お見合い相手は同級生

 九重ここのえ由香里ゆかり。それは浬と同じクラスである女子生徒の名前だ。


 優れた容姿だけでなく、学業と運動の両方において高い成績を収めており、優秀かつ可愛いことで学校内ではよく知られている。


 そのため学校には学年問わずかなりの数の男子生徒が彼女に好意を抱いてるらしいが、未だにその想いが成就したという話は聞かない。全て断っているんだろう。


 浬との関係は、ただのクラスメイト。半年間同じ教室で過ごしているが、まともに話したことはない。


 いやそもそも、由香里がクラスメイトとまともに話をしてるところなんて、浬は一度として見たことがない。


 きっと彼女が常にどこか近寄り難い、氷のような冷たい雰囲気を纏ってるせいだろう。由香里は学校では、常に一人だ。


 故に学校で由香里に話しかける者がいるとすれば、それは大抵の場合、彼女に告白する男子生徒となる。


 そして現在、その由香里がお見合い相手として長テーブルを挟んだ向こう側に座っている。もしかしたら他人の空似かもと考えもしたが、つい先程した自己紹介で、九重由香里本人であることは証明されてしまった。


 お見合いというだけでも気が重かったのに、その相手がクラスメイト。気マズいなんてものじゃない。いったいどんな顔をすればいいのか、浬は頭を抱えた。


 それは向こうも同じようで、居心地の悪そうな顔をしている。由香里もまさか、クラスメイトの男子が来るとは思わなかったはずだ。


「ええと、学校で別れてからだから……一時間ぶりくらいか?」


 親しい仲というわけでもないが、かといって知らない仲というわけでもない。なので、とりあえず声をかけてみることにした。


「そう……なりますね」


 か細い声ながらも、由香里から答えが返ってきた。まともに話したのは初めてだが、近くで耳にする由香里の声は、鈴の音を転がしたような美しいものだった。


「「…………」」


 だが、互いに一言ずつ交わしただけでそれ以上会話が続くことはない。互いに相手のことをほとんど知らないから、何を話せばいいのか分からないのだ。


 ちなみに二人の保護者たちの方はというと、


「――いやあ、しかし驚きましたな。まさかお見合い相手である御手洗さんの息子さんが、娘と同じ学校のクラスメイトだったなんて……!」


「そうだな、ワシも驚いた。まさかワシの孫とそちらの娘さんが、すでに顔見知りだったとはな」


 無言の当人たちを放置して、保護者である二人は盛り上がっていた。浬たちとは正反対で、大変楽しそうである。


(……もう二人でお見合いした方がいいんじゃないか)


 浬は一人、そんなバカな思考をしてしまう。


「おっと、こうして我々だけで話すのも楽しくはありますが、本日の目的は子供たちのお見合い。そろそろ本題に入るとしましょう」


「おお、そうだったな。すまないな、二人共。ワシらばかりで話し込んでしまって」


 ようやく浬と由香里の存在を思い出したらしい。保護者二人は、浬と由香里も交えて本題であるお見合いについて話し合い始めた。


 まあ本題に入ってからも、会話を主に進めるのが保護者の二人であることに変わりはなかったが。浬と由香里は、時折振られる話に適当に相槌を打つだけだ。


 ただ、由香里の父である九重ここのえ哲也てつやは「娘のお見合い相手が、このような好青年とは」とか「彼のような男がお見合い相手だなんて、娘は幸せ者だ」とか臆面もなく言ってのけた。


 本音か世辞なのかは別にしても、こうも手放しに褒められると嬉しさよりも気味が悪いと感じてしまう。浬のご機嫌を取ろうとしているのは見え見えだ。


 なぜここまでするのか、このお見合いの場を設けた茂なら理由を知ってるかもしれないが、今この場で訊ねるわけにはいかないので黙るしかない。


 それからしばらく話が続けられたが、この日のお見合いで婚約するか否かという話に結論が出ることはなかった。


 というのも、たったの一日足らずで婚約するかどうか決めるのは、学生には少々荷が重い。よって一週間後にもう一度ここに集まるので、それまでにどうするか結論を出そうということで話はまとまった。


 結論を一週間後に出そうと提案したのは、茂だった。恐らく、ほんの少し前にお見合いのことを知ったばかりの浬に配慮してのことだろう。


 元々婚約するつもりなんて毛ほどもない浬としては、あまり意味のないことだったが。


 由香里の父である哲也は不満そうではあったが、反論を口にすることなく茂の提案に従った。


 それから一時間もしない内に、お見合いはお開きとなった。


 料亭を出たところで九重親子と別れて、浬たちは車に乗り込んだ。


「……なあ爺ちゃん、俺にお見合いなんかさせていったいどういうつもりなんだよ?」


 車が動き出してからしばらくした頃、隣に座る茂に訊ねた。


「どういうつもりも何も……可愛い孫の幸せのために相応しいお見合い相手を用意しただけ。何もおかしいところはないだろ?」


「お見合いの相手があのなのに、そんな言葉が信じられると思うか?」


 仮にも、国内でも有数の大企業である御手洗グループの人間とお見合いをするのだ。当然ながら、由香里たちは何の変哲もない一般人などではない。


 浬が九重という名字から連想したのは、九重グループと呼ばれる企業。九重グループは、御手洗グループほどではないにしろ、それなりに名の通った企業だ。


 ただここ数年の業績は右肩下がりで、あまりよろしくないという噂を耳にしたりもする。


「それに父親の方は、たかがお見合い如きに当事者の娘よりも必死だった。あれを見て何もないなんて思えるわけないだろ」


「ワシは別に何も企んではいないんだがなあ……あのお見合いにしたって、上手く孫と婚約できたら資金援助をしてやろうと約束したぐらいだし……」


「絶対それだろ」


 謎が一つ解けた。


 つまり九重哲也は、御手洗グループからの金銭的援助ほしさにあそこまで必死だったというわけだ。娘をあっさり差し出す辺り、九重が現在どれだけ切羽詰まった状況なのかよく分かる。


「父親の方が必死だった理由は分かった……それで、爺ちゃんが俺にお見合いをさせようとしたのは、どうしてなんだ? まさか本気で可愛い孫の幸せのため……なんて言わないよな?」


 浬の前ではよく好々爺を気取っている茂だが、それは彼の一面でしかない。茂は浬の祖父ではあるが、同時に大企業の経営者でもある。


 お見合いの相手が名のある企業の人間ということもあり、今回の件は何か裏があるのではと浬は睨んでいる。


「ワシってそんなに信用ないのか……」


 真意を問う浬に、茂はガクリと肩を落とした。


「はあ……浬、ワシは別におかしなことは企んでいない。今回のことは、さっき言ったようにお前の幸せを願ってのこと。あとは……お前が心配だったからだ」


「心配?」


 茂は割と心配性なところがあるので、孫の浬を心配してること自体は別におかしくない。問題なのは、浬を心配することとお見合いすることに、何の関係があるのかだ。


「……浬、恐らくワシはもうそう長くは生きられないだろう。これでも、もうかなり年だからな」


 茂の口から漏れたのは、常日頃の彼と比べると随分と弱々しい、それでどこか達観したような声音だった。


 慌てて隣の茂の方に振り向く。


 車内は暗く、外から差し込む街灯や周囲の建物の光以外に車内を照らすものは何もない。


 おかげですぐ隣の人間の表情すらよく見えない状況だが、それでも茂が達観したように笑ってるように見えたのは、きっと浬の目の錯覚などではないだろう。


「……ッ」


 普段の茂の言動からは活力のようなものを感じられるが、それでも彼は八十を超える老人だ。高齢に加えて、普段大企業のトップとして激務をこなしていることも考えれば、いつ死んだとしてもおかしくない。


 だがそれでも、改めて言葉にされると辛いものがある。


「もうこの年だ、死ぬこと自体は怖くない。向こうでは婆さんも待ってることだしな。唯一心残りがあるとすれば……それはお前なんだ、浬」


 浬は息を吞む。まさか自分が茂の心残りだとは思わなかった。


「ワシがいなくなってしまえば、お前は一人ぼっちになってしまう。ワシはそれが不安で仕方がない」


 浬にとって家族と呼べる存在は、もう茂しかいない。両親はどこかで生きてるかもしれないが、一度自分を捨てた人間を両親だと思えるほど、浬は寛容ではない。


 だから言葉通り茂が死んでしまえば、浬は一人ぼっちになってしまう。茂は、浬が孤独になるのを危ぶんでいるみたいだ。


「だから、俺にお見合いをさせたのか?」


「ああ、そうだ。婚約者がいれば、ワシが死んだ後もお前は一人じゃない。そうなれば、ワシも安心して逝ける」


「爺ちゃん……」


 どうして茂が強引にお見合いをさせたのか。その理由は、全て浬のためだった。その事実に、込み上げてくるものがある。


「浬、お前が嫌だというのなら婚約は断ってもいい。これはお前の人生、年寄りの戯言など、お前が聞く義理などない」


 茂は強制はしてこない。あくまで浬に判断を委ねてくれている。


「ただ、少しでも今のワシの言葉に何か感じるものがあるのなら、一度考えてみてくれないか?」


 茂――孫を想う祖父の切実な言葉は、婚約する気などなかった浬の心を揺さぶるには、十分なものだった。

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