獣人の国

 それから俺たちは、帝都から南西に何日も進んだ。獣人たちが住まうメイオベル共和国へ向かうためだった。共和国はミルカの生まれ故郷なのだが、近づくにつれ、なぜか彼女の口数は減り、暗くなっていく。

 国境に差し掛かると、関所があった。それは関所というよりはもはや要塞といった風格で、高い城壁の上から弩がこちらを覗いていた。

「大げさな建物……」

 アヤノがつぶやく。

 この関所は共和国の、帝国に対する警戒心の表れだろう。

 しかし、意外にと言うべきか、あっさり入国は許された。

「元来メイオベルは多種多様な獣人が暮らしている国、自由で開けた国風なのですよ。ただ、それ故ここ十数年は帝国との小競り合いが続いていますけど……」

 自由を重んじるが故に帝国の増長は見逃しておけないか。

 だが、それもヘルミナならきっとうまくやっていくだろう。

 メイオベルは山や峠が多く、お世辞にもいい土地とは言えなかったが、整備された街道や広大な運河がそれを補っていた。

「すごっ、これ全部工事して作ったのかな」

 アヤノも驚いているようだった。

「うん。獣人は力が強いからこういうの得意なんだ。でもミルカがいた頃はもっと馬車とかお船が多かったんだけど、何かあったのかなあ……?」

 確かに、街道も運河もその規模に比べると往来はまばらだ。

「まあ、実際に話を聞いてみないとな」

 幸い、険しい峠も整備された道のおかげで比較的楽に進める。俺たちは首都まで急いだ。


 メイオベルの首都は帝都よりもさらに堅牢で、まさに城塞都市といった風格だった。巨大な街を囲むようにしてそびえたつ漆黒の城壁は鳥の侵入も防ぐほど高く、さらにその城壁を運河に接続された堀が囲んでいた。奥にのぞくひと際高い、黒い建物は王の住む城だろう。その光景はまさに勇壮だった。

「うわぁ……」

 騒がしいアヤノもさすがに言葉が出ないようだ。

「私もこの目で見るのは初めてです。これが獣人の本気なのですね」

「それにしてもこの城壁、なにでできているんだ? 見たことないぞこんな石は」

「これはおそらくメイオベル南部の岩山から切り出したものかと。かなり頑丈なそうで、その分加工も大変なはずですが、それをここまで建造物に落とし込む技術と力は凄まじいですね」

 俺の疑問に、エリスが目を輝かせながら答えてくれる。こういうものが好きなのだろうか。

「ねえねえ、エリスってちょっとオタクっぽいよね」

 アヤノが耳打ちしてくる。おた……? よくわからないから愛想笑いをしておこう。

「ははっ」

「だよねー、いひひっ」

 わからないが、とても悪質な一味に加わった気分だ。慣れない愛想笑いは今後やめておこう。

 黒い城壁から受けた荘厳な印象とは異なり、首都の内部はかなり混沌としていた。通りにはみだすほど大きな家もあれば、とても小ぢんまりとした家もある。中には人が住むとは思えないほど細長い家などもあった。

「うなぎ人間とかもいるのかなぁ」

 アヤノが細長い家を見て言うが、少なくとも俺はウェアイールなど見たことがない。しかし、そうでないのならだれが住んでいるのだろうと思い眺めていたら中から小柄なナーガが出てきた。

「なるほどな……」

 若干手狭に思うがおそらく細長い方が安心するとかなのだろう。

 通りを歩く者の姿も多種多様だ。俺の半分くらいの大きさしかない者がいたかと思えば、倍ほど大きい者もいる。

「懐かしいなぁ」

 ミルカが目を細める。しかし、その表情はいつもの無邪気なものとは違い、どことなく影があるように思えた。

「ミルカ? ミルカじゃないか!」

 駆け寄ってきたのは、ミルカと同じように犬の耳と尾を生やした壮年の軍人だった。

「ジョンおじさん!」

 ミルカの方も嬉しそうに彼の方へ寄っていく。

「ミルカ、元気だったか? ずっと心配していたんだぞ」

 ジョンと呼ばれた軍人はミルカの頭をなでる。

「うん、ミルカは元気だよ!」

「そうだ、ウォードは元気か? あいつともまた共に酒を飲みたいものだ」

「えっと、パパもママも死んじゃったの……あれからすぐに」

「なんてことだ、こんな幼い娘を残して……」

 ジョンは天を仰ぐ。どうやらミルカの父と彼は友人同士だったらしい。

「それで、ミルカは今何をやっているんだ? 一人で生きていくのは大変だろう? もしよければうちに来るか?」

 ミルカは首を横に振る。

「ううん、大丈夫。今は魔王を倒すために旅をしてるの」

「なんと。あのミルカが魔王を! なんて立派な志だ。うおおおおおおん!」

 気持ちはわからないでもないが天下の往来で号泣しないでほしい。色んな耳の獣人がこちらを怪訝な顔で見てくる。

「それでね、この人たちがミルカの仲間! アヤノお姉ちゃんに、アルお姉ちゃんに、エリスちゃん!」

 ミルカはジョンに俺たちを紹介する。

「おお、そなたらが! ミルカが世話になったようだな。何もしてやれない無力な俺だが、ミルカは俺の娘も同然だ。どうかこれからもよろしく頼む」

 俺の手を握ってぶんぶんと振ってくる。ずいぶん熱い性格のようだ。

「それでねジョンおじさん、王様に会えないかな? メイオベルに来るのは久しぶりだけどみんなちょっと元気ないよね? 困っていることがあるなら助けたいんだ」

「我が王に? しかしミルカ、お前は――」

 ジョンが心配そうな声を出す。しかし、ミルカがそれを遮る。

「ううん、大丈夫だよ」

「……わかった。何とか謁見の機会を作ってみせよう。本当に強くなったようだな、ミルカ」

「ありがとう、ジョンおじさん!」

「しかし今、我が王は中々に多忙でな。数日ほど待っていてほしい」

「うん、わかった」

「俺の家に来るか? 妻もお前に会いたがっているだろう。それにお仲間の話も聞かせてほしい」

「いいの? 皆はどう?」

 ミルカがこちらに聞いてくる。

「はい、お世話になります!」

 アヤノが返事をする。まあ宿代も食費も浮くのは助かる。

「わははっ、元気のいいお嬢さんだ。今日の食卓は久しぶりに賑やかになりそうだ」

 ジョンに連れられた屋敷はこの都市の中でも一際大きく、中に入ると使用人が出迎える。どうやらジョンは共和国の中でもかなり中枢の方にいるらしい。

「あなた、おかえりなさい。あら……」

 優しそうなワーウルフの婦人――ジョンの妻なのだろう。彼女はミルカに視線を向けると驚きに目を丸くする。

「もしかしてミルカなの⁉ ああ神様、無事でよかったわ!」

 涙を流しミルカに抱き着く婦人。ジョンの反応といい、どうやらこの国でもミルカは愛されていたらしい。

 ジョンは妻――メイヴィスに事情をかいつまんで説明する。

「じゃあミルカも、お連れさんもここまで大変な道のりだったでしょう。今日は私が腕によりをかけて料理を作るわ」

「じゃあミルカ、シチューがいい! おばさんが作ったシチューすっごくおいしいんだよ!」

「ええ、なんでも作ってあげるわ。少し待っていてちょうだいね」

 メイヴィスは厨房へ入っていく。

「私、お金持ちの家は使用人の人が料理を作ってくれるものだと思ってた」

 思ったことはなんでも言う女のアヤノが今日も今日とて思考を垂れ流す。

「はははっ、妻は元々料理が好きでな。いつも仕事に追われている使用人に料理までやらせるのは申し訳ないと言ってな」

「偉いなあ、私だったら楽しちゃうかも」

「かも、じゃなくてすでにしていますよね? 日々の料理や洗濯は私とアルに任せきりじゃないですか」

「もうエリス、今そんなこと言わなくたっていいじゃない!」

「今後こういう場で言われたくなければ自分の下着くらい自分で洗ったらどうだ?」

 見たことのない奇妙な下着を洗うこちらの身にもなってほしい。ちなみにミルカも色々任せきりだが、彼女に関してはこの前の雪山しかり、旅をしていると自然の猛威に晒されることが多々あるのだがその度に大活躍するのでみな彼女には頭が上がらない。

「わはははは! ミルカはいい仲間を持ったな!」

 今の話のどこを聞いてそう思ったのか、ジョンは豪快に笑う。

 その後、俺たちはメイヴィスの料理に舌鼓を打ち、久しぶりに温かいベッドで寝ることができたのだった。

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