鬼神

 デマリア王国――中原で最も歴史が古く、実り多いこの国は豊穣の大地と呼ばれている。

 帝都にも負けないほど美術館や劇場が多く、また古代の寺院も数多く存在しており、文化が進んでいることを示していた。

「現王が愚者という噂は本当だったのですね」

 エリスが不満げな理由は簡単で、門前払いを食らって王への謁見が叶わなかったからだ。

 ヘルミナやメイオベル王が特殊なだけで、それだけで愚者と判断するのはいささか早計かと思われたが、それに対し異論をはさむ者はいなかった。

 市場は閑散としており、劇場は閉館、歴史的建造物は荒れ放題、その傍らに座り込むのは薬物中毒者と思しき連中。これでは君主の器を疑われても仕方がなかった。

「仕方のない部分もある」

 というのは、このデマリアは豊かな大地故に帝国からも魔族からも度々侵攻を受けていたのだ。暗君の責任と言うよりもむしろ他国に起きた変化の方が大きな要因に思えた。元来危うい均衡の上に成り立っている国家だった。それだけのことだろう。

「でも、国民が苦しんでいるのに自分は宮殿に引きこもっているなんて、ひどいよ」

 アヤノの言う通りではある。だが王族というものは生まれた時から運命が定められている。その全てに強さを求めるのは無理な話だろう。

 幼いながらに己の運命と向き合うヘルミナ、偉大な父を持ちながらそれを超えようと日々鍛錬を続けるミルカ、エルフという種族を超えた知識を行使して同族を救おうとするエリス、そしてわけもわからないままに異郷に飛ばされ、他者のために命を張るアヤノ、彼女たちが特別強いだけだ。

「しかし、暗君だからといって斬り捨てることもできません。デマリアにも対魔族の輪に加わっていただかなくては」

「でもでも、ヒルスキアやメイオベルはもうデマリアとは喧嘩しないんだよね? もうミルカ達にできることはないんじゃないかなあ」

 確かに、国外の情勢を考えたらデマリアは既に魔王に集中できる状態だ。

「しかし、この廃れようはなにか理由があるはずです。なんとしてでもそれを見つけて、解決しなくては……」

 とっかかりがなく、エリスは焦っている様子だった。

「まあ焦っても仕方な――」

 しかし、俺が発した慰めの言葉は、民衆の悲鳴でかき消される。

「空賊だああ!」

「空賊?」

 上を見上げる。俺の視界に入ってきたのは王都の空一面を覆いつくす飛竜の群れだった。

「なっ――」

 違う。そんなものではない。全ての飛竜に人が騎乗していたからだ。

「竜騎兵か!」

 騒ぎを聞きつけた王国兵たちが出てくるが、空から襲い来るならずものたちにことごとく打ち倒されていく。

「なんて練度……あんな竜騎兵の部隊どの国にも……」

「エリス! 今は街の人たちを助けるのが先だよ!」

 しかし、空からの攻撃には苦戦を強いられる。

 彼らの基本戦術は攻撃して上空に逃れての繰り返しだ。地上に縛り付けられているこちらは一方的に攻撃を受けることになる。

「あーもう、鬱陶しい!」

 アヤノはじれったそうな声を出すと、竜騎兵を引きずり降ろす。

「あ、おい!」

 俺の静止も空しく飛竜に跨ったアヤノは、竜騎兵たちがいる空へ飛び立っていく。

「ちょっと、何よこれ!」

 案の定アヤノが乗った飛竜は恐慌状態に陥り、めちゃくちゃに暴れまわる。

 しかし、これは好機だった。安全圏だと思っていた上空に突如珍客が現れたものだから竜騎兵たちは高度を下げてくる。

「これなら!」

 エリスがお馴染みの爆弾を上空に放ると、凄まじい音と光が辺りを切り裂く。

 これにより、恐怖に支配された飛竜たちは騎手の制御を離れる。中には振り落とされ落下してくるものもいた。

 思わぬ反撃を受けて上空高く陣取る竜騎兵たち。こちらの様子を窺い襲ってくる様子なかったがやがて一人の竜騎兵が降りてくる。

 薄茶色の髪は露出した褐色の腰まで伸び、均整の取れた体躯を彩っている。猫科の動物を思わせるような丸く、翡翠色の目、よく通った鼻筋――詩人が唄いそうなほどにはっとする見た目の女剣士だった。

