クリスマスプレゼント
魚の群れによるクリスマスツリーを見た後も、二人は色々と見て回った。
水晶を連想させるような球形の水槽を泳ぐクラゲや、アクアゲートと呼ばれる数多の魚が泳ぐ水槽のトンネルなど、見応えのある展示内容ばかりだ。
どれも展示方法に工夫がされていて、見る者を楽しませようという意図が感じられた。
途中昼食の時間をとった後はショーがあるとのことで、そちらを見に行ったりもした。
ショーの内容はペンギンの散歩で、愛らしいペンギンたちが一列になって動き回るのを見て楽しむというものだった。
ペンギンたちがトコトコと列になって歩いたり、時折一部が列を外れて歩く様はとても可愛らしい。常日頃可愛いものにあまり興味のない浬ですら、グっとくるものがあった。
ペンギンはとても可愛かったが、それ以上に由香里がスマホ片手に夢中になって撮影していた姿が、印象的だった。浬ですら可愛いと感じたのだから、可愛いものが好きな由香里が気に入らないわけがない。
水族館を回る途中寄った売店では浬は深雪と茂に、由香里は深雪にそれぞれのお土産を選んで購入した。
水族館を出る頃には、時刻は午後五時を回っていた。この時期になると日が沈むのは早く、まだ通りに人は多いがすでに空はかなり暗くなってきている。
今日の目的だった水族館を出た以上、もうすることはない。この後は家に帰るだけだ。
「九重、俺ちょっと寄りたいところがあるから先に帰っててくれるか?」
「寄りたいところですか? せっかくですし私も付き合いますよ?」
由香里の善意から来るであろう申し出はありがたかったが、浬は首を横に振る。
「いや、九重に付き合ってもらうほどのことじゃないからいいよ。ただ手袋がないから、ちょうど近くにアパレルショップもあるし帰る前に買ってこうと思ってるだけだ」
「手袋を……ですか」
途端、難しい顔をする由香里。いったいどうしたのだろうかと、浬は不思議に思う。
何か由香里を困らせるようなことでも言ったのかと不安になったが、今の発言に由香里が困るような要素は見つからない。
「あ、あの御手洗君、手袋を買うのはまた今度にしませんか? 実はその、家に戻ったら御手洗君に手伝ってもらいたいことがあるのを今思い出したんです」
「手伝ってもらいたいこと? それって手袋買ってからじゃダメか?」
「はい、できればすぐに」
由香里がここまでハッキリ頼み事をしてくるのはかなり珍しい。というか、もしかしたら初めてかもしれない。
普段から世話になってる由香里が、珍しく浬を頼ってくれた。普段世話になってる分、こういうところで恩を返しておきたい。
それに手袋は今すぐ必要というわけでもないから、買うのは他の日でも構わない。
「分かった、手袋はまた今度にするよ。で、俺に何を手伝ってもらいたいんだ?」
「そ、それは……家に着いてから教えます」
そう答えると、まるで後ろめたいことでもあるかのように、さっと視線を逸らした。
「…………?」
由香里の反応が気になりはしたが、家に着けば教えてもらえるとのことだったので追及はしなかった。
それから二人は電車やバスを乗り継いで、一時間ほどかけて自宅に戻った。
家に入ると二人は各々一旦自室で着替えてから、リビングに集まった。
「それで九重、俺は何をすればいいんだ? すぐにって言ってたから、急いだ方がいいんだろ?」
「……はい。そう、ですね」
「九重? 何か調子悪そうだけど、大丈夫か?」
様子がおかしかったので、まさか体調を崩してしまったのかと考えて訊ねてみる。今日は外は寒かったから、もしかしたら身体を冷やしすぎてしまったかもしれない。
「い、いえ、大丈夫です。特に体調が悪いわけではないので、気にしないでください。ただ……」
言葉尻になるにつれて、由香里の声音が弱々しくなっていく。体調に関しては大丈夫だと答えたが、様子がおかしいことに変わりはない。
常とは違う由香里の様子に違和感を覚える浬だったが、原因はすぐに分かった。
「実はその……手伝ってもらいたいことがあるというのは、嘘だったんです。騙すような真似をしてごめんなさい、御手洗君」
「え……」
浬は大きく目を見開き、驚愕を露わにする。
由香里の話が嘘だったというのはビックリだが、それ以上に由香里が嘘を吐いたことの方が浬にとっては驚きだったのだ。
由香里が意味もなく嘘を吐くとは思えない。いったいどういうことなのかと事情を訊ねる前に、由香里が動いた。
「これを受け取ってもらえますか……」
由香里は、手に持っていた紙袋を浬に向かって突き出してきた。
