お返し

 バレンタインから数日後。浬は一つの悩みを抱えていた。


 とても大きな悩みで、ここ数日は暇さえあればどうしたものかと頭を悩ませている。


 その悩みというのは、数日前のバレンタインのことだ。あの時浬は由香里からバレンタインチョコをもらったわけだが、そのお返しは何がいいのかとずっと悩んでいる。


 実は毎年深雪がお返しを催促してくるので、ホワイトデーにお返しをすること自体は慣れている。大抵の場合、ホワイトデー用のちょっとお高いお菓子で済ましている。


 しかし由香里のくれたチョコのクオリティを考えると、深雪の時のように適当に済ませるのは気が引ける。


 かといってあまり高価なものを送っても、由香里は困ってしまうかもしれない。丁度いいラインの見極めが必要だ。


 ただ一つだけ問題があるとすれば、それは由香里は何かほしいものなどあるのだろうかという点だ。数ヶ月一緒に暮らしているが、彼女はあまり物欲がないように見える。


 いくら考えても結論はでなかったので、意を決して本人に訊ねることにした。


 家に戻ってから夕食を作り始めるまでの決して長くはない時間。今日はいつもより冷え込んでいたせいか、ソファーでミルクティーを飲んでいた由香里と少し距離を置いて座ると、ゆっくりと口を動かす。


「九重、今は何かほしいものとかないか?」


「ほしいもの……ですか?」


 浬の問いかけに、由香里は目を瞬かせた。


「随分といきなりですね……何かありましたか?」


「別に大したことじゃない。この前のバレンタインにチョコをもらっただろ? そのお返しは何がいいかと思ってな」


「お返しなんてそんな……悪いですよ。あれは私が御手洗君に渡したいと思って作っただけですし……」


「そんなの関係ない。人から何かをもらったなら、お返しをするのは当たり前のことだ。九重は遠慮なんかしなくていいんだよ」


 そもそも人からもらっておきながら何も返さないというのは、人間として問題がある。男のプライド的な意味でも、お返しは絶対にしなければいけない。


「ほしいものなんていきなり言われても……それに私、御手洗君からは色々なものをもらってますから、これ以上は欲張りだと思います」


「色々なものって……俺そんなに九重に何かをあげた覚えはないぞ」


 最近だとクリスマスプレゼントが挙げられるが、あれは由香里も用意してたから相殺のはずだ。他だともう結構前になるが、遊園地でぬいぐるみをプレゼントしたぐらいだ。


 色々なものというくらいだから、ぬいぐるみだけではないだろうが他に心当たりもない。それに仮に由香里の言う通り色々なものを与えていたとしても、普段世話になってることを考えれば由香里が気に病むようなことではない。


「それは御手洗君に自覚がないだけです。私はたくさん、御手洗君からかけがえのないものをもらっています。これ以上は、返しきれません」


「別に返さなくていい。俺は今まで、見返りを期待して九重にプレゼントをしたわけじゃない。だから返しきれないとか、気にしなくていいんだよ」


「それは私のセリフです。御手洗君にバレンタインチョコを贈ったのは、ただ私がそうしたかっただけです。見返りなんて、考えたこともありません」


 互いに見返りを求めてプレゼントを贈ったのではない。それ故に、この話は平行線だ。


「なら俺だってそうだ。チョコをくれたからなんて義務感で、お返しをしたいわけじゃない。ただ俺がもらいっぱなしは気分が悪いから、勝手にお返しをするだけだ。だから……諦めて大人しくお返しされとけ」


「……ズルいですよ、御手洗君。そんなこと言われたら、お返しはいらないなんて言えないじゃないですか……」


 一瞬だけ呆けたような顔をしてから、由香里は咎めるようにそう言った。ただ彼女の様子は怒ってるというよりは、どこかイジけているようにも見える。まるで幼い子供のような仕草だ。


 普段ならまず見られないであろう彼女の子供っぽい反応に、不覚にも胸が高鳴る。これが所謂、ギャップ萌えというやつだろう。


「ま、まあ急かすつもりはないから、ほしいものについては考えておいてくれ。参考にするからさ」


 未だに不満げな様子を見せる由香里ではあったが、浬の言葉を受けて渋々と「……はい」と答えた。どうやら、浬に譲る気がないと察してくれたみたいだ。


「ですが御手洗君、余裕はあるんですか? もう少しすれば期末試験と修了式がありますし、私だけじゃなくて深雪さんの分のお返しも用意しないといけませんよね? とても時間の余裕があるようには見えませんけど……」


 確かに由香里の言う通り、これからしばらくの間は忙しくて時間的余裕はあまりなさそうだ。


「深雪へのお返しは適当に済ませるつもりだし、大丈夫だろ」


「もうダメですよ、御手洗君? 深雪さんだって一生懸命作っていたんですから、お返しをするなら真剣に考えてあげないと可哀想です」


 咎めるような視線が浬に向けられる。


 由香里の言う通りだ。例年の深雪なら既製品を配るだけだったからお返しも適当に済ませていたが、今年は手作りのチョコだ。流石に去年までのように適当に済ませるのは、気が引ける。


「もし一人では大変なら、深雪さんへのお返しは一緒に考えませんか? 深雪さんからは私もチョコをもらいましたし、家の台所を貸してもらったお礼もしたいですから」


「……そうだな。俺一人で考えるよりは、二人で一緒に考えた方がいいな。じゃあ悪いけど深雪へのお返し、一緒に考えてくれるか?」


「はい、もちろんです。深雪さんが喜んでくれるような、素敵なお返しにしましょうね」


「そうだな」


 意気込みを語る由香里に、浬は小さく頷いた。

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