 彼女は戦場とは思えないほどの優雅さでこちらに向かって歩いてくる。

「今だ、かかれ!」

 王国兵たちが襲い掛かる。だが次の瞬間地に伏していたのは彼らの方だった。

 おそらく彼らは自分の身に何が起こったのかもわかっていないだろう。それくらい速い剣筋だった。

「腑抜けの王国兵に用はない。俺はただ、いつもはいない勇士の面を拝みに来ただけだ……おや?」

 竜騎兵の目がこちらを捉える。なにか嫌な予感がした。

「美しくも荒々しい姫君だ……おいお前、俺の嫁になれ」

 女に求婚されるのは二度目だ。一度目の泣き落としとはだいぶ違う形になったが。

「断る」

「ならば力づくで連れ去るのみだ」

「望むところだ」

 俺が一歩前に出ると、後ろから声をかけられる。

「アルお姉ちゃん、その人強いよ。ここはミルカが……」

「いや、俺が行く」

 斧の一振りで数人の首を飛ばすミルカの怪力は軍勢を相手にした際の切り札だ。そして、上空にはいまだ竜騎兵たちが控えている。アヤノがどこにいるかわからない今、ここでミルカにもしものことがあれば俺たちは竜騎兵に対抗する力を失うことになる。

「話はまとまったか?」

 竜騎兵が聞いてくる。

「ああ」

「俺の名はミシェル。ジェフザ自治領域、そして竜騎傭兵団の長だ。覚えておけ」

「――ッッ!」

 俺は名乗りを挙げることなく、ミシェルとの距離を詰めると短剣を突き出す。

 彼女はそれを難なく避けると鷹揚に笑う。

「名乗りもあげぬとは、ずいぶんなじゃじゃ馬だ」

「そんな育ちじゃないからなッ」

 二振りの短剣で斬撃を加えていくが、ミシェルは軽やかな身のこなしで全てを躱していく。

「はぁっ!」

 蹴りが命中する。しかし彼女は平然とした様子だ。

「こちらからもいくぞ」

 ミシェルが剣を振るう。その剣筋は洗練されたアヤノとは対極の野性味あふれるものだったが、アヤノと同じくらい速く、無駄のない剣技だった。

「くっ……」

 冷汗が垂れる。今はかろうじて避けてはいるもののいずれこちらを捉えるだろう。

「ははっ、避けてばかりか⁉」

 戦いを楽しむその姿はまさに戦鬼だった。

 だが、それなら付け入る隙がある。

 俺が地面を転がって避けると、すぐさまミシェルは追撃してくる。そこで俺は砂を奴に向けて蹴り上げる。幸い突風が吹いてその効果は増した。

「ぐっ……」

 怯んでいるミシェルに斬りかかる。何発か当たるが、向こうも野生動物じみた勘でこちらを斬りつけてくる。脚を斬られた俺はそのまま地面に引き倒され、馬乗りにされる。

「どうやら貴様は精霊に愛されているらしいな。その短剣にも小細工をしているようだ。だがあいにく俺はそんなものには全てに打ち勝ってきた」

「く、そ……っ」

「アル!」

 エリスとミルカが駆けよってくるが、それを竜騎兵たちが阻む。

「ほう、アルというのか。ならばアル、俺の嫁になれ。世界をくれてやる」

「誰がっ」

 口から針を吐く、先端には猛毒が塗ってあり、暗殺の際によく使った手だったが、それもミシェルはなんなく避ける。

「ずいぶん反抗的だ。なら、ここで俺の物にしてやろう」

 ミシェルは乱暴に服の中をまさぐってくる。嫌悪感を覚えるがもはや手は残されていなかった。

「やめろ……!」

「処女か? 安心しろ、優しくしてやる」

 やがて、彼女の手は下腹部に達する。そして下着の中に手を入れ――

「ん? なんだこれは……ま、まさか!」

 彼女の表情が悦楽から驚愕へ変わっていく。俺はその隙を逃さず彼女の拘束を逃れる。

「残念だったな。俺は男だ」

「な……騙したな‼」