「これは……?」
「クリスマスプレゼントです」
「……どうして俺に?」
いきなりのクリスマスプレゼントに、浬は目を丸くした。
「クリスマスは、恋人にプレゼントを贈る日だと聞きました。私たちの関係は偽りのものですが、それでも今は婚約者であることに変わりありません。ですから、受け取ってもらえますか?」
由香里がわざわざ自分のために用意してくれたクリスマスプレゼント。当然受け取らないという選択肢は存在しない。
由香里から紙袋を受け取る。
「今開けてもいいか?」
「……はい、それはもう御手洗君のものですから好きにどうぞ」
一瞬躊躇うような素振りを見せた由香里だったが、最終的には頷いた。渡したプレゼントを目の前で開けられるのが、気恥ずかしかったりでもしたんだろう。
紙袋の中には縦長の箱が入っており、取り出して中身を確認してみると中にあったのは革素材の黒い手袋だった。
「……御手洗君、少し前に手袋をなくしたようだったのでクリスマスプレゼントにいいかと思ってそれにしました」
手袋を買うと言った時様子がおかしかったのも、手伝ってほしいことがあると嘘を吐いたのもこれが理由だったのだろう。
だから真面目な由香里が柄にもなく嘘を吐いたのだとすると、色々と納得できる。用意したクリスマスプレゼントが無駄になるのを避けたかったんだ。
由香里が自分のことを考えてプレゼントを選んでくれたのだと思うと、なぜか自然と口元が緩んでしまった。不思議だ。
「ありがとうな、九重。凄く嬉しい。大事に使わせてもらうよ」
「喜んでもらえたのなら、何よりです」
手袋を再び箱に戻す。それから由香里の方に向き直る。
「九重、少し待っててくれ」
それだけ言って、由香里が返事をするよりも前にリビングを出る。
浬は一度二階の自室に戻ると、勉強机の上に置いていた横長の箱を持って再びリビングに向かった。
「俺もさ、一応クリスマスプレゼントは用意してたんだ。本当は食事の後にでも渡そうと思ってたけど、今の方がタイミングが良さそうだから……受け取ってくれ、九重」
浬が差し出すと、驚きつつも由香里は恐る恐るといった手つきで受け取る。
それから「開けてもいいですか?」と確認してきたので頷くと、由香里は丁寧な、しかし手早い動きで箱を開けて中身を取り出した。
出てきたのは鼠色を基調とし、黒と赤の格子が特徴のチェック柄のマフラーだ。
「俺、女子の好みなんて分からないからさ、色々と悩んでそれにしたんだ。……気に入らなかったら捨ててくれ」
プレゼントに関しては少しばかり深雪に相談もしたが、最終的にマフラーに決めたのは浬だ。由香里のことを考えて真剣に決めたものだ。
なので気に入らなかったら捨ててくれと口にこそしたものの、本当に捨てられたらかなりヘコむ。
まあ由香里の性格からして、もらったものを捨てるなんてことはありえないが。
さて由香里は浬のクリスマスプレゼントを気に入ってくれたのだろうかと、不安な気持ちになりながら彼女の反応を窺う。
すると由香里は手にしたマフラーを首に巻いて、浬の方を見た。
「御手洗君、似合いますか?」
「ああ、よく似合ってる。そのマフラーにして正解だったな」
「ありがとうございます、御手洗君。……大切に、使わせてもらいますね」
ありのままの感想を告げると、由香里の口元から微笑みが溢れる。それだけで、彼女がプレゼントを気に入ってくれたのかは容易に分かった。
その姿があまりにも可愛らしくて一瞬見惚れてしまったが、慌てて誤魔化すように頭を振る。
「……クリスマスって、こんなに楽しいものだったんですね」
「そうだな。俺も誰かと過ごすクリスマスが、こんなに楽しいものだとは思わなかった」
去年までなら、クリスマスは普段と変わらない一日で終わっていた。今年もそうならなかったのは、由香里がいてくれたから。
由香里がいたから、今年のクリスマスは変わり映えのない日常で終わることがなかった。
(また来年も……)
そこまで考えてはっとする。
本来関わり合うことのなかった二人がこうしてクリスマスを過ごしているのは、偽りとはいえ婚約関係にあるからだ。いつまで続く関係か分からないが、もしかしたら来年にはもう二人の関係は終わっているかもしれない。
そうなれば、もうクリスマスを共に過ごすことはなくなる。この幸福は、今だけのものでしかない。
その事実を少しだけ、本当に少しだけ惜しいと感じてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます