年明けの予定

 クリスマスから三日後の十二月二十八日。すでに年末と言っても差し障りのない時期。


 どの家庭も、新年に向けて色々と準備をしていることだろう。それは浬も同じことだった。


 今日浬と由香里は、年末ということで朝から大掃除をすることになった。


 普段から由香里と一緒にこまめに掃除はしているが、本日は大掃除ということもあって普段はあまり掃除しないところなんかも掃除する。


 大掃除なだけあって当然ながらかなり汚れるので、二人共服は予め汚れても問題がなく動きやすいものを着ている。


 加えて由香里は長く艶のある美しい黒髪を、今日はヘアゴムで後ろにまとめていた。ポニーテールの由香里など、滅多に見れない姿だ。


 ……ここだけの話、普段とは違う髪型の由香里に浬は少しだけドキっとしてしまった。もちろん由香里には言ってないが。


「御手洗君、そろそろお昼ですから一旦休憩にしましょうか」


「分かった」


 由香里に言われて、浬は窓拭きの手を止める。それからグっと身体を伸ばす。


 たかが掃除とはいえ、数時間も続ければ疲れもする。このタイミングで休憩は、正直とてもありがたい。


「朝から始めていたおかげで、大分掃除も進みましたね。この分なら、夕方には終わりそうです」


「……夕方まで続くのか」


 由香里は終わりは見えているという意味で言ったのだろうが、浬からするとまだそんなにあるのかとウンザリするほど長い。


 思わず顔を顰めてしまうのも、仕方のないことだ。


 元々この家は、大人数で暮らすことを想定したファミリー向けのものだ。二人でも家の中全部を掃除するとなると、かなりの時間を要する。


「御手洗君、お昼は何を食べたいですか? 冷蔵庫にあるもので作れるものなら、作りますよ?」


「いや、九重も掃除で疲れてるだろ? 午後もあるし、無理して作らなくていいぞ。昼は適当に出前でも取ればいいし」


「無理なんてしてないから大丈夫ですよ。掃除はよくしてますから平気です」


「平気ですって……今日は大掃除だからいつも以上に大変だろ」


 浬も大掃除を手伝ってこそいるが、しているのは比較的楽なところばかりだ。


 対して由香里は、キッチンを始めとした普段は掃除が行き届かない上に大変なところを担当していた。いくら掃除が慣れてるといっても、疲労してしまうはずだ。


 午後も掃除があるのだから、休憩中くらいは身体を休めるべきだ。


「あんまり無理すると、午後はもたないぞ」


「……分かりました。お昼は出前にしましょう」


 身を案じる想いが届いたのか、多少不満そうではあったが由香里は了承してくれた。


「じゃあ出前にするか。九重は何が食べたい?」


 浬はテレビボードから、保管していた出前のチラシを取り出し見せる。由香里が来る前は時折出前も利用してたので、保管していたチラシの種類は多い。


 由香里は様々な種類のチラシに、興味深そうに視線を注いだ。


「出前って色々あるんですね」


「何だ、九重出前は初めてなのか?」


「はい、これまでは利用する機会はありませんでしたから」


「あー……」


 確かに由香里ほどの料理の腕があれば、出前なんてする必要はない。出前を使ったことがないというのも納得だ。


「本当に色々ありますね。蕎麦にカレーにお寿司……それにピザ」


「ピザか……そういえばピザはもうずっと食べてないな」


 一人暮らしだった頃は頼む機会は何度もあったが、一人でピザ一枚というのは食べ盛りの男子高校生の胃袋でもキツいから頼まずにいた。


 けれど今は浬だけでなく由香里もいる。二人なら、ピザの一枚くらいは食べ切れるはずだ。


「ピザですか、とても美味しそうですね。ですがピザは、カロリーがとても高いんですよね……?」


「まあそうだな。それがどうかしたか?」


「その、カロリーが高いということは、あまり食べると太ってしまうじゃないですか……」


 どこか恥じらうように、由香里はいつもよりやや小さな声で言った。


 浬は瞳を瞬かせる。


「九重ってそういうこと気にするんだな……何か意外だ」


「……私だって女の子なんですよ。そういうことは、気になります」


 ムっとした顔をする由香里。


 女心の分からない浬も、今のが失言だったことにはすぐに気付いた。慌てて謝罪する。


 由香里もそこまで怒っていたわけではないようで、あっさりと許してくれた。


「最近、少し体重が増えてしまってるんです。特にお腹回りが……」


「…………」


 自然と浬の視線が由香里の身体――主にお腹回りにいく。


 服を着てるせいでハッキリとは分からないが、それでも気にするほど太ってるようには見えない。


 由香里がまるで浬の視線から身を守るように、自身の身体を両腕で抱く。


「御手洗君、そんなにジロジロ見ないでください。……恥ずかしいです」


「わ、悪い……」


 女の子の身体をジロジロ見るのは、流石に失礼だ。しかも見てた理由を考えると、デリカシーもない。


 それからも話し合いを続け、結局食べるのはピザに決まった。


