キメラ砦
それからもジェフザへの道のりは何日も続いた。アヤノは明るさを取り戻したものの、かつてのように過剰に触ってくることは無くなったし、自分の下着は自分で洗うようになった。
「アヤノも進歩しているということですね」
「……」
「アル?」
「ん、ああ。そうだな……」
「どうしたんですか? ぼーっとして、アルらしくもない」
エリスが心配そうに尋ねてくる。
「なんでもない」
何の問題もない。いいことづくめだ。ただ、言い知れぬ胸のざわつきが収まらないだけで……
ふと、少し離れて先頭を歩いていたミルカが声をあげる。
「あ! ジェフザってあれかな?」
彼女が指で示した先――山の中腹辺りに、巨大な城塞のようなものが見える。
山に登り、近づいていくにつれその異様さが露わになる。
「なんですか、これは……」
それは石造りの家々だった。それらは隙間なく、まるでもたれあうように建てられており、まるで一つの建物であるかのような異貌を放っている。
他の都市のように、門番などはいない。出入口も多く、防備に適していないように見えたが、上空で目を光らせている飛竜たちがデマリア兵の心を折ってきたのは想像に難くなかった。
「これ、どうやって入るの……?」
当然、俺たちも途方に暮れる。飛竜を追い払うこと自体はできるだろうがその間に兵が出てきて包囲されてしまうだろう。
「旅の方ですか?」
建物から出てきた青年が俺たちに声をかける。
「おや、あなた方は……」
こちらを見て何かに気付いた様子の青年。こちらも彼に見覚えがあった。ミシェルの弟、確か名前はサミュエルといったか。俺はすぐさま短剣を抜く。
「ああ、そう身構えないでください。あなた方は王国兵ではなさそうですし、今は争う理由もないでしょう」
苦笑するその姿は、あのミシェルの妹とは思えないほど穏やか――弱弱しいと言ってもよかった。
「俺たちはお前らの蛮行を止めなければいけない。戦う理由はそれで十分じゃないか?」
「うーん……話し合いの余地はあると思いますよ。まあ、中に入って、お茶でもどうですか?」
そう言うとサミュエルは建物の一つに入っていく。どうにも調子の狂う男だった。
「罠だろうか?」
エリスの方を見ると彼女は少し考え込む。
「いえ……害意があるならわざわざ中に引き込まなくてもいいでしょう。むしろ外の方が数の利を活かせると思いますが」
「ミルカもあの人は大丈夫だと思うよ」
エリスの言うことは尤もだったし、ミルカの直感も馬鹿にはならない。俺たちは顔を見合わせ、頷きあうと建物の中へ入った。
建物の中はそれ自体が街のようになっており、中から別の建物にも行き来できるようだった。
「こっちです」
中で待っていたサミュエルが先導する。住民たちは物珍しそうに俺たちを見てくる。
そのまま建物を進んでいき奥の一室に入る。
「まあ何もない部屋ですけど、くつろいでください」
「ずいぶん質素な部屋なんだな。頭領の弟と言うからには豪華な部屋に住んでいるのかと思ったぞ」
「僕らはみな平等ですよ」
「平等?」
「ここには元々ジェフザに住んでいた者のほかに、色々な事情で故郷を離れなくてはいけなくなった者たちが暮らしているんです。難民、犯罪者、他にも色々……ここには法というものがない。ただ一人の人として暮らしていけるんです。姉さんが頭領になっているのは最低限の秩序として、みな姉さんを恐れ、尊敬しているから……」
「そんなんで治安は大丈夫なのか?」
「よくはないですけど、あまりにも道理に外れたことをすれば容赦ない私刑が待っているので。だってそれを縛る法律もないのだから」
そう言うと、サミュエルはお茶を俺たちに出してくれる。
「つまり……デマリアの支配を受けないのは法からここの人間を守るためですか?」
「ええ、ここに住む者は法の下では生きていけないので」
エリスの質問に、サミュエルが頷く。
「巨大な退廃地区のようなものですか……」
「その認識で合っていると思いますよ」
「その話を聞くと、わざわざデマリアに喧嘩を売るような真似をする理由がわからんな」
「僕らは結局のところ規模の小さな寄り合い所帯。大勢力にはすぐ踏みつぶされてしまいます。ですから、早いうちからどの勢力が強いか見極めて、そこにつかなくてはいけません」
「それで、魔族についたというわけ?」
アヤノが非難するような口調で言うが、サミュエルはそれを平然と受け流す。
「ええ、あいにくですがデマリアには何の恩義もありませんので」
「魔王は世界を征服しようとしてるんだよ⁉」
「たとえ世界が滅んでも、自分の住む場所を守ろうということが悪なのでしょうか?」
「残念ながら、魔王の命運は尽きかけている」
「ほう?」
「帝国もメイオベルも内輪もめをやめ、魔族との決戦に備えている。デマリアにももはや他国と争う理由はない。中原の平和は戻ってきている」
「しかし、魔王は――」
サミュエルが言葉を紡ぐ、しかし、それが終わらないうちに扉が開き、遮られる。
「サミュエルー、飯作ってくれ」
闖入者は翡翠色の瞳でこちらを捉える。
「お前は、この間の変態ッ!」
「姉さん、この人たちは僕のお客さんだよ」
そう、闖入者の正体はここの頭領、ミシェルだった。
「変態はお前だろう」
「まさかそっちから来てくれるとはな。この前の決着を付けようじゃないか」
「姉さん! この人たちは平和的な話し合いをしにきただけだから!」
「平和的な話し合いぃ?」
ミシェルは胡乱な目でこちらを見てくる。俺は、俺たちの計画を彼女に話した。
「ふん、夢物語だな」
彼女の反応は冷ややかだった。
「そんなの、やってみなきゃわからないじゃない!」
アヤノは今にも噛みつかんばかりの剣幕だ。
「わかるさ。仮に連合軍が魔族を押し返したとして、お前たちでは魔王を倒すことができん」
「なんでそんなことがわかるの」
「俺も魔王に挑もうとしたことがあるからだ。その手下にすらまるで歯が立たなかったがな」
ミシェルは悔しそうに唇を噛むが、すぐに俺たちの方を睨んで続ける。
「だから俺は魔族に魂を売った。それでもジェフザを守らなければいけないからだ。お前たちは猛者ぞろいのようだがお前たちの中で一番強いのはそこの変態だろう? でないとわざわざ一騎打ちに出てこないだろうしな。残念ながらお前では……」
彼女の言葉に俺たちは顔を見合わせる。
「アルお姉ちゃんも強いけど、一番は多分アヤノお姉ちゃんだよ」
「なに?」
「一騎打ちなら俺は多分三番目だ」
アヤノはもちろん、ここ最近のミルカの成長ぶりは目を見張るものがある。出会った頃ならいざ知らず、今はもう歯が立たないだろう。
「じゃあなぜお前が出てきたんだ……」
「色々あったんだよ」
そこら辺は面倒だから言わないが。
「まあいい、それでも無理だ。俺より強い人間がいるわけないからな」
「へぇ……」
ミシェルの言葉に火が付いたのか、アヤノが目を細める。
「じゃあ、やってみる? いちいちムカつくのよねあんた」
「ふん、望むところだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます