家事
「……何ですか、これは?」
愕然とした表情で呟いたのは、浬の隣に立つ由香里だった。
現在二人がいるのはリビング。とりあえず今後について落ち着いて話をしたいからと、リビングに向かうことにしたのだ。
そしてリビングに入り電気を点けたところで、現在に至るわけだ。
なぜ由香里が今まで見たことのない驚きの表情をしているのか。その理由は、由香里の視線の先に広がる光景にあった。
「……御手洗君、何ですかこの
「見ての通りリビングだけど……」
「リビングですか……随分と散らかってますね。これでは歩き回るのも苦労しそうです」
由香里の散らかってるという表現はとても正確だ。彼女の言う通り、リビングはペットボトルやら雑誌やらが散乱していて、お世辞にも綺麗とは言えない状態だ。
「あ、足元に注意すれば、歩くのはそんなに苦労しないぞ」
「足元に注意しながら歩かなければいけない時点で、相当酷いですよ。……まさかとは思いますが、普段からこんなに散らかってるんですか?」
「い、いや、流石に普段はちゃんと綺麗にしてるからな? 今日はちょっと、たまたまというか……」
もちろん嘘である。流石に散らかしすぎてる自覚はあったので折を見て掃除しなければと思っていたが、あくまで思ってただけ。ズルズルと先延ばしを続けて、現在のゴミ屋敷のような有様だ。
こんなことなら日頃から掃除をしておけばよかったと後悔するが、今更だ。
由香里は散らかり放題のリビングをひとしきり見てから小さく溜息を漏らし、浬に視線を移動させた。由香里の浬を見つめる瞳が心なしか冷めてるように感じるのは、きっと気のせいではないはず。
「……本当は今後について色々とお話がしたかったですが、こんな汚部屋で話なんて落ち着いてできません。御手洗君、今から掃除をしますよ」
「え……今から?」
「はい、当然です。今からこの汚部屋を綺麗にしますよ。ここは人が暮らしていい環境ではありません」
きっぱりと告げる由香里。その瞳はつい先程まで浬に向けていた冷めたものとは打って変わって、やる気に満ちていた。いったい何が彼女そこまで駆り立てているのか、謎である。
ちなみに浬は今日は婚約の件もあってクタクタなので、できれば掃除は後日に回したいというのが本音ではある。
だが、由香里とは今日から同居人として一緒に暮らしていかなければいけない。そんな彼女を迎える家が初日から汚いというのは、流石にどうかと思う。
「……分かったよ、俺は何をすればいいんだ?」
数秒ほど葛藤した末、浬は掃除することを決めた。
「ではまずは、床に散らばってるものを必要なものと捨てていいものに仕分けしてください」
「了解……」
そんなわけで、浬たちはリビングの掃除に取りかかることとなった。
浬は残念ながら掃除できない系男子だったので、仕分けを終えた後はほとんど由香里がしてしまった。
「ふう……とりあえずこんなものでしょうか?」
「凄いな……さっきまでの散らかりっぷりが嘘みたいだ」
リビングは由香里の健闘もあって、一時間足らずで終了した。掃除前と比べると、リビングは見違えるほど綺麗になっている。
こんなに綺麗なリビングを見るのは、多分この家で暮らし始めて以来だ。
「悪いな、来たばかりなのに掃除なんてさせて」
「いえ、気にしないでください。私がこの汚部屋をそのままにしておけなかっただけなので。この掃除機、元の場所に戻してきますね」
それだけ言い残して、由香里は掃除機を持って部屋を出た。
ところで、由香里は先程からちょくちょく『汚部屋』という単語を使っていたが、それが汚い部屋という意味で使ってるのは、訊ねなくても何となく浬にも理解できた。
「ふう、疲れたな……」
由香里がいなくなり、浬はソファに座り込んで背を預ける。掃除の大半は由香里がしたとはいえ、浬も全く疲れなかったわけではない。
(着替えるの面倒臭いな……)
リビングに来てすぐ掃除をすことになったため、浬はまだ着替えてすらない。おかげで学校が終わってから三時間近く経つのに、未だに制服を着ている。
