悲しき怪物

 屋敷へ戻ると、ジョンは王への報告のために城へ行った。

「骨は折れていなさそうですね。ですが、酷い打ち身です。しばらく安静にしていてください」

 エリスが俺の背中を見て言う。

「薬草があるといいのですが、あいにく今、切らしていますね……」

 困ったようにエリスがつぶやく。

「あら、それなら市場にあるかもしれないわ」

 そう言ったのはメイヴィスだ。彼女は慌てて外へ出ていく。

「あっ、ちょっと、私が買いに行きますから……ってもう行ってしまいました……」

「獣人ってやつはみんなそそっかしいのか……」

 ミルカもそうだし、アレンもかなり落ち着きがない。

「ところで、アルさん……服を脱いでもらえると助かるのですが」

「肌着をめくっているのだから十分だろう」

「なにを今更照れているんですか。私にはアヤノのような趣味はありませんよ」

 エリスはいきなり俺の身体をぺたぺたと触ってくる。

「お、おい、何のつもりだ」

「いえ、意外と筋肉質なんですね」

「ああ、まあ俺は男だしな」

「またまた、アルも意外と冗談が好きですよね」

「いや、冗談ではないのだが」

 今ここで肌着も脱いでやろうかと思ったが、そんなことをして悲鳴でもあげられたら私刑は免れない。

「ちょっと二人とも……うひょ、アルのサービスシーン?」

 慌てて部屋に駆けこんできたアヤノだが、俺の姿を見て鼻の下を伸ばす。

「そんなことはどうでもいい? いったい何なんだ?」

「そうだった。城の方から煙が出ているの。それに、街の方も騒がしいみたい。何かあったのかな?」

 確かに、街の方から何やら怒声が聞こえる。

「……気になるな。様子を見てこよう」

「ちょっと、安静にしていてください」

 俺が立ち上がると、エリスが止めてくる。

「そんな場合か」

 窓の外を見ると、確かに民と兵が揉めているようだった。

 そこに、ミルカが駆けていくのが見える。

「ミルカっ」

 俺はミルカの姿を確認すると、窓から街へ飛び降りる。

「あっ、もう、どうしてこう猪ばかり!」

 上で何やら癇癪を起しているが、そんな場合ではない。

「ミルカは市場の方に行ったね」

 同じく飛び降りてきたアヤノが言う。

「ああ、行くぞ」

 俺たちは市場へ急いで向かった。

「なんだ、これは……」

 そこは、火の海だった。

 民が斬られ、兵は略奪を働いている。

「おりゃー!」

 ミルカは彼らを相手取り、戦っていた。

 力に優れた獣人を力任せになぎ倒していくその姿に戦慄を覚える。

 すかさず俺たちも加勢して、兵たちを倒し、逃げ遅れた住民を避難させていく。

「メイヴィスおばさん!」

 その中には、ジョンの妻、メイヴィスもいた。

「ああっ、ミルカ!」

「いったい何があったの?」

「わからないわ。突然城の方から兵たちが市場にやってきて……」

 城を見る。元々特殊な石で作られた城、変わらぬ姿でそびえたつあそこで何かが起こっていると見て間違いないだろう。

「ミルカ、アル!」

 アヤノが叫ぶ。

「こっちは私たちに任せて! 二人は城の方を見てきて!」

「わかった!」

 その場をアヤノとエリスに任せ、俺とミルカは城に急ぐ。

 城の中は、異常なほど静かだった。

 上へ上り、奥へ進んでいくと、王が玉座に座っていた。

「王様!」

 ミルカが駆けよる。王はぐったりした様子で彼女を見る。

「ミルカか……どうやら神は俺の行いを見ていたらしい。こうなるのは必然だったのかもしれんな」

「王様? 王様!」

「あまり揺らさない方がいい」

 王は苦しそうにうめいている。出血もしているし、あまり悠長にはしていられない。

 ふと、声が聞こえる。

「今こそ、暴君から解放される時! 俺はここに、真なる獣人国家を樹立する!」

 声は、バルコニーの方から聞こえた。

「行ってくれ、ミルカ。奴を、止めてくれ」

 それだけ言うと、王は気を失った。

 俺とミルカは顔を見合わせると、バルコニーに出た。

 街を一望できるバルコニー、そこで口舌を垂れている反逆者の背中が見える。

「何者にも縛られない。それが獣人のあるべき姿だ! 俺はみなの自由を保障しよう!」

「お前だったのか……」

 犬の耳を見て、そうつぶやく。

 奴はゆっくりと振り返る。

「ジョンおじさん……」

 ミルカは衝撃を隠せない様子だ。ジョンは今までと同じ同じ友好的な笑顔で、俺たちに近づいてくる。

「ミルカ、それにアルも。いやはや、お前たちもこの改革に賛同してくれるのか?」

「ジョンおじさん、なんで……?」

「わはははは! よもやミルカにそれを聞かれるとは思わなかったぞ」

「どういうことだ?」

「王は俺から唯一無二の友を奪った。それでは不足か?」

 友というのはミルカの父、ウォードのことか。

「よりにもよってフェリペなどという腑抜けの讒言を真に受けてな。しかも、あの後も奴をはじめとする文官共はこの城内にのさばっていた。だから掃除したのだよ」

 ジョンの瞳は狂気に染まっていた。

「我ら獣人たちに文官などいらぬ。俺は獣人の獣性を目覚めさせてやることで、この国を根底から覆す。そうすることで俺の復讐は成るのだ。ミルカ、お前も俺と共に来い」

「それは嫌だよ」

「……なんだと?」

「ミルカは、この国が大好きだから。色んな種族が身を寄せ合ってすごい力を発揮する。そんなこの国が大好きだから。だからジョンおじさんにはついていけない。ううん、ミルカはおじさんを止めてみせるよ」

「親不孝な娘だ……いいだろう。邪魔立てするというのなら、親友の忘れ形見といえど容赦はしない」

 ジョンは大剣を手に前に出る。

「アルお姉ちゃん」

 短剣を構える俺にミルカは声をかけてくる

「どうした?」

「ここは、ミルカ一人でいくから」

「だが……」

 目の前の大男はどう見ても強敵だった。それに、ミルカもまた傷が癒えていない。

「お願い」

「……わかった」

 以前の俺なら無用な危険としか思わなかっただろう。いや、今でもそう思う。だが、ここはミルカの望み通りにさせてやるのが最善だと思った。

 彼女は静かに大斧を構える。初めて俺が対峙した時とは比べ物にならないほどの闘気を放っていた。

「っ!」

 先に仕掛けたのはジョンだった。彼の一撃をミルカは受け止める。

「ぬぅん!」

 ジョンは続けて斬撃を繰り出す。疾く、力強いその連撃に、ミルカは思わず後退する。

「この程度か⁉ これではウォードの足元にも及ばんな!」

 大振りの一撃がミルカを襲う。思わず目を背ける。だが、聞こえてきたのはミルカの断末魔などではなく、ジョンの驚愕した声だった。

「なに⁉」

 ミルカは彼が放った渾身の一撃を受け止めると、力任せに彼の大剣を押し返した。

「くっ」

 ジョンは思わず飛びのくと、先ほどまで彼がいた場所に大斧が振り下ろされる。

 床に叩きつけられた大斧は、黒いバルコニーを粉砕する。

「はあっ!」

 ミルカはジョンを追い飛び降りる。そして落ちていく彼を斬りつけた。

「ぬわああああ!」

 空中で彼女の一撃を大剣で受け止めるジョン。しかし、その勢いは殺せずに地面に叩きつけられる。

 今の一撃はジョンの身体にかなりの痛手を与えたと思われたが、立ち上がった彼は豪快に笑う。

「わはははは! いいぞミルカ、それでこそウォードの娘だ!」

 彼は顔面を狂喜に染め、地面を蹴るとミルカに斬りかかっていく。

 しかし、それもミルカは冷静に避けていく。ジョンの大剣が空を切る度、その衝撃は真空刃となって街を襲う。

 背後にいる民衆たちの悲鳴を聞いたミルカは、避けるのをやめ、その大剣を受け止めた。

 鍔迫り合いのような形になると、ジョンはミルカに語り掛ける。

「やはりお前はウォードを継ぐ者だ。ウェアウルフの英雄となる者だ。俺と共に来い!」

「パパを思ってくれるのは嬉しいよ。でもね」

 ミルカは言葉を切ると、腕に力を入れジョンを弾き飛ばす。

「メイヴィスおばさんや街のみんなを傷付けたジョンおじさんを、ミルカは絶対に許さない!」

 ミルカは吹き飛ぶジョンに肉薄すると、今度は蹴りを入れる。意表を突かれたジョンはまともにそれを食らう。

「ぐわああ!」

 城を壊しながら吹っ飛んでいくジョン。流石に堪えたか、彼は床に倒れる。

「ぐっ……ああ……」

「ジョンおじさん、こんなこと、もう終わりにしよう?」

 なおも立ち上がろうとするジョンを見て、ミルカは痛ましい顔をする。

「まだ終わっていない。まだ我が復讐は成っていない!」

 ジョンは懐から何かの丸薬を取り出し、それを飲み込んだ。

「見せてやろう。これが俺の、獣人の真の姿だ……!」

 俺は生涯、目の前で起こった光景を忘れられないだろう。骨が折れ、強引に再接合されるような音、皮が灼けるような臭い、断末魔の叫びをあげながら、異様な筋肉の膨張によって皮膚が裂けていく。それは眼前の獣人一人の身に、数十秒の間に起こった出来事だった。

