契約
一週間後。婚約するか否かの結論を出す日が来た。
四人は前回と同じ料亭に、同じ時間帯に集まっていた。
早速婚約するのか否か、答えを求められると思ったがそんなことはなかった。まず最初は、前回同様保護者たちの雑談から始まった。
途中、由香里の父親である哲也が浬に話を振ることもあった。内容は「娘は君のことを大層気に入ってる」とか、「君が婚約者になれば、娘は世界一の幸せ者」とか見え透いた世辞ばかり。
向こうも会社の存亡がかかってるから必死なんだろうが、ハッキリ言ってうっとおしかった。
それからも二人の他愛ない話は続いたが、ある程度時間が経過したところで、話は本題――つまりは婚約するかどうか、その答えに関することに移った。
自然と三人の視線が浬に集まる。皆、浬の答えを待っているのだ。
三人分の視線を受けながら、浬はゆっくりと口を動かす。
「……答える前に一つお願いがあるんですが、いいですか?」
「「「…………?」」」
浬を除く三人が首を傾げたが、浬は気にせず続けた。
「彼女――由香里さんと二人きりで話をさせてください」
ハッキリとそう申し出た。
浬の申し出に三人は揃って目を丸くしたが、茂は「確かに若者二人だけで話をする時間も必要だな」と言って、あっさりと了承してくれた。
哲也は由香里と二人きりになられると何か困ることでもあるのか、少し顔を顰めたが最終的には茂と同じく了承してくれた。
最後の一人である由香里は、一瞬窺うように哲也の方を見てから言葉少なに「いいですよ」と答えた。
そしてお見合い当事者の浬と由香里を部屋に残して、保護者二人は部屋を出た。三十分ほど外で話してから戻ってくるらしい。
三十分は軽いお話程度なら余裕のある時間だが、これからする話の内容を考えると足りないかもしれない。
そういう懸念もあって、浬はさっさと話を進めることにした。
「悪いな、いきなり二人で話したいだなんて言って」
「いえ、気にしないでください」
そっけない態度で由香里は応じた。
あまりにも冷たい態度にもしかして嫌われてるのかと案じたりもしたが、よくよく考えてみれば、学校でもこんな感じだったなと思い直した。
この冷めた態度は、彼女なりの通常運転なんだろう。
「それで、話とは何でしょうか? 二人きりになりたいということは、余程大事な話だと思いますけど……」
「ああそうだな、とても大事な話だ」
今からする話は、出て行った二人にはとても聞かせられるようなものではない。だから、由香里と二人きりになれるようにしたのだ。
二人きりになるだけなら学校でも可能だったが、二人はクラスメイトとはいえ普段は接点がないため機会に恵まれなかった。
それに浬はともかく、由香里は校内でも有名な女子生徒だ。男と二人きりで密会なんて、バレた時のリスクが計り知れない。
だからこそ、浬は今日この瞬間が来ることを待ち望んでいた。
浬は一度咳払いをしてから、話を続ける。
「あー、もし勘違いだったら謝るけど……九重って、本当は婚約なんてしたくないんじゃないのか?」
「……どうしてそんな風に思うんですか?」
由香里は肯定も否定もしない。代わりに浬の発言に至った経緯を問い質した。
「簡単なことだ。俺は一度も九重の口から、『婚約したい』なんて言葉は聞いてないんだよ」
父親である哲也は由香里が浬と婚約をしたい風なことを言ってたが、由香里の口からは一度も婚約の意志を感じられる言葉を聞いていない。本当に婚約したいのなら、もっと積極的に動くはずだ。
「それに父親が婚約の話をした時、何度か嫌そうな顔してただろ?」
哲也は茂との雑談の最中、何度か婚約に関しても言及していた。そしてその度に、由香里は顔を顰めていた。
顰めていたといっても、一瞬のほんの僅かな変化だ。気付けたのは、ただの偶然。
「……よくそんな些細な変化に気付けましたね。私、思ってることがあまり顔に出る方ではなかったんですけど」
「ただの偶然だ。たまたま九重の顔が視界に入ったから、気付けただけだ」
そうでもなければ、一生気付けなかったと思う。由香里は自分でも言ってた通り、感情があまり表に出る人間ではないようだから。
「じゃあ、やっぱり九重は、お見合いはしたくないんだな?」
「……はい、本当はお見合いなんてしたくはありません」
絞り出すような声音で、由香里は答えた。彼女と言葉を交わした回数は学校を含めてもかなり少ないが、それでも今の言葉が噓偽りのない彼女の本音であることは理解できた。
「ですが、私にお見合いをするように命令したのは父です。私が拒否したところで、聞き入れてもらえるとは思えません。……父の命令は絶対ですから」
「つまり本心では婚約なんてしたくないと思ってるけど、父親には逆らえない。そういうことだな?」
「……はい」
由香里は小さく頷いた。
何となく予想できていたことではある。経営難に陥ってる企業の娘が、大企業トップの孫とお見合いをしようというのだ。裏があるのは当然のこと。
まだ高校生の子供でしかない浬にも、企業の経営が綺麗事だけでやっていけないのは理解できる。ただ、娘をまるで人身売買でもするかのように差し出すやり方はあまり好きになれない。
けれど、この状況は今回に限っては浬にとって好都合だった。
「そうか……なら良かった」
「え……?」
由香里が目を瞬かせた。いったい何が良かったのかと言いたげだ。
しかし浬は由香里に構うことなく、話を続ける。
「九重、俺と手を組まないか?」
「手を? どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ。協力しないかって提案してるんだよ。多分、九重にとっても悪い話じゃないと思うぞ」
いきなりの提案にまず戸惑い、それから少し悩む素振りを見せたが、由香里は「話の内容を聞いてから検討させてください」と回答は保留とした。
「実は俺も正直、婚約には乗り気じゃなかったんだ。このお見合いだって、爺ちゃんに半ば強制的にやらされてるだけだしな」
「やはりそうですか。御手洗君の父に対する態度からして、そうなんじゃないかと思ってました。父がお世辞を口にする度に、嫌そうにしてましたよね?」
「……よく見てるな」
「それはこちらのセリフです。御手洗君だって、私が婚約したくないことを見抜いたじゃないですか」
と、少し拗ねたような態度で答えた。
学校ではクールな姿しか見せない由香里の子供っぽい様子は、普段とのギャップも相まって思わずドキリとしてしまうほど可愛らしかった。
「……っと、少し脱線したな。話を戻すぞ」
茂たちが戻ってくるまで、そんなに時間はない。いくら可愛いからといって見惚れてる余裕などないので、浬は話の軌道修正を計る。
「とにかく俺は婚約なんてしたくない。けれどちょっとした事情があってな、婚約しなくちゃいけないんだ。それは九重も一緒だろ?」
「そうですね。婚約を必要としてるのは、私ではなく父ですが」
「ああ、その辺りの事情は俺も知ってるよ。父親の会社、今経営難なんだってな」
由香里の方の事情は大体把握していたが、家族である娘を差し出そうとするなんて、九重グループの経営状況はそれほどまでに良くないということか。
「そこで俺が提案したいのは、偽りの婚約だ」
「偽りの婚約……ですか? それってどういう……」
「そのままの意味だ。いずれ破棄することを前提とした婚約を、九重としたいと思ってるんだ」
偽りの婚約。婚約破棄が前提として存在するので、婚約をしたくないという二人にはピッタリの案だ。
偽りとはいえ、婚約であることに変わりはない。茂と哲也が結んだという、資金援助の件も問題なく成立する。
浬も偽りであろうと婚約すれば、茂を安心させてあげられる。これが両親の件があって以降、恋だの愛だのに不信感を持つ浬なりの最大限の譲歩だ。
騙すようで心苦しくはあるが、これが自分を育ててくれた祖父に対する浬の恩返し。本当はもっと大人になってから受けた恩を返したかったが、多分それだと間に合わない。
だからせめて安心して逝けるよう、茂の心残りを解消することにした。その手段が、由香里との偽りの婚約だ。
「どうだ? そっちにとっても、悪い話じゃないと思うけど」
「そう……ですね。父の要望に答えつつ、私のことも考慮してくれている、素敵な案だと思います」
「なら――」
「はい。その偽りの婚約、受けさせてもらいます」
由香里はハッキリとそう口にした。
こうして、いずれ破棄される未来が確定している、愛なんてものがカケラもない婚約が成立したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます