手料理

 浬と由香里は二人で近くのスーパーに赴き、買い物を済ませると、寄り道することなくまっすぐ帰宅した。


 道中は自分で言ってた通り、カイリが荷物持ちとして大きなレジ袋二つを両手に持って帰った。レジ袋は浬が持つ二つだけなので、由香里は手ぶらだ。


 自分だけ手ぶらなことを申し訳ないと思ったのか、途中由香里が袋を片方持つと申し出たが、浬は遠慮した。


 この後由香里には夕食を作ってもらうし、何より浬にだって男のプライドぐらいはある。男のプライド的な意味で、女の子の由香里に重たい荷物を持たせるのは気が引けた。


 実際は結構重いが、スーパーから家まで持っていられないほどではない。浬は男の見栄を発揮して、重たいレジ袋を家まで運び切った。


「ふう……ここに置けばいいのか?」


 持ち帰った食材入りのレジ袋をキッチンの流し台の側に置いた浬は、隣の由香里に確認を取る。


「はい。そこに置いておいてもらえれば、あとは私がしますから、御手洗君は料理ができるまで待っててください」


「分かった。何かあったら呼んでくれ」


 由香里の料理ができるまでの間、浬はリビングで適当に時間を潰すことになった。


 三十分ほど過ぎた頃になると台所の方から芳しい香りがしてきて、浬の食欲を刺激した。そこから更に数分待つと、由香里から「できましたよ」と声がかかる。


 白米、豆腐とわかめの味噌汁、鯖の味噌煮、モヤシのナムル。由香里の作った料理が、ダイニングテーブルに並べられる。


 四十分程度の時間で作ったにしては、随分と品数が多いように感じた。


「あまり時間がなかったので、簡単なものしか作れませんでした」


「簡単か、これ?」


 料理をまともにできない浬からすると、とても簡単な料理には見えない。どれも手が込んでるし、何より美味そうだ。


「簡単ですよ。この程度、少し料理を学べば誰にでも作れます。それよりも、早く食べた方がいいんじゃないですか? せっかく作ったのに、冷めてしまいますよ?」


「ああ、そうだな」


 せっかくの出来立て、冷ましてしまってはもったいないし作ってくれた由香里にも申し訳ない。


 浬は両手を合わせて「いただきます」と口にしてから、箸を手にした。


 まず最初に箸を伸ばしたのは、鯖の味噌煮。一口サイズに切り分けてから、口に運ぶ。


 柔らかい魚の身の食感と、味噌の濃厚な味が口いっぱいに広がる。


「美味いな……魚って、こんなに美味かったのか」


 浬は元々あまり魚を食べる方じゃなかった。どちらかというと、若い男らしくガッツリとした肉とかの方が好みだった。


 だから、この鯖の味噌煮にはビックリだ。間違いなく、浬がこれまで食べてきた魚料理の中でも一番美味しい。


「九重、この魚凄く美味しいよ。俺、こんなに美味い魚を食べたの生まれて初めてだ」


「この程度で大袈裟ですね、御手洗君は……そんなに美味しいですか?」


「もちろん。じゃなきゃ、ここまで褒めたりはしないだろ。作ってくれてありがとうな」


 浬が感謝を告げると、正面の席に座る由香里は俯いてしまった。


 すぐに俯いてしまったのでハッキリと見えたわけではないが、由香里の表情が驚愕に染まったのは、浬の目の錯覚ではないはずだ。


「……御手洗君は変わってますね。私なんかの料理を美味しいって言うなんて」


「別に変わってなんてないだろ。俺はただ、美味いものを美味いって言っただけだぞ」


「そう……ですか。作った身としては、そう言ってもらえると作った甲斐があるというものです」


 由香里が顔を上げる。すでに彼女の表情は常日頃の人形のような冷たいものに戻っており、俯く直前に見た表情が嘘のようだ。


 不思議に思ったものの、今の浬はそのことを訊ねるよりも己の食欲を優先した。


 由香里の手料理は鯖の味噌煮以外もどれも美味しく、箸が止まらない。


 全ての食器が空になる頃には、浬の腹は満たされていた。


「――ごちそうさまでした」


「はい、お粗末様です。食器は後で洗っておきますから、水に浸けて置いておいてください」


「いや、流石に食器ぐらいは自分で洗うからいいよ」


 掃除に料理までしてもらって、この上食器まで洗わせるのは流石に申し訳ない。


 それに皿洗いぐらいなら、家事能力のない浬にだってできる。


 由香里も皿洗いなら任せられると判断したのか、特に反論することなく「ではお願いします」と、浬に任せてくれた。


「……それにしても、九重は掃除だけじゃなくて料理もできるなんて凄いな」


 由香里の家事能力の高さには舌を巻く。


「別に大したことじゃありません。家でも家事をしてたから、自然と身に付いただけです。……そういう御手洗君は、掃除も自炊もできないのによく一人暮らしなんてしてますね」


「うぐ……ッ」


 由香里の辛辣な言葉が浬の胸に刺さる。言ってることが正論なだけに、ダメージも大きい。


「ですが、安心してください。これからは私がこの家の家事を担います。これから一緒に暮らす身として、御手洗君にはこれまでのような不摂生な生活は送らせませんから」


「え……?」


「何ですか、その反応は? 私が家事をするのは、嫌ですか?」


「嫌どころか、むしろ俺からお願いしたいくらいだけど……いいのか? 家事って結構大変なんじゃないのか?」


 由香里だって浬と同じ学生だ。毎日の学校生活に加えて家事までこなすとなると、由香里の負担はとても大きなものになるはずだ。


「構いませんよ。さっきも言ったように家事は慣れてますから、大して負担になりません。むしろ、私が何もせず御手洗君に不摂生な生活を送らせることの方が問題です」


「お、俺のことは今はいいだろ……」


 これまでの不摂生な生活を指摘されると痛いので、やめてほしい。


「それに今の私と御手洗君は、偽りとはいえ婚約者です。婚約者同士なら、助け合うのはおかしいことではありませんよね?」


「む……」


 確かに婚約者同士なら、助け合うのはおかしいことじゃない。そもそも同じ家で暮らしていく以上、互いに助け合わなければいけない場面は必ず存在する。


「もちろん、御手洗君が迷惑だと言うのならやめておきますが」


「迷惑じゃないからお願いします」


 うっかり即答してしまったのは、浬も不摂生な生活は本意ではないからだ。


 浬だって別に好きで散らかしていたわけじゃないし、味気のないカップ麺なんかを食べていたわけじゃない。改善できるのなら、喜んで改善する。


「決まりですね。では、これから家での家事は私に任せてもらうということで、よろしくお願いします」


「……ああ」


 これからの生活が改善される喜びと、由香里に負担を強いてしまう罪悪感で、浬は何とも言えない気持ちにさせられるのだった。


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