「オレハ、コンナトコロデオワレナイノダ……」

 そうして完成したのが、かつてのジョンからは想像もつかない醜怪な怪物だった。

 身の丈はかつての倍ほどにもなり、黄褐色の牙や爪は短剣ほどの大きさで、筋肉は剥き出しで、黒い目だけは異様に光っていた。

「地下水路の化け物よりさらにでかいな……」

 ジョンだったものはミルカとの距離を一気に詰めると、その爪を叩きつける。

「くうっ!」

 ミルカがこちらに吹き飛んできたので、受け止める。

「大丈夫か?」

「う、うん」

「もういいだろう。俺も加勢するぞ」

「でも……!」

「あんな化け物を放っておいたら、街にどんな被害が出るかわからない。あれはもはやジョンではない」

 言葉通りの意味だった。ソレは本物の獣のように四本脚で無造作に駆けまわり、まるで知性を感じられなかった。

「そうだね。アルお姉ちゃん。お願い、この国をミルカと一緒に守って!」

「ああ」

 短くそう答えると、俺は城の台所に関心を示していたソレ、その剥き出しの筋肉に短剣を見舞う。

「アァ――?」

 今気付いたと言わんばかりにこちらを振り返る。

 眼球を全て侵略するほど肥大化した黒目からは視線が読めない。身体に悪寒が走る。

「おりゃー!」

 間断なくミルカがソレを斬りつける。しかしその太い腕は彼女の大斧を苦も無く受け止める。

「はぁっ!」

 攪乱するように素早く動き回り斬りつけていく。標的を絞らせたらまずいと判断したからだ。

 しかし、ソレはどうやら俺を先に始末すると判断したようで、こちらに対峙する。

「アアァッ!」

 筋肉の動きから半ば勘でその場を飛びのく。幸いソレの腕は空を切ったが破壊された城の一部が落下してくる。

「くっ」

 間に合わない――そう思った瞬間、身体が重力から解放される。

「セーフ!」

 俺は、アヤノに抱きかかえられていた。

「街の方は落ち着きましたので、こちらの加勢にきました!」

 駆けつけてきたエリスがソレに対し矢を撃ち付ける。

「面倒をかけたな」

「それはお互い様、いつもパンツ洗ってもらってるしね」

 片眼を閉じ親指を立ててくる。どういう意味かは知らないが今は心強かった。

「アアァッ!」

 間断なく矢を撃つエリスを邪魔と思ったのか、彼女に飛び掛かる。

「っ!」

 俺もミルカも反応できなかった。だが、奴の爪はエリスに届くことはなく、代わりに奴の巨体が倒れる。

「ギャアアアアアア!」

 耳をふさぎたくなるような悲鳴をあげるソレからは、左腕がなくなっていた。

「危ない危ない」

 そう言ったのはアヤノだった。彼女のそばには奴の腕が落ちている。あの太腕を一撃で斬ったというのか。

 しかし、奴が叫び声をあげると、腕が再び生えてくる。

「化け物が……」

 あれはもはや獣ですらなかった。

「おそらく邪法の類でしょうね。今ならまだ間に合いそうです。時間を頂ければ解呪します」

「お願い、こいつは私たちが止めるから!」

「お前はエリスの護衛を頼む。時間稼ぎは俺とミルカでやろう」

「でも……」

「それが一番確実だ。俺を信じろ」

