雪男!?
ひとしきり泣き終えたクリスタは、居住まいを直して俺たちに向き合う。
「まあ、山暮らしも飽きてきていたから城に戻ってもいいけど、私を使いこなせるかはあなた次第。わかっているわね、ヘルミナ」
「色々なかったことにするのは無理があると思いますよ」
エリスが半眼でちくりと言う。ずいぶん野暮なことを言うものだが、彼女なりの親愛の現れなのかもしれない。クリスタは顔を赤くして彼女を睨みつけるが、そのまま続ける。
「では、この時より私、クリスタ・フォン・タールバッハはあなた様に身命を賭して仕えます。この身、この智謀、いかようにもお使いくださいませ。陛下」
そう言い、ヘルミナの前に跪く。
ヘルミナはしゃがんでクリスタと目線を合わせ、彼女の手を取る。
「言ったであろう。余とそなたは友だ。堅苦しいのはやめてくれ」
「しかし、それでは皇帝として面目が……」
「ここには友しかおらぬ。であれば問題なかろう?」
「は……いえ、わかったわ。全く、本当にあの方に似ている……」
俺たちの役目は終わっただろうか。ヘルミナとクリスタなら帝国を良い方向に導いてくれるだろう。
「しかし、アヤノたちは無事なのですかね?」
エリスが心配そうな表情でつぶやく。
あいつらに限って凍え死ぬことなどないとは思うが、はぐれてからもう丸一日以上経っている。
「いったんふもとの村に降りて、そこにいなかったら探しにくるか」
「そうですね……」
「今夜は泊っていくといいわ。夜の山は危険だし、明るくなってからの方が見つけやすいし。力の付くものを作ってあげるから――」
クリスタが言葉を切る。小屋の扉がものすごい勢いで叩かれていたからだ。扉は吹き飛びそうになり、小屋全体が揺れる。
「な、なんですか?もしかして噂に聞くイエティですか?」
「この辺りで見たことはないけど、ここから更に北――魔族帝国に近い山域では出るらしいわ」
「兄様、怖い……」
エリスとクリスタの言葉に怯え、ヘルミナが俺の裾を掴んでくる。幻獣との戦いに慣れているわけではないが、それでもこの中で一番戦えるのは俺だろう。短剣を抜き身構える。
そして、次の瞬間聞こえてきたのは、聞き覚えのある間抜け声だった。
「すいませーん。あれ、留守なのかな?」
「そんなー、ここから食べ物の匂いがするのに。ねえこっそり入っちゃおうよ」
「泥棒じゃありませんか!そんなことわたくしの騎士道が許しませんわ」
「でも、レオノーラちゃんのおなかも鳴ってるけど」
「これは……!」
頭が急速に冷えていく。そうだ、今ちょうどイエティくらい怪力で空腹な連中の話をしていたところだった。扉を開ける。
「え、アル……?」
一瞬ボケっとした顔をするアヤノだったが、すぐに瞳を潤ませると抱き着いてくる。
「アルう!何してたのよバカ!心配したんだから!」
「悪かったな、エリスとヘルミナも無事だ。そっちも元気そうでよかったよ」
俺の言葉で気付いたのか、アヤノはエリスやヘルミナに視線を向けると、彼女たちにも抱き着いていく。
俺はミルカとレオノーラにも視線を向ける。
「お前たちも無事だったか」
「ええ、ミルカさんが雪洞を掘ってくれたおかげでなんとか」
「もうおなかが減って一歩も動けないよ……」
ぐったりした様子のミルカ。どうやらかなり頑張ったようだ。その頭を撫でてやる。
「ありがとな、ミルカ」
「うん、えへへ……」
ミルカは照れ臭そうに笑う。
「この子たちが遭難していたっていうお仲間さん?無事でよかったわ。今、食事を用意するから待っていて」
「あ、ありがとうございます。えっと、家主さんですよね?ごめんなさい、勝手に押しかけて騒いで……」
台所へ向かおうとするクリスタに対しアヤノは申し訳なさそうに頭を下げる。
「いいわ、あなたたちもヘルミナ様の友達なのでしょう?」
「はい!ところで、あなたは一体……」
「私はクリスタ、今日からクリスタ様に仕えることになった新参者よ」
クリスタの言葉を聞いて、アヤノの表情が驚愕に染まる。
「えええええっ⁉」
「そういうことだから、明日には帝都に帰ろうと思う」
「あんまり役に立てなかったなぁ」
アヤノがしみじみと言う。俺も同じ気持ちだった。ヘルミナには助けなどいらなかったのかもしれない。俺たちがいなくても遅かれ早かれ彼女は自分から動いていただろう。
「姉様、何を考えているのだ?」
声の方を振り返ると、ヘルミナがこちらを見つめていた。
「いや……」
「姉様もアヤノのようにつまらないことを考えていたのではあるまいな?」
ヘルミナが不安そうに尋ねてくる。本当に聡いな。
「姉様たちと過ごした時間は余の財産だ。一緒に街に出たことも、貧民窟に行ったことも、山に登ったこともな。どれも生まれて初めての経験だ。だからそんな風に思われたら余は悲しい」
「ああ……」
やっと気づいた。彼女は皇帝という立場もさることながら、その聡明さゆえ同じ目線に立てる者がいなかったのだと。感情の機微にも聡い彼女は、腹に一物を持った軍人や政治家から見たら不気味な子どもに映ったのだろう。
彼女の帝国復興にかける思いは本物だ。だがそれと同時に人との繋がりを求めていたのだろう。
「その、ヘルミナさえよければ、俺はこれからもお前の……姉でありたいと思っている。駄目か?」
その言葉が同情なのか、友情なのか、それとももっと別の感情なのか、どこから出たものなのかはわからなかった。だが、この気持ちは今まで闇の世界で暮らしていた俺に注いだ一筋の光に思えた。
「駄目なわけあるか……!」
ヘルミナは感極まった様子で抱き着いてくる。
「あら、ヘルミナ様とアル様は実のごきょうだいかと思っていたわ」
クリスタの言葉に、ヘルミナが照れ笑いをする。
「それくらい仲がいいということか?余と姉様なら当然だな」
「アル様からもハインリヒ様の匂いがするのだけれど……」
匂いって、クリスタも大概壊れているな。
「確かにわたくしも、こんな綺麗な銀髪の方は皇族以外ですとアルさんくらいしか見たことありませんわ」
レオノーラも追従する。俺が皇族などと、傑作だな。髪の色も偶然だろう。俺は帝国から離れた町の貧民窟で生まれたのだから。宰相や貴族とはいえ、人を見る目は大したことないらしい。
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