初詣の準備

「初詣に行くぞ」


 由香里と明人の自己紹介が一段落したところで、茂は突然そんなことを言い出した。


「……随分といきなりですね、父さん」


「何だ、ワシが初詣に行くと言ったら悪いか?」


「いえ、そうは言いませんよ。ただ、例年は初詣なんて行かないのにどうして今年に限って初詣に行こうとしたのか、疑問に思っただけです」


 神社なら、この屋敷からでも車を使えばそう時間をかけず行けるところはいくつかある。だから行くだけなら、割と容易だ。


 ただ今日は元旦だ。当然神社はどこも人が多くて、大変なことになってるだろう。テレビなんかでよく目にする人でごった返した神社が、容易に想像できた。


 わざわざ人が多いところに元旦から向かおうと思うほど、御手洗家の人間は初詣に魅力を感じたことはない。故にこれまで正月の集まりで初詣に行こうという話になったことはなかった。


 なのに今回に限って初詣に行こうと言い出すなんて、どういうことなのかと気になるのは仕方のないことだ。


「ほれ、去年は浬がめでたくそこにいる由香里ちゃんと婚約しただろ? だから二人の仲がこれからも良好であることを願うために、行ってみるのはどうかと思ってな。行ってみたくはないか?」


 最後の問いは浬と由香里に向けられたものだ。二人の答え次第で、行くか行かないかが決まるんだろう。


「俺は別にいいけど……九重はどうする?」


「……せっかく提案してくださったことですし、行ってみたいです。初詣は、行ったことがありませんから」


「今の時期は、神社も人が結構多いけど大丈夫か?」


「はい、多少の人混みなら問題はありません」


 実際は多少どころではないのだが、由香里が行きたいと言うのなら止めるつもりはない。


「爺ちゃん、そういうわけだから初詣は行くよ……って、何笑ってるんだよ?」


 振り向くと、茂は何やらニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべていた。


「ああ、悪い悪い。二人の仲が婚約当初と比べて随分と良くなってたものだから、ついな」


「そうか?」


 確かに婚約当初と比べれば仲は良くなっているだろうが、少し見ただけで分かるほどだろうか。


 隣の由香里と顔を見合わせてみるが、彼女も同じ考えのようで茂の言葉に首を傾げている。


 そんな二人のやり取りを見て、茂は更に笑みを深めた。よく分からない。


 深雪と明人も特に異論はないようで、初詣に行くことに賛成した。


「初詣に行くのなら、それに相応しい服装にするべきだろう。ワシがこの日のために着物を用意しておいたから、由香里ちゃんはそれを着るといい」


「あ、ありがとうございます」


 まさか着物が用意されてるとは思わなかったんだろう。目を見張りながらも、感謝の言葉を口にした。


 こうして着物が用意されてる辺り、恐らく初詣は昨日今日思いついたような突発的なものではない。もっと前から計画していたんだろう。


「由香里ちゃん、いいなー……お爺ちゃんお爺ちゃん、私の分の着物はないの?」


「もちろん深雪の分もちゃんと用意してあるぞ。別室に用意してあるから、由香里ちゃんと着替えてくるといい」


 そう言ってから茂は、壁際に控えていた数人の使用人の内一人に二人を案内するよう命じた。


 由香里と深雪は使用人に先導される形で、部屋を出た。


 次に茂が「車の手配をしてくる」と言い残して出て行った。


 結果、部屋に残ったのは浬と明人の二人だけとなる。使用人がいるので厳密には二人きりではないが、彼らはこちらから何か話しかけない限り口を開けることはない。


 流し目で明人の方を確認する。


 明人は浬にとって叔父でこそあるが、特に親しいというわけでもない。故に互いに会話することなく、室内は先程までの喧騒とは打って変わって静寂そのものだ。


 別に静かなのが嫌いというわけではないが、この静寂は何だか息が詰まりそうだ。正直に言えば、気マズい。


 この重苦しい空気を払拭するためにも、ここは何か話でもした方がいいかと思案していると、


「――こうして君と会うのは、久し振りだね」


 静寂を破り、明人はポツリと言葉を溢した。


 まさか明人の方から話しかけてくるとは思わず一瞬狼狽えたが、すぐに平静を取り戻す。


「そう……ですね。俺たちはあまり会うことはないですから」


 最後に二人が会ったのは、確か丁度一年前の今日だ。


 明人は仕事の都合でよく家を空けてるらしいので、こういう時でもなければ会おうと思っても中々会えない。まあ元々特別親しい仲というわけでもなかったので、これまでは特に支障はなかったが。


