根比べ
そんな風に思っていたのもつかの間。翌朝、いきなり叩き起こされたと思えば小屋を追い出されてしまう。
「さ、今日は天気が安定しているから日が暮れないうちにお帰りになって。ご飯は鞄の中に入れておきましたから問題なく下山できるわね。これに懲りたらもうこんな場所来ないこと。いいわね」
俺たちが何か言う隙も与えず扉が閉まる。
「本ッ当に大人げないですね!」
今にも手巾を噛んで「キー!」とでも言いだしそうな剣幕のエリス。対照的にヘルミナは冷静だった。
「姉様、エリス」
彼女のとる行動はわかっていた。俺は頷く。
「扉を破りますか?爆発する魔道具ならありますけど」
エリスは球状のなにかを鞄から取り出す。無論、そんなことをしたらこの話はなかったことになる。そもそもクリスタは命の恩人だ。脅しのような真似をするのはあまりにも酷い。
「こうなったら根比べだ。そうだろ、ヘルミナ?」
「はい姉上。余は絶対に負けぬ」
ヘルミナは目の前の扉を睨みつけたかと思うと、その場に腰を下ろす。
晴れているとはいえ雪山で延々待ちぼうけは厳しいものがあった。身体は芯から冷え、奥歯ががちがちと鳴る。
「本当にクリスタ様はでてくるのでしょうか……」
弱音にも等しい疑問がエリスの口から出る。
「さあな、だが……」
ヘルミナの方に視線をやる。幼い彼女が黙々と耐えているのにこちらが音を上げるわけにはいかなかった。
日が傾いてくる。更に寒さは過酷さを増していた。
「くちっ」
くしゃみをするヘルミナだが、それでも彼女が折れることはないだろう。
確かにクリスタの受けた痛みは計り知れない。何十年も山奥に篭る悲しみは本物だろう。だが、ヘルミナの肩には数百万人とも言える民の命がかかっている。彼女は文字通り決死の覚悟でここにいるのだ。それに――
「あなたたち、いつまでここにいるの……?」
扉が開く。中からは呆れたようなクリスタの顔が覗く。
「もういいわ。夜通しこんなところにいたら死んでしまうから中に入りなさい」
しかし、ヘルミナは首を横に振る。
「そなたが城に戻ると言うまで余はここを動かぬ」
「どうしてそこまで……!大体あなたたちも臣下ならば彼女を止めないと……」
今度はこちらに視線が向けられる。
「俺たちはヘルミナの臣下ではない。ただ彼女に協力すると誓った仲間だ」
だから、たとえどんな結末になろうと彼女のやりたいようにやらせる。それを助けるだけだ。
「それに、どうしてヘルミナ様がここまでするか、本当にわかりませんか?あなたが」
エリスが問う。否、確認する。お前ならわかるだろうと。戦場で毒を受けながらも決して采配を手放さなかった救国の名軍師ならばと――
「民のため……幼いあなたがそこまで……?」
ヘルミナは真っすぐにクリスタを見据える。
「そうだ。人間、亜人、獣人、森に住まう動物たちもこの山から流れる清流も、余は守りたい。それにクリスタ、そなたもな」
「私?私ならこの生活で満足しているわ。放っておいて」
しかしそう言う彼女の顔は苦しそうだった。城を出て以降、彼女の中にある時計は止まったままなのだろう。
「余は、誰よりも強欲で思いあがった人間だ。目に映るもの全てを救いたい」
市井においてはお人よしと呼ばれるだけだろうが、君主の身でその性質は優柔不断とも取られかねない。だが、彼女にはそれを自覚するだけの聡明さがあった。
「無論そんなことはできないのはわかっている。だが、それでもなるべく多くを守りたい。そんな分を超えた望みを成就するには多くの友らの助けが必要だ。どうか、余の望みを叶える友になってくれまいか。クリスタ」
「ハインリヒ様……?」
ハインリヒ――帝国の創始者にして、初代皇帝か。クリスタはヘルミナに彼を見出したのか、懐かしそうに眼を細める。やがて、その眼からは涙が零れ落ちる。
「ハインリヒ様――ずっとつらかった。あなたが忘れ去られ、国が傾いていくのは!あなたと共に馬で駆けた草原も、共に水を飲んだ川も、あなたが愛した民も、私には守れなかった――なぜ私はあなたと同じ人間に生まれなかったのか。あなたと同じ時間を過ごしたかった!」
ハインリヒは数多くの親族や家臣に囲まれ幸福な晩年を過ごしたと聞いたが、周りもそうとは限らない。特に、人間の何倍も生きるエルフは。
幼いヘルミナの前で泣きじゃくるクリスタ。彼女が錯乱していることは明らかだったがヘルミナは彼女を優しく包み込む。
「失ったのなら、もう一度取り戻せばよいではないか。余はそのためにここに来たのだ」
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