「あ、もしかしてさっきの見てた?」
「え?さっきのって……何があったんですか?」
どうやらさっきの修羅場を見ていた訳ではなさそうな雰囲気。 さっきの見てた訳じゃないのに、一体何の用があって話しかけてきているのか、的を得ない返答に若干のイラつきを覚えるが、外面被って、あくまで優しく紳士的に尋ねる。
「え?あれ?じゃあ俺に何か用でもあるのかな?」
「えと。顔…怪我大丈夫ですか?血が出てたから。私も怪我良くするので、良かったら…」
何かを差し出してきたので、手元を見ると、ポケットティッシュと消毒液…それと可愛らしい絆創膏。
びっくりして女の子の顔を見ると、純粋に心配そうな表情で、他意は感じられない。
え?どういうこと?
訳が分からず絶句していると、その子は続けて言った。
「傷残ったら大変だから、すぐに手当しましょう?私やります。あ、でもこのままだと届かないので…あ、そこの公園のベンチに行きましょう。」
その女の子はこちらの返事も聞かないうちに、ベンチに向かってスタスタ歩きだした。
俺は毒気を抜かれぽかんと立ち尽くしていると、
「何してるんですか?早くこっち来てください。」
「あ、あぁ…はい。」
と手招きまでされる始末。
途端に可笑しくなって吹き出してしまった。いつもだったら、スマートにやんわり断る所だが、なんだかよく分からないけど、他の女達に感じるような媚びや悪意も下心も感じない。彼女から感じるのは純粋な善意のみだったし、これなら流されてもいいかな?という気持ちになる。
ここは大人しく従うか、そう思ってベンチまで歩を進めた。
◇◇◇
ベンチまで行くと、さっきの女の子がティッシュに消毒液を染み込ませていた所だった。
あー…それ知ってる…痛いやつだよね?
痛みが想像できるだけに身が竦み、顔が強ばるが、そんな事はお構い無しに、女の子は消毒液付きティッシュを顔に近づけてくる。
「ちょっと滲みますよ…」
「…いつっ!」
ほらみろ!やっぱり痛いじゃないか!と、無言で非難めいた視線を投げると、女の子はとても申し訳なさそうな表情でしゅんとした。子犬みたいなその姿に逆に、ごめん…と申し訳なさで胸が痛くなる。
そのまま、女の子はしょんぼりしながら、ポーチから化膿止めの軟膏を取り出した。
「化膿しちゃうと、痕になっちゃうので…これ塗ってもいいですか?」
「いいけど…なんでそんな用意がいいの?」
単純な興味から投げかけた他愛のない質問だったが、明らかに女の子の顔が曇ったので、質問をしてから、しまった!踏み込み過ぎたかと後悔した。
完全に他人のパーソナルスペースに入り込み過ぎた。
だけど、不思議と嫌な感じはしていない。いつもは凄く嫌なのに。
「あ、別に言いたくなければ言わなくて大丈夫だよ。」
とりあえず、一応フォローはして置く。
俺の言葉に、嫌ではないです、と女の子はふるふると首を横にふり、俺の顔に軟膏を塗りながら、ポツポツと話し始めた。
なんだか長くなりそうな予感がしたが、聞いてあげたいと思った。
「今、就活してるんですけど、実はあまり人と話すのが得意じゃないんです…」
「そうなの?全然そんな風には見えないけど?」
「…はい。実はサークル活動もあんまりしてなくて…だからあまり人と関わらなくてもいい事務系のお仕事にエントリーしてるんですけど、面接行くとやっぱり緊張しちゃって。20社程受けましたが、今のところ全滅です。」
「そっか…それは大変だね。」
「ははは…なんでダメなんでしょうね。面接も説明会も沢山の回ってるんですが。あ、それで、歩きすぎて靴擦れとかマメがよく出来るので応急処置が出来るように、一通り持ってるんですよ!」
最後は明るく振舞ったが、その表情は今にも消えてしまいそうな程で、意志の強そうな瞳に暗い影を落としている。
20社か…うん、軽く、いやカナリ凹むな。
「それに、私、早くに両親亡くしてて…育ててくれたおばあちゃんを心配させたくないんですよね。」
「そっか…」
いつもだったら何とも思わないし、適当に取り繕って終わりにする所だが、この子に関しては不思議と何とかしてあげたいという気持ちが湧いたのは何故だろう。
自分に何ができるだろうか考えている間に、女の子は軟膏を塗り終わって、絆創膏を貼ってくれた。
「はい、出来ました!よかったら、この軟膏差し上げますので、治るまで塗ってくださいね。」
そう言って、女の子はベンチを立つ。このまま帰してはいけない気がして、咄嗟に俺はその子の腕を掴んだ。
「待って!」
吃驚して振り返った女の子のその瞳は涙に濡れていた。俺は、呼び止めたはいいが、何も考えていなかった事に気が付き、パッと手を離した。
「とりあえず、座って待ってて。」
目の前にコンビニが見えたので、そこに走る。
女のために、自らの意志で走ったのはこれが初めてだ。自分でもなんでここまでするのか全くもって理解出来ないが、なんとなく、そうしないといけない気がした。
コンビニに到着し、急いで目当ての物を探す。
こんな事してるうちに、居なくなってしまうのではないか、気が気でなかった。
新しいハンカチと…えぇと、女の子って何飲むの?水?お茶?うーん、わかんないから水でいいか。
ハンカチと水と自分が飲むコーヒーを買って、急いでベンチに戻ると、律儀にも女の子は座って待っていてくれた。俺は安堵の溜息をつく。
「よかったら使って。」
そう言って、膝の上にハンカチとペットボトルの水をポンと置くと、女の子は吃驚して顔をあげ、可哀想なくらい恐縮した。
「え、こんな、悪いです…」
「えぇ?これは手当してもらったお礼だから、気にしなくていいよ。」
本心だった。いつもの外面でも、建前でもなく。
ニッコリ笑顔を向けると、女の子は小さく、ありがとうございます、と言ってハンカチを目にあてた。
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