「わかった。でも無理しないでね……」

「アアァ――!」

 ソレが強引に振るってきた腕を避けて、短剣で斬りつけていく。

「やはり麻痺毒など効かないか……」

 小細工が通用する相手ではなさそうだ。

「アァッ!」

 今度はミルカに飛び掛かっていく。ミルカは冷静に避けると大斧を叩きこむ。

 ソレは焦れたようなうめき声を出すと、今度は標的をエリスに定める。

「アアアアァ!」

「それはさせないよ」

 アヤノが斬撃を繰り出す。今度は胴体を狙ったようだったが、それは流石に切断できなかったらしい。それでもかなりの深手を負わせたように見えたが、奴の傷はみるみるうちに癒えていく。

「もう、キリがないよ!」

「もう少しです! あと少し耐えてください!」

 エリスの声が聞こえる。俺は気合を入れなおす。

「アヤノお姉ちゃん、その斬るやつどうやってやるの?」

 焦った様子でミルカがアヤノに訊ねる。

「え、力はいらないよ。私はなにも考えずに斬っているかなぁ」

「はあああああ!」

 俺は大きく跳び、奴の顔の前までいくと、その黒い目に短剣を突き付ける。

「ギャアアアアア!」

 ソレが悶絶するのも構わず、俺とミルカは攻撃を加えていく。

 奴は暴れまわって城を更地に変えていく。

 俺はもう再び目を潰してやろうと大きく跳躍する。

「アアァッ!」

「しまっ……」

 しかし、奴は俺の動きを捕らえていた。こちらに手を伸ばしてくる。空中では避けることができず奴に脚を掴まれてしまう。

「アルお姉ちゃんを放せ!」

 下ではミルカが必死に斧を振るっているがこの化け物は意に介した様子もない。

 奴の牙が迫ってくる。

「ここまでか……」

 しかし、次の瞬間穴の開いた天井から雷が落ちてくる。

 その落雷は化け物を穿ち、断末魔の叫びをあげると俺を地面に落とす。

「グギャアアアア!」

 しかし、驚異的な回復力を持つ化け物はすぐに立ち直るとミルカに突進していく。

 ミルカは、その場を動かず、じっとソレを見据えていた。

「ミルカ!」

 俺は急いで立ち上がるが間に合わない。

「アアアアッ!」

「力はいらない、なにも考えずに振り下ろす……」

 ミルカは、なにやらぶつぶつ言っていたがもはや化け物は彼女の眼前だ。

 思わず目をつぶる。

「ギャアァアア!」

 しかし、断末魔の声をあげたのは化け物の方だった。見ると、ミルカは奴の腕を斬り落としていた。

「お待たせしました! 今、解呪します!」

 エリスの声が聞こえる。次の瞬間、化け物が光に包まれる。眩しさに目をつぶっていたが、しばらくすると化け物はジョンに戻っていた。

 ジョンはもはや死にかけていた。ミルカは彼に近づく。

「流石だ。ウォード、思い返せば、お前には一度も勝てたことがなかったな」

「ミルカはミルカだよ」

 ジョンは一瞬、はっとした顔になり、次に憑き物が落ちたような微笑を漏らす。

「俺も、お前のように強く生きることができたらな」

 そして、彼は静かに目を閉じた。

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