 ミシェルの瞳が憤怒に燃える。彼女はすぐさま剣を手に取り、斬りかかってくる。

 相変わらず恐ろしいほど速い剣だったが、先ほどよりもかなり単調だ。これならば獣と変わらない。難なくこれを避けると、彼女の大腿に短剣を突き刺してやる。

「ぐああああッ!」

「お返しだ」

「くっ……脚が動かん」

 いかに人間離れした力を持っていようと麻痺毒が深く回れば動けないか。これで無理なら打つ手がなかったので安心する。

「終わりだ」

「なめるな! 脚が動かなくてもお前くらい……」

 次の瞬間、空から竜騎兵が一人降り立ってくる。

「姉さん、今は撤退しよう」

「一騎打ちの邪魔立てをするな!」

「でも……!」

「あまりしつこいようなら、サミュエル、お前も……!」

「姉さん! 姉さんがいなくなったらジェフザの人たちはどうなるのさ!」

「……」

「今は頭領の立場なんだよ?」

「わかった……おい」

 サミュエルと呼ばれた竜騎兵の後ろに乗ると、ミシェルはこちらに声をかけてくる。

「こんな屈辱は初めてだ。次遭った時は百倍、いや千倍にして返してやるから覚えておけ」

「お前が勝手に勘違いしていただけだろ」

「うるさい! この俺にあんなものをさわらせやがって……!」

「姉さん、もう行くよ」

「覚えてろよ!」

 捨て台詞を残すと、竜騎兵たちは去っていった。慌ててエリスとミルカが駆けよってくる。

「アル、大丈夫ですか⁉」

「アルお姉ちゃんすごい! あの強い人に勝っちゃった!」

 勝ってはいないと思うが、命が残っていたのは奇跡だろう。小物じみた捨て台詞を残していたが次戦ったら十数えないうちに殺されるかもしれない。それほどの猛者だった。

「それにしても、奴らは一体……」

「奴らはジェフザ自治領域という場所からやってきている」

 俺たちに声をかけてきたのはデマリアの兵士だった。豪奢な身なりから士官だと言うのがわかる。彼ははっとしたように名乗りをあげる。

「ああすまん。俺はトニー。王国に仕える将軍だ」

「それで、ジェフザというのは? 聞き馴染みのない名前ですが」

「他所から来た人はそうだろう。彼らは去年にデマリアから独立したばかりの新興勢力だからな……彼らはもともと北方の山脈に住む少数民族で、成人の試練として竜と心を通わせるということで、デマリアの竜騎兵隊は彼らが大半を占めていたんだ……」

「それが敵に回ったということか」

「ああ、しかも傭兵団を名乗って、魔族に与する始末。突如現れては略奪を繰り返している。最もたちが悪いのがあのミシェルと言う頭領で、彼女の勇猛さは人間族最強と言う呼び声も高い」

 奴の剣筋を実際に見た者ならそう言うだろうな。

「残念ながら今のデマリアは奴らに対抗できん。奴らから王都を守ってくれた礼を言わせてくれ」

「もしかして、王都の廃れようはジェフザのせいなのか?」

「情けない話だが、そうだ。俺にも君たちほどの力があればな……」

 トニーは大きな拳を震わせる。俺たちは顔を見合わせる。

「じゃあ、ミルカ達がその人たちをやっつけてくるよ」

「なに?」

「ジェフザを抑えることがデマリアにとって一番の課題なのでしょう? なら私たちがそれを引き受けます」

「しかし、旅の者にそこまでしてもらうのは……」

「いえ、私たちはそのために旅をしているので」

「では、お頼み申す……武人としては情けない限りだが」

「ミルカたちに任せて!」

 こうして、俺たちは人間族最強の女が待ち受けるジェフザ自治領域へ向かうことになったのだった。

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