第4話 営業部全体MTG
予定していたクライアント訪問を終え、会社に帰社したのは15時少し前。
本来ならもっと早く帰社できたのだが、会社でバッタリ出くわすのも嫌だし、とにかく強制的に顔を合わせる営業全体MTGに出たくなかった。
そのため、訪問出来そうなクライアントに片っ端から連絡をしたのに、結局アポイントは取れなかった。
ならばと、外でも出来る仕事をピックアップしてこなし帰さ社を遅らせたが…
結局ネタ切れで会議前に帰社する羽目になった。
気が重い…ひたすら気が重い…。
生理痛酷いっていって早退しようかな…生理じゃないけど。
自他共に認めるワーカホリックが、仕事をサボりたいと思うことなど今まで一度もなかった。
しかもたかが失恋である。
恋愛とは、ここまで人を振り回すのかと、嘆息する。
恋愛なんて百害あって一利なし!
しばらくは恋愛は懲り懲りなので、遠慮させていただきましょう。
仲原 名月は仕事に生きます!キリッ!
自分で言っておきながら、何が仕事に生きるだ、今しがたサボろうとしてた口が何言ってんだかと、二転三転する自分の優柔不断さに自嘲気味に笑いつつ、再び嘆息する。
心の底から行きたくないが、仕方がない。やっとの思いで、重い腰をあげ、のろのろと会議の支度を始めた。
◇◇◇
さて、悪夢の会議の時間がやってきた。
重い気持ちを引きずりつつ、どうか誠治に会いませんように、と祈りながら大会議室に入る。
縦長の会議室は、正面にスクリーンとプレゼン席があり、横に営業統括本部長、部長席が用意されている。
司会者はプレゼン席、マネージャーとサブマネージャーは前の方に席を用意されているが、今日は行く気になれず、死角になりそうな、最後尾一番角の窓側の席に着席した。
地上25階の壁一面の大きな窓から見る景色は、地上から見るよりも空が近く感じる。夕暮れ時は特に綺麗で、濃いグラデーションに吸い込まれそうになりながら、私は暮色蒼然とする空の変化をぼんやりと眺めていた。
先程会場入口にて配布されていたアジェンダをパラパラと確認したが、とりたてて重要そうなトピックスはない。
今日はまともに会議に参加出来そうにないので、早々に壁の花を決め込む事にした。
各々が周りの人とコミュニケーションを取っている中、私はポツンとひとり窓の外をみていた。
ふと会議室を見渡すと、先程までは疎らだった人も、会議が始まる頃には、前の方から7割程度空席が埋まっていた。
やがて、ザワザワしていた会議室が静かになり、いよいよ会議が始まるという時、営業統括本部長…以下、本部長と呼ぶ…が司会席に向かい、司会者に何やら耳打ちをした。
そして、司会者が会議の開会を告げると、本部長が司会席にたった。嫌な予感がする。
本部長が水を一口飲み、マイクを取った。動悸が激しくなり、手に脂汗が滲んだ。
「えー、会議を始める前にお祝い事の報告があります。第二営業部 鈴木 誠治くん、管理本部宮田さんとの婚約おめでとう!!!」
嫌な予感は的中した。誠治の婚約発表だった。
営業部内の社内結婚の場合、この全体会議で祝辞をするのが慣例となっている。
まさか誠治の相手が社内、あろう事か営業部内だったとは知る由もなかった。しかも、相手の宮田さんは、見積もりや契約書作成時、私もよくフォローをお願いしていた顔なじみの人だったので、相当ショックだった。
それにしても、金曜日に別れ話して月曜日に婚約発表とは、いくらタイミングがよかったとはいえ、誠治らしからぬ根回しの良さだ。
それとも、もしかすると、誠治の婚約は以前から決まっていたのか。
そう言えば、誠治は金曜日の別れ話の時に、結婚する、と断言してたような気がする。
宮田さんからも、プロポーズされて結婚する、と先月惚気られながら聞いた事を思い出した。その時、私もそろそろかも〜とかなんとか言ったような、ないような…。
そして、全ての状況から、私と別れたのは、宮田さんと婚約したからだったのだと悟る。
これでもし、宮田さんに振られたら?私にプロポーズをした?
否、所詮私はキープだったのだから、きっとしなかっただろう。
全く馬鹿にしているにも程がある。
そう思ったら、言い様のない怒りがふつふつと湧き上がってきた。
怒りと悔しさと何だかよく分からない感情がごちゃ混ぜになっていると、本部長から祝辞を受けた誠治が立ち上がり、前に出てお辞儀をする。会場から湧き上がる拍手の中、誠治の顔はとても幸せそうだ。
その姿にどうしようもなく胸が痛くなり、涙で視界が滲んだ。
泣くまいと思えば思うほど、ポロポロと涙が出た。幸いにも最後尾の一番角の席で、周りに人はいない。見られていないことをいい事に、俯いて声を殺して泣いた。
「よかったらこれ使って。」
頭の上から男性の少し低めのバリトンボイスがしたと同時に、膝の上にポンとハンカチと水が置かれる。
そして、その男性は隣の席に着席した。
お礼を言うため顔をあげようとすると、いいから、とやんわり制止され、代わりに頭からジャケットを被せられる。
「誰にも言わないから。泣くだけ泣いてスッキリしたらいい。」
その言葉をきっかけに、張り詰めていた糸が切れた。
とめどなく涙が溢れて止まらなかった。
その間、隣の人は黙って背中を撫でていてくれた。
◇◇◇
ひとしきり泣いて、気持ちも随分と落ち着いた。
差し入れられた水のボルトのキャップを開けて、口に運ぶ。
沢山泣いたからか、酷く喉が乾いていて、ごくごくと一気に半分程まで飲んだ。
周りを見ると既に会議は終わっており、皆、部署に戻るためバラバラと退室をしている最中だった。
ふと隣をみると、既に退室済みでもぬけの殻だったが、背もたれに付箋が貼ってあった。
" ジャケットはそのまま置いておいて下さい。"
丁寧な文字でそう書いてあった。
名前の記名はなかった。
お礼…言いそびれちゃったな…
自分の事でいっぱいいっぱいで名前を聞くのを失念してしまった。泣くことに夢中になりすぎて、心底申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
とはいえ、会議に出ていたいたのは役付なので、しらみ潰しに当たって行けばいずれわかるだろうと気持ちを切り替える。
沢山泣いてスッキリしたおかげで、少しばかり持ち直せた。
退室も概ね済んできたところで、私も退室をしようと立ち上がり、借りていたジャケットを畳む。
ふわっとタバコの匂いと混じって、どこかで嗅いだことのあるいい香りがした。
この香り、どこかで嗅いだことがある…
どこで嗅いだか思い出せないけど。
どことなく安心する香り…疲弊した私の心を包み込んでくれるような気がして、思わず畳んだジャケットに顔を埋めた。
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