御手洗明人
浬と由香里が屋敷内に足を踏み入れると、まず目に入ったのは三メートルくらいの幅を作って左右に並んでいる使用人たちの姿だった。
彼らは浬の姿を目にすると、使用人たちは一斉に恭しく頭を下げ「おかえりなさいませ、浬様」と口にした。
あまりにも仰々しい迎え方だ。隣の由香里も、目を丸くしている。
由香里の「す、凄いですね、色々と……」という引き気味の発言が、地味に辛かった。
現実離れしたかなり異常な光景だが、実はこの屋敷ではそう珍しいものでもない。浬からすれば、見慣れた光景だ。
両親が蒸発した後茂の世話になっていた浬は、中学三年生までは毎日こんな感じで送迎されていた。恥ずかしいからやめてほしくはあったが、これも仕事の一環ということで残念ながら聞き入れてはもらえなかった。
実はこの送迎が恥ずかしいというのが、高校生になって家を出た理由の一端だったりする。
相変わらずの送迎に恥ずかしい思いをした後は、使用人の一人に案内されて茂の待つ部屋まで通された。
室内にはアンティーク調の長テーブルが置かれており、奥には茂が座っていた。
「あ、由香里ちゃんだ……!」
部屋に入った瞬間、長テーブルの右側の席に座っていた一人の少女――深雪が歓喜の声を上げた。
突然名前を呼ばれたことと、深雪がいたことに驚く由香里。
だが深雪は浬とは従兄妹の関係、親族が集まるこの場にいてもおかしくはない。
由香里もそのことにすぐに思い至ったようで、嬉しそうに自分の名前を呼んだ深雪に淡い笑みを向ける。
「明けましておめでとうございます、深雪さん。今年もよろしくお願いしますね」
「うん、こっちこそあけおめことよろだよ!」
深雪は勢い良く席から立ち上がると、由香里の前まで駆け寄りギュっと抱きついてきた。
「み、深雪さん……⁉」
いきなりの深雪からのスキンシップに、腕の中で目を白黒させる。
しかし戸惑う由香里などお構いなしと言わんばかりに、深雪は由香里の身体に腕を絡ませている。
「まさかこんなところで、しかも新年早々由香里ちゃんに会えるなんて本当に嬉しいよ! でも、どうしてここに?」
「御手洗君のお祖父様に誘われたんです」
「へえ、そうだったんだ。でも由香里ちゃんはカイ君の婚約者だし、確かに誘われてもおかしくはないよね」
うんうんと、深雪は納得したように数回頷いた。
「そういうことなら、今日は楽しんでいってね」
「はい、そうさせてもらいます。ところであの、そろそろ離してほしいんですけど……」
「えー、顔を合わせるのは久々なんだからもうちょっとだけこうさせてよ」
由香里に正月から会えたことが余程嬉しいんだろう。由香里が離れるようにお願いしても、言うことを聞こうとしない。
由香里もこういう事態に慣れてないのかオロオロするばかりだ。誰かが助け舟を出さなければ、深雪の気が済むまでこのままだ。
「おい深雪、九重から離れろ。九重が困ってるだろ」
困ってる由香里を放っておくわけにもいかず、深雪を窘める。
すると深雪はニマニマと人を食ったような笑みと共に振り向いた。
「あれれ、カイ君もしかして嫉妬? 大事な婚約者を取られて嫉妬しちゃってるのかな?」
「違う。九重が困ってるからやめろって言ってるんだ。嫉妬とかじゃない」
「本当にぃ? 何かカイ君、私が由香里ちゃんに抱き付いてから不機嫌だよ? 実は羨ましいんじゃないの?」
「お前な……」
ああ言えばこう言うとは、まさにこのこと。何を言っても、素直に聞きそうには見えない。
すると、流石に見かねたのか茂が仲裁に入った。
「これこれ、いつまでそんなところに突っ立ってるんだ、お前たち。立ち話もなんだ、座ったらどうだ?」
と、着席を促してきた。
茂に言われると、深雪は少し不満げではあったが由香里から手を離し、言う通りにして自分の席に戻った。
浬と由香里も左側の席が空いてたので、そちらに腰を下ろした。
三人が座ったのを確認すると、茂は好々爺然とした笑みで浬と由香里を見た。
「よく来たな浬。それに由香里ちゃんも、突然の誘いだったにも関わらずよく来てくれた。今日は楽しんでいってくれ」
「こちらこそ、本日はお誘いいただきありがとうございます」
由香里は軽い会釈をした。
「ははは、そう畏まらなくてもいい。これは親族の集まりなんだ、肩の力は抜いて気楽に過ごしてくれ」
「は、はい、分かりました……」
少し声を上擦らせながら答えた。
他人の家に、しかも元旦に来たのだ。気楽に過ごすというのは、真面目な由香里には厳しい注文だ。
「父さん、楽しくお喋りをするのもいいですが、私はそちらの彼女とは初対面です。先に自己紹介をさせてもらえませんか?」
ふと由香里と茂の会話に割って入る者がいた。
声の主は深雪の隣の席に座っている、四十代ほどの鋭い眼光が特徴的な男だ。彼は視線を一瞬だけ由香里に向けた後、すぐに茂に戻した。
「おお、そういえばお前は由香里ちゃんとは初対面だったな。なら先に自己紹介から済ませてしまおうか」
男は再び由香里に視線をやると、表情一つ変えることなく口を動かした。
「初めまして、私は深雪の父の
「ご丁寧にありがとうございます。私は九重由香里と言います。御手洗君の……その、婚約者です」
最後の『婚約者』の部分は口にするのが恥ずかしかったのか、少しだけ弱々しい声音になっている。浬の前ではよく口にしていたが、きっと初対面の人が相手となると、また別問題なんだろう。
「九重由香里さん、君のことは娘からよく聞いてるよ。この前の学校の期末では随分と世話になったと聞いている。君のおかげで、娘の成績が僅かにではあるが上がった。ありがとう」
「……私は大したことはしてません。全て深雪さんの努力が身を結んだ結果です」
「えー、それは謙遜しすぎじゃないかな? 私、由香里ちゃんがいなかったらこの前の試験は絶対赤点だったよ」
謙遜する由香里に異議を唱えたのは深雪だ。
「お父さん、由香里ちゃん頭がいい上に教えるのも凄く上手なんだよ? 私の質問にも嫌な顔一つしないで答えてくれて、由香里ちゃんとの勉強会は凄く楽しかったんだ」
「……深雪の口から勉強が楽しいなんて言葉が聞けるとは驚きだ」
「む、それ私に失礼じゃないかな、お父さん?」
深雪はプクっとリスのように頬を膨らませて、不満げに抗議した。
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