 浬が久しぶりにピザを食べたいというのもあったが、由香里もピザが気になってたらしい。特に反対することはなかった。


 由香里が「……少し運動をしなければいけませんね」とボソリと呟いていたが、あえて何も言わなかった。


 浬はチラシ片手に手早く注文を済ませる。届くまでは三十分ほどかかるとのことだ。


 そのことを由香里に伝えていると、不意にスマホが震えた。


 何なのかと思いながらスマホの画面を確認すると、それが祖父である茂からの電話であることが分かった。


 この時期に茂から電話。会社は年末ということもあって忙しいはずだ。それなのに電話なんて、いったいどんな用件だろうか。


 目の前の由香里に一言断りを入れてから、電話に出る。


「もしもし?」


『おお、久し振りだな、浬。元気にしてたか?』


 返ってきたのは、二ヶ月振りの茂の声。相変わらずの元気な声音が、彼が息災であることを教えてくれる。


「まあ一応元気ではあったよ。それで、今日は何の用があって電話してきたんだ? 爺ちゃんも、今は会社の方が忙しい時期なのに連絡してきたってことは、余程のことなんだろ?」


 世間話もそこそこに、浬は本題に入る。


『ああ、そうだ。……なあ浬、正月の予定はどうなってる?』


「正月の予定? 特にないけど……それがどうかしたか?」


『いや、予定がないのなら正月は一緒にウチで過ごさんかと思ってな。久し振りにお前の顔も見たいし、どうだ?』


「うーん、そうだな……」


 茂の家は、距離的にはそこまで遠くないから移動は大して手間がかからない。


 正月はダラダラ過ごそうと思っていたが、最後に直接顔を合わせたのはお見合いの時だから、たまには顔を見せるのもいいかもしれない。


「分かった、なら元旦にそっちに行くよ」


『おお、来てくれるのか。これは正月が楽しみになってきたな』


 浬の返答に、茂は声を弾ませる。


『ああそれと、もし都合がつくなら婚約者の由香里ちゃんも呼んでくれ』


 話が終わったので電話を切ろうとしたが、その前に茂が思い出したようにそんなことを言った。


「……九重を?」


『そうだ、由香里ちゃんをだ。以前のお見合いの時はあまり話さなかったから、少し話をしてみたいと思ってな』


「九重だって予定があるだろうしそれは無茶だろ、爺ちゃん」


『無茶なのはワシも分かってる。だから訊いてみるだけでいい。ダメならまた別の機会にすればいいだろう』


 どうやら茂は軽い気持ちで提案したようだ。茂は最後に『頼んだぞ』とだけ言い残して、通話を終了させた。


 通話を終えて視線を正面に向けると、由香里がおずおずといった感じで声をかけてくる。


「あの御手洗君、今の通話で私の名前が出てたようですけど、何を話していたんですか……?」


「ああ、ちょっとな……ところで、九重は正月はどうするつもりなんだ? やっぱり実家に帰るのか?」


「……実家には帰りませんね」


 浬の問いに、俯きながら答えた。声音が心なしか暗いものになっているのは、浬の気のせいではないだろう。


「せっかくの正月なのに帰らないのか? 家の人も正月まで帰らないと心配とかするんじゃ……」


「しませんよ。あの人たちは私が帰ってこないと聞けば、むしろ喜ぶはずです」


 返ってきたのは悲しげな、それでいてどこか確信に満ちた言葉だった。


 いったい何が彼女にここまで言わせるのか、浬には分からない。


 ただ一つ分かるのは、これが由香里の家の問題であること。あくまで仮初の婚約者でしかない浬が、軽々しく介入していいものじゃない。


 だから深く追及するような真似はしない。彼女が自分から言わない限り、訊くつもりはない。


「……なあ九重、もし良かったらだけど正月は一緒に爺ちゃんのところに行かないか?」


「え……?」


 間の抜けた声と共に、顔を上げてこちらを見つめる由香里。突然の誘いだから、驚くのは仕方のないことだ。


「実はさっきの電話で、爺ちゃんから正月に帰ってくるよう言われたんだ。その時、九重も都合がつくなら誘ってくれって言われててさ。実家に戻らないなら、どうだ?」


「……迷惑じゃないですか? 親族でもない私が元旦に会いに行くなんて……」


 もっともな懸念だ。親族でもないのに元旦に余所の家にお邪魔するなんて、躊躇するのは当然のことだ。


「爺ちゃんの方から誘ってきたんだし、別に気にしなくていいだろ」


 茂の方から会えないかと言ったのだ。だから由香里が気に病むようなことではないと告げる。


「それに親族じゃなくても、俺の婚約者だろ? なら一緒に来ても大丈夫だ。俺が誰にも文句は言わせないから安心しろ」


「御手洗君……」


 由香里の頬が、微かに赤みを帯びた。


 次いで由香里の口元に、淡い笑みが浮かぶ。


「……そういうことでしたら、喜んで行かせてもらいます」


 そう答えた由香里の声音は先程までの沈んだものとは打って変わり、とても明るいものになっていた。

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