第5話 今月も営業部全体MTGがやってきた
あの悪夢のような会議から1ヶ月、今月も営業部全体MTGの日がやってきた。
ジャケットの人は未だに見つかっていない。内線でかかってくる人達の中にはいなかったので、私は関わったことの無い人なのかもしれない。
そんなこんなであっという間に1ヶ月が過ぎてしまっていた。
借りたハンカチは勿論、お礼で新しいハンカチも用意した。いつ出会ってもいいようにカバンに忍ばせて持ち歩いているが、そんなチャンスは訪れず。
全体MTGであれば、もしかしたら会えるかもしれない、という僅かな希望にかけて、私は前回同様、最後尾の一番角の席に座った。
またこの席に座る確証なんてないのに、些細な可能性に縋るなんてらしくないとはわかっているのだが、他に可能性はないのだから仕方がない。
今日も夕暮れ時の空は綺麗だ。空を眺めながら、ジャケットの人を思う。
心地の良い声のトーンと背中を撫でてくれた手の優しさにどれだけ救われたか。
元恋人の心無い仕打ちに傷つき疲弊しきった私には、あのたった一度の邂逅が、砂漠で見つけたオアシスのように、癒しと安らぎを与えてくれた。
だから、どうしても名前が知りたかったし、会って話がしたかった。そして、もっとその人を深く知ってみたいと思った。
やがて時間になり、会議の開会が宣言され会議が始まった。
しかし、会議が始まってもジャケットの人は現れなかった。
同じ席に座るとか、都合のいいこと起こらないよなぁ…
よくあるドラマや恋愛小説みたいな奇跡なんてこと、現実では起こるはずもない、私は嘲笑し、小さくため息をついた。
◇◇◇
今日のアジェンダの主なトピックスは、4月入社の新卒社員の配属についてだった。
まず、新卒社員は2ヶ月の全体新人研修の後、配属先が決まる。
それから更に配属先で1ヶ月OJTを経て正式配属となるため、予め、研修に割ける役職者やOJTにつける社員などの選定を行わなければならない。
新人研修の後、どのくらい残るかにもよるが、今年の営業部への配属予定人数は150名前後。
第一営業部の配属予定は約50名、各課10名ずつの分配になり、1~5課合同で午前中営業研修をして午後からOJTとなる。
研修担当の役職者は、研修期間の1ヶ月間はほぼ研修と資料作成に追われ、業務後も、新卒社員達の質問攻めに合うため、通常業務が滞る。そのため、新規の案件はほとんど回せない。
また、既存の仕事の中でも、他の人に割振る物を選別し、担当も選定しなければならない。
そして、選ばれたOJT担当の仕事もある程度調整しなければならないしで、やることは盛りだくさんだ。
本来であればサブマネージャーとして、選定の中心にいなければならなかったが、末席にいるため話の流れが掴めない。流石にこの時ばかりは、この席を選択したことを後悔をした。
あー…今日はマネージャー席に行かなきゃダメな会議だったなぁ…
仕方がないので、後日開かれる第一営業部の部会で色々聞けばいいか、と高を括っていた。が、しかし、何やら話の雲行きがだんだんと怪しくなってきた。
第一営業部の研修担当になんと私の名前が上がったのだ。
ちょっと待て、それは私には荷が重い。確かに、営業成績は良い方だ。だがしかし、名プレイヤーは名監督にはなれないという言葉があるだろう。
私は名プレイヤーであって、名監督ではないし、なれないのだ。
以前、OJT担当になった時に担当した女の子の育成に失敗した経験がある。
「みんな、仲原さんみたいに出来ると思ったら大間違いです!」
痛烈な一言に、当時とても凹んだ事を思い出した。
素質があったから、ちょっと厳しい指摘をしただけで泣かれ、この一言である。おだてて甘やかせてやらないとダメだったのだろうか。研修修了前に、色々理由を付けて異動願いを出され、その子は総務部へ異動した。その先は知らないが…。