ちなみに由香里も制服のままだが、彼女の場合は着替えないのではなく着替えられないというのが現状だ。
料亭を出てからまっすぐ浬の家に来たので、着替えなんて持ってるわけがない。このままだと由香里は今日一日着る服がないことになるが、その点は問題ない。
由香里の父親である哲也が、今日中に私服なんかを含めた由香里の私物が届くよう手配しているらしい。
閑話休題。
浬がソファに身体を預けてダラけていると、空腹を訴えるように腹が鳴った。次いで、思い出したように空腹感に襲われる。
「御手洗君、今の音……もしかしてお腹が空いてるんですか?」
丁度腹が鳴ったタイミングで、由香里が戻ってきたみたいだ。そんなことを訊ねてきた。
「……まあな」
腹の音を女の子に聞かれたことに羞恥心を感じつつ、短く答えた。
時刻は午後八時前。普段の浬なら、丁度夕飯を食べてる時間帯だ。腹が鳴るのも、仕方のないことではある。
実は料亭で料理が出たりもしたが、偽りの婚約や茂の同棲発言で頭がいっぱいで、口にする余裕などなかった。
「まあ、いつも通り適当にカップ麺や冷凍食品を食うから気にしなくていいよ」
「いつも通り? いつもそんなものを食べてるんですか?」
「ん? そうだな、大体カップ麺や冷凍食品、あとはコンビニ弁当なんかで済ましてるな」
掃除すらまともにできない人間が、料理ができるわけもない。もちろん料理を覚えようなんて気概もない。掃除すら面倒だからと先延ばししてた人間なのだから、当然のことではあるが。
「そんなものばかり食べてたら、いつか体調を崩しますよ」
「いや、分かってはいるんだけどさ、楽だからついな……」
料理なんて作る手間を考えるだけでも、うんざりするほど面倒臭い。その点、カップ麺や冷凍食品、コンビニ弁当なんかは大して手間もかからず作れる。楽な方に逃げてしまうのは、道理だ。
「仕方ありませんね……それなら、私が御手洗君の夕食を作ってあげますよ。少なくとも、カップ麵なんかよりは身体にいいでしょうから」
「え……?」
予想だにしない由香里の言葉に、浬は目を丸くした。
「何ですか、その反応は? 私が作るのは、迷惑ですか?」
「い、いや、そんなことはないよ」
迷惑だなんて、浬は欠片も思ってない。どうしていきなり作ると言い出したのかは分からないが、迷惑どころかありがたいとすら感じている。
「……ただ、俺普段料理なんて全くしないから、家には食材なんてないぞ? 流石に材料なしじゃ何も作れないだろ?」
「それなら、今から材料を買ってきます。近くにスーパーなんかはありますか?」
「いや、わざわざそこまでしなくても……それにもう外は暗いから、一人だと危ないぞ」
この辺りは特別治安が悪いなんてことはないが、それでも夜に女の子一人で外出というのは、できるだけ避けるべきだ。
何より自分が空腹だからという理由だけで、買い物に行かせたり料理を作らせたりするのは申し訳ない。
だから諦めるよう促そうとしたが、なぜか由香里は軽く目を見張っていた。
「……心配してくれるんですか?」
「そりゃするに決まってるだろ。何かあってからじゃ遅いんだぞ?」
「そうですか……心配してくれてありがとうございます。ですが、私は夜も出歩けないほど子供じゃありませんから、大丈夫です」
そう言って由香里は諦める様子を見せない。浬は学校でのクールな由香里しか知らなかったので、ここまで頑固だとは思わなかった。言って聞いてくれそうにない。
「分かったよ、そこまで言うならもう好きにしたらいい。ただし買い物に行くのなら、俺も付いてくからな。一人だと危ないし、どうせスーパーまでの道案内と荷物持ちも必要だからいいだろ?」
「……分かりました。では道案内と荷物持ち、お願いしますね」
「ああ、任せろ」
そういうわけで、買い物は二人で行くことになった。
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