同棲

 二人で偽りの婚約を結んでから数分もすると、茂と哲也が戻ってきた。


 四人揃ったので婚約することを告げると、保護者の二人は大いに喜び祝福してくれた。特に哲也の喜びようといったら凄いもので、浬は軽く引いてしまった。


 まあ婚約が成立したことで資金援助の約束が果たされるのだから、当然の反応と言えなくもないが。


 ただ、娘を人身売買のように差し出したくせに罪悪感の類を全く感じてない様子だった点は気に入らなかった。娘に対して、何も思うところはないのだろうか。


(よし、二人共俺たちの婚約が偽りだって気付いてないな)


 歓喜している二人を尻目に、安堵の息を吐いた。知る者が自分と由香里しかいないのだからバレるわけがないと分かりつつも、実はちょっとだけ不安だった。


 この様子なら、偽りの婚約のことがバレる心配はなさそうだ。


 ――そう安堵したのも、束の間のことだった。


「……おい爺ちゃん、今何て言った?」


 婚約したことを報告してからしばらく後。主な目的だったお見合いが婚約成立という形で終了したので、そろそろお開きにしようという空気になった頃のことだった。


「何だ、聞いてなかったのか? ワシは、お前たちには今日から同棲してもらうと言ったんだ」


 唐突に、茂は正気を疑うようなことを言い出した。






 茂が同棲してもらうと言い出してから数十分後。星の瞬く夜空の下、浬は茂の手配した車に乗り帰路についていた。


 車内は沈黙に包まれている。車内が暗いこともあってか、ただの沈黙だというのに重苦しい空気が場を支配している。前回のお見合いからの帰りとは、大違いだ。


 というのも、隣に座っているのが前回は茂だったのに対し、今回は婚約者となった由香里になっているからだ。


 茂は別に車を手配して、それで帰ったので一緒ではない。現在車内にいるのは、浬と由香里と顔見知りの無口な運転手の三人だ。


 婚約者になったのだから何か雑談の一つでもするべきなんだろうが、由香里とは先日お見合いするまで接点は皆無だったので、何を話せばいいのか分からない。


 とはいえ、この沈黙を保ったままというのもそれはそれで辛いものがあった。


「その……悪かったな、ウチの爺ちゃんのせいで」


「いえ、気にしないでください。御手洗君が悪くないことは、分かってますから」


 沈黙を破り謝罪した浬に、由香里は淡々とした声音で返した。


「けど、ウチの爺ちゃんのせいでこれから俺たちはことになったんだ。九重だって、俺と一つ屋根の下なんて嫌だろ?」


 そう、実は浬と由香里の二人は、今日から同棲することになってしまったのだ。


 原因は婚約報告後に茂の「同棲してもらう」というふざけた発言。茂の発言は冗談の類だと思いたかったが、当人は冗談ではなく本気だったらしい。


 茂曰く「婚約者同士で仲を深めるため」とのことだが、言われた側からすればたまったものじゃない。


 当然の如く浬は反対したが、残念ながら最終的には茂に押し切られてしまった。


 万が一、間違いが起こりでもしたらどうするのかと問い詰めたりもしたが、茂は「今時の若者は婚前交渉なんて珍しくもないだろ?」とふざけたことを抜かす始末だ。


 あの感じでは、浬の言うことなど聞きはしないだろう。茂の説得は諦めるしかなかった。


 由香里の父である哲也も同棲には賛成だったようで、口を挟むことはなかった。実の娘が婚約者とはいえ男と一緒に暮らすことになるというのに、由香里の身を案じる素振りは一切なかった。


 そうして浬の抵抗も虚しく、現在に至るというわけだ。車は現在浬の自宅に向けて走っている。由香里が一緒に乗車してるのも、目的地が同じという理由からだ。


「……確かに御手洗君と一緒に暮らすことに不安がないと言えば、嘘になります」


 いきなり同棲することになったのだから、女の子なら当然の反応だ。浬に対して、身の危険を感じても仕方ない。


 もちろん浬自身に手を出すつもりはないが、それを言っても信用してもらえるかというと微妙なところ。二人は、互いに信頼し合えるほど深い仲ではない。


 同い年の男子と一緒に暮らすことが女子にとってどれだけの恐怖なのか。男である浬には想像もつかないが、それでも何となく怖いだろうことは察せる。


 だから多少警戒されるのは、しょうがない。そう思っていたが、


「ですが、御手洗君は婚約に関して私に色々と配慮してくれました。ですから、私は御手洗君を信じてみようと思います」


「九重……」


 この場には二人の他に運転手がいるので、由香里はそのことを配慮してあえてぼかして言ったのだろう。


 だが偽りの婚約のことを指してるのは、すぐに理解できた。


 あれは浬も打算があっての提案だったわけだが、由香里はどうやら恩を感じてるらしい。


(律儀な奴だな……)


 元々由香里のことは真面目なクラスメイトくらいの認識でしかなかったが、それが想像してた以上だったので小さく笑みが溢れる。


 ――この信頼を裏切らないようにしよう。浬はそう心に誓った。


 それからある程度時間が経つと、浬の自宅に到着した。


 浬の自宅は、どこにでもあるありふれた二階建ての家だ。一人暮らしするには少々広すぎるが、二人で暮らすなら丁度いい広さだ。


 浬と由香里は車を降りると、運転手に礼を告げてから家に向かい、鍵を使って中に入る。続く形で、由香里も家に足を踏み入れた。


 由香里は「お邪魔します」と口にしながら入るが、これからは彼女もここに住むことになるので、この場合は「ただいま」と言った方が正しいだろう。


「あの、御手洗君のご両親に挨拶をしたいんですけど……」


 玄関で靴を脱ぐと、由香里がそう申し出た。


 これから他所の家で厄介になるのだから、家の主である親への挨拶は、一般的観点からすると普通のことだ。


「ああ、俺両親はいないから必要ないよ」


「ッ……ごめんなさい、余計なことを言ってしまいました」


 何やら由香里は、浬の発言を盛大に誤解したらしい。表情を曇らせ、謝罪してきた。


「別に気にしなくていいよ。九重だって悪気があったわけじゃないだろ」


「それはもちろんですが……」


 由香里の表情は晴れない。


 恐らく由香里は浬の両親が死んでいるとでも思ってるのだろうが、そんなことはない。きっと今も、どこかで生きてるだろう。


 とはいえ、息子である自分を残して蒸発した時点で、浬の中では死んだようなものだ。


 両親のことを由香里に教えてもいいが、聞いて楽しい話でもないし、どうせ両親と彼女が会うことはないのだから、わざわざ訂正する必要はない。


 なので由香里には「本当に気にしなくていいからな?」とだけ言っておいた。


 


 

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