クリスマス当日
二学期が終了してから二日後。クリスマス当日を迎えた浬は、午前十一時前の現在、水族館の前にいた。
浬は現在待ち合わせ中だ。もちろん相手は、今日一緒に出かけることになっている由香里だ。
前回遊園地に行った時のように、二人は家を出る時間をズラして現地集合することになっている。
今日の浬は、遊園地の時のように身だしなみを整えている。ワックスを使って鏡と睨めっこしながら髪を整え、服も自分に合うものを柄にもなく真剣に選んだりした。
わざわざ身だしなみに気を遣ったのは、一緒にいて由香里が恥ずかしくないようにというのもあるが、それ以上に学校関係者に一緒にいるところを目撃されてた場合の対策の意味もある。
遊園地の時もその辺りのことは気を遣っていたが、今日は恋人たちが楽しく過ごすクリスマスだ。学校の関係者のカップルに遭遇してもおかしくない。警戒は必要だ。
「寒……」
時折吹く冷風にブルリと身体を震わせる。
昨日見た天気予報で今日はこの冬一番の寒さになると聞いてたが、ここまで寒いとは予想外だ。それなりに着込んできたのに、震えが止まらない。
こんなに寒いのだから、普通は暖房が効いていて過ごしやすい水族館で待った方がいいのは浬も分かっているが、それでもあえて水族館前に立つ。
というのも、水族館内はクリスマスということもあってか、かなり人が多い。あれだと待ち合わせには不向きだ。
(あー……こんなことなら、手袋ぐらいさっさと買っとけば良かったな)
今浬は防寒具としてマフラーを巻いているが、手袋は付けていない。持ってくるのを忘れたとかではなく、持っていないのだ。
手袋は少し前になくしてから、いつか買わなければと思いつつも面倒だからと先延ばしにして買ってなかったことを今更ながら後悔する。
かじかむ手を擦り合わせて熱を作り寒さを凌ごうとするが、焼け石に水。ほとんど意味がない。
しばらく寒さに耐えながら待ち続けていると、浬に近づいてくる人影があった。
「み、御手洗君……?」
「お、おお、来たか九重」
寒さでカチカチと歯を鳴らしながら、自分の名前を呼ぶ声に応じた。
由香里はこの寒さもあって、暖かそうな格好をしていた。
今日の由香里は、無地のロングのダウンコートにチェックスカートを組み合わせている。
更に薄っすらと品を感じさせる化粧をしていて、目にした瞬間「綺麗だ……」なんて感想が漏れてしまった。それくらい、今日の由香里は魅力的だったのだ。
普段の由香里ならここで感謝の言葉の一つでも返すものだが、今回は違った。由香里はなぜか、信じられないものでも見るような顔をしていた。
「こ、こんなところで何をしてるんですか⁉ 風邪を引いてしまいますよ!」
「あ、ああ、そうだな。とりあえず仲に入るか……」
ガクガクと肩を震わせながら、水族館内に足を踏み入れる。
水族館の暖気が、外の寒気で凍えた身体を暖かく迎えてくれる。震えが止まり、ポカポカとした暖かさが身体を包み込む。
「あー……暖かい」
寒さで強張った身体が弛緩していくのを感じながら、小さく呟く。
「御手洗君。外はあんなに寒いのに、何をしてたんですか?」
「何って……九重を待ってたんだよ」
「それなら、水族館の中で待てば良かったじゃないですか。どうしてわざわざ外で……」
「あー……心配かけて悪かったよ」
まさか由香里に、ここまで言われるとは思わなかった。心なしか眦を吊り上げて怒ってるようにも、きっと気のせいではないはずだ。
あの由香里が怒ってるというのは、正直驚きだ。
由香里だって人間だ、感情くらいはある。笑うことがあれば泣くこともあるし、時には怒ることだってあるだろう。
しかし浬の知る九重由香里という少女は、怒るということとは縁遠い人間だと思っていた。
しかも怒りの理由が浬の身を案じてというのは、少し前なら考えられないようなことだ。最初は驚愕こそしたが、自分のために怒ってくれたことにくすぐったい気持ちにさせられる。
「御手洗君、ちゃんと聞いてるんですか?」
「あ、ああ、聞いてるよ。心配かけて悪かったとは思ってる。けど水族館の中だと、人が多いから合流するのは手間取ると思ったんだ」
「確かにそうかもしれませんけど……」
由香里は、エントランスホールをグルリと見回す。
エントランスホールはかなりの数の人がいる。大半は男女のペアなのでカップルなんだろうが、これだと待ち合わせしても合流には苦労しそうだ。
「それに九重、水族館楽しみにしてただろ? なのに待ち合わせで無駄に時間を食ったら、全部見て回れなくなるかもしれない……そんなの嫌だろ?」
「…………ッ!」
由香里が大きく目を見開いた。
「私のため……だったんですか?」
「別に九重のためだけってわけじゃない。単純にこんな人の多い場所で待ち合わせするのが面倒だって感じたのが、一番の理由だよ。水族館を見て回る前から、疲れたくはないからな」
人差し指で頬を軽くかきながら、由香里から少しだけ視線を逸らしつつ答える。
待ち合わせが面倒だったという部分を強調するが、由香里のためという部分を決して否定はしない浬だった。
「そうだったんですね。……でも、もうしないでください。こんなことで、御手洗君に風邪なんて引いてほしくありません」
「ああ、分かった。次からは気を付けるよ。だからもう怒りは沈めてくれ」
「……別に私、怒ってなんかいませんよ?」
などと言う由香里だったが、先程の眦を吊り上げた表情を見ていた浬には無意味だった。
それから二人は入場ゲートで係員にチケットを渡してから、入場ゲートの先へ通された。
「御手洗君、どこから回りましょうか」
「そうだな、とりあえず人の流れに合わせて移動ってことでいいんじゃないか?」
館内はそれなりの広さがあるが、今日は人が多い。好きに動き回るよりは、人の混みの流れに従って移動した方が楽だ。
由香里も浬の案に賛成のようだったので、人混みの流れに任せて移動を開始した。
浬が最後に水族館に来たのは、遊園地同様ずっと昔のこと。故に具体的なことはあまり覚えてないが、どうせ珍しい魚なんかを見せるだけのものだろうと考えていた。
だがその考えは、いい意味で裏切られることになった。
「これは凄いな……」
眼前の光景を前に、感嘆の声が漏れる。
浬の前にあるのは水族館特有の大きな水槽。その水槽の向こうには、クリスマスツリーが立っていた。
しかも、ただのクリスマスツリーではない。水槽内の魚の群れを利用した特別なクリスマスツリーだ。
どうやら水槽の下から上へ餌を上げて魚の群れを誘導してクリスマスツリーに見立ててるらしい。群れを照らす翡翠色の光も相まって、とても幻想的な演出となっている。
ただ魚を見せるのではなく、創意工夫を凝らした演出で客を魅せている。しっかりと計算されているのだろう、素晴らしいとしか言いようがない。
「綺麗……」
隣では由香里も魚の作り出した独創的なクリスマスツリーに見惚れていた。
水槽内のクリスマスツリーに釘付けの横顔はとても魅力的で、思わず息を吞む。
「本当に綺麗だな……」
果たしてその呟きが何に対して向けられたものなのか。答えを知るのは、浬だけだ。
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