「……君には申し訳ないことをしたね、浬君」


「い、いきなりどうしたんですか、明人さん?」


 自分より倍以上年上の叔父に謝罪され、動揺を露わにする。


「婚約の件だよ。父さんが君に大分無茶を言ったと聞いている。私がその件を知ったのは、事が済んだ後だった。もし事前に知っていれば……なんてのは言っても詮ないことではあるが、それでも父さんを止められなかったことを謝罪させてほしい」


「……それは明人さんが謝るようなことじゃないですよ。確かにいきなりお見合いしろって言われた時は驚きましたけど、別に爺ちゃんは婚約を強制したわけじゃありません。何より婚約すると決めたのは俺の意志です」


 婚約はその気になればせずに済んだ。それでも婚約を選んだのは、紛れもない浬自身だ。決して明人に謝られるようなことじゃない。


「それに俺、九重と婚約して良かったと思ってるんですよ」


 これは本心だ。由香里が浬との偽りの関係をどう思っているかは分からないが、浬自身はそう悪くないものだと感じている。


 当初はどうなるかと不安もあったが、今となってはそんな思いは欠片もない。自分なりに、由香里とはそれなりに上手くやれてるだろうという確信を持てている。


「……そうか、なら私の気遣いは余計なお世話だったというわけだ。悪かったね、浬君」


「いや、そんなことはないですよ。気遣ってくれてありがとうございます」


 感謝を伝えると、明人はふと微笑を湛えた。普段は淡々とした顔しかしない彼には、珍しい表情の変化だ。浬を見る鋭い眼光も、僅かに優しいものへと変化している。


「君は少し変わったね、浬君。何というか……前よりも明るくなったかな?」


「……そうですか?」


「ああ、間違いない。昨年会った時とは、大分印象が違うよ。これは君の婚約者のおかげかな?」


「……どうですかね」


 変わったという自覚がないから、何とも言えない。ただ明人の言う通り変わっているのなら、そのきっかけはきっと……。


 そうして明人と話していると、不意に部屋の扉が開かれた。扉の向こうから現れたのは、深雪とだった。


「ただいま、今戻ったよ」


「深雪か……九重はどうした? 一緒じゃないのか?」


「由香里ちゃんなら、少し遅れてくるよ。……それよりもカイ君、どうかな?」


「どうかなって……何が?」


「もう、カイ君ってば本当に分からないの? そんなんじゃいつか由香里ちゃんに愛想尽かされちゃうよ?」


 嘆かわしいと言わんばかりに肩を竦める深雪。余計なお世話だと言い返してやりたくなる。


「私の着物姿はどうなのかって訊いてるの。どう、似合ってる?」


「そうだな……」


 深雪の頭のてっぺんから下までざっと見る。


 深雪の着物は赤に桜の柄を散りばめたものだ。頭には、白の紫陽花の髪飾りを付けている。快活な深雪には、やはり明るい色がよく似合う。


「まあ、それなりに似合ってるんじゃないか?」


「むう、何かおざなりだなあ……もっといい褒め方とかないの?」


「俺にそんなのを期待するな」


 浬はそういうのは苦手なので、気の利いた感想を期待されても応えられない。


「まあカイ君にそういうのは難しいだろうから、私は別にいいけど……由香里ちゃんにも、私と同じような感想はダメだからね?」


「……言われなくても分かってる」


 深雪は「本当にぃ?」と疑わしげな眼差しを向けてきたが、そんなもので浬の答えが変わることはない。


 深雪は次に明人の元へ向かうと、浬の時同様着物の感想を訊ねた。


 明人は短く「よく似合ってる」とだけ答えた。ほとんど浬と同じような回答だ。


 だというのに深雪は文句など言わず、照れ臭そうに頬を緩めた。解せぬ。


「深雪、せっかくだから写真でも撮ろうか? 体調を崩して来られなかった京子さんも、今の深雪を見ればきっと喜ぶ」


「あ、うんお願いお父さん」


 明人はスマホを手に取ると、居住まいを正した深雪の写真を撮影した。

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