当時のマネージャーは私の所為ではない、と言ってくれたが、流石に自分の不甲斐なさと力不足に暫くは立ち直れなかった。
そして次の年には、担当した男の子に勘違いさせてしまって、危うくストーカーを育ててしまう所だった事も…。
というわけで、私程、研修担当に向いていない人材はいないと思われるため、是非ともお断り申し上げたいのだが、如何せん、末席にいるわけでお断りすら出来ない。
こんな遠くから異議を申し立てることも出来ず、会議が進むに連れて、私が受け持つことがほぼ確定となってしまった。
もしかしたらジャケットの人に会えるかも♡、と浮かれて末席に座った自分を心の底からぶん殴ってやりたい。
大変なことになってしまったと頭を抱えて青くなっていると、隣の椅子がギシッと音を立てた。誰かが座ったのだろう。
もしかして、ジャケットの人かも、とも思ったが、今の私はにはそれどころではなかった。
研修担当をどうやって断るか、どうしたら断れるのか、いや、寧ろ他にもっと相応しい人はいないのか…絶賛、頭の中の人物ファイルを高速で確認中である。
うんうん唸る私の横で、不意に隣の人が笑った。ふわっと以前嗅いだことのある香りがした。
「ふふっ、今日は泣いてないと思ったら、今度は百面相?」
その声、その香り…間違いないその心地よいバリトンボイス、心地のいい香り、探しても見つからなくて会いたかった人。
ぱっと振り向き、横にいる人物を確認する。
!!!!
思わず指さしてしまったその先には、頬杖をついてこちらを見ている、人好きのする笑顔をした男性がいた。
私より少し年上だろうか。落ち着いた雰囲気で、ふわっとした猫毛をワックスで遊びを持たせつつ、ビジネスマンとして不快な印象を持たせていない、寧ろ好印象だ。
黒縁のセルフレームのメガネもお洒落でとてもよく似合っていた。
「ジャ、ジャケットの人!!!!」
「ふはっ、何それ?ジャケットの人?それって俺の事?」
失礼にもいきなり指さしたことを気に留める様子もなく、隣の人は破顔した。
どこかで見た事はある…が名前がどうしても思い出せない。こんなイケメン、お知り合いなら絶対に忘れないはず。
いくら考えても、人物ファイルに合致する人がいない…困った。
あ、でも、そんなことよりお礼をしなくては、と思いなおし、私は徐ろに鞄をガサゴソと漁り、底の方から、綺麗にラッピングされた袋を取り出した。
隣の人は私のそんな様子を見て楽しそうにくつくつと喉を鳴らして笑う。
「あの、その節はお世話になりました。ハンカチ汚してしまったので代わりに用意しました。」
私は、袋を隣の人に差し出した。私の思いがけない行動に隣の人は目を丸くした。
「あー、なんだ、そんな事気にしなくてよかったのに。」
「いえ、キチンとしたかったので。本当にありがとうございました。」
「ふぅん。ちゃんとしてるんだね。じゃあ有難く頂戴するね。」
そう言って隣の人は私から袋を受け取り、ありがとう、と笑顔を向ける。
折角、お近づきになれたついでに、名前を聞いても失礼には当たらないだろうと、勇気を出してできるだけ丁寧に名前を尋ねてみる。
「後、えと、すみません…今後仕事で関わるかもしれませんので、失礼ですが、お名前伺ってもよろしいですか?」
すると、彼は答える代わりに名刺を差し出してきた。
何故名刺?と思いつつ受け取った名刺に目を落とすと、びっくりして目玉が飛び出そうになった。
第三営業部 3課マネージャー
そこにはハッキリとそう書かれていた。
受け取った名刺を見て固まっている私を見て、猫実さんは楽しそうに笑う。
「俺の事知らないとか、逆にびっくりなんだけど。俺は君の事知ってるよ。
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