魔の山に挑む
アストーサ連峰――北方の国境から静かに帝国を見守るその山々は、遠くから見るものを魅了し、自らの領域に入ってきたものを排除する。
「すごい吹雪ですね……」
エリスは顔を腕で覆う。まさに俺たちは今、その洗礼のただ中にいた。
他の者も同様、この吹雪ではまともに歩けないらしい。
「わー、雪だあ。ミルカ初めて見るよ!」
……一人を除いて。これは獣人の特性なのだろうか。それとも彼女が特別なのだろうか。
「このままでは凍えてしまいます。雪洞でも掘って吹雪が収まるのを待ちましょう」
しかし、六人入れる雪洞を掘るのも一苦労だ。
「それならミルカに任せて! おりゃー」
俺の心配をよそに、ミルカは凄まじい速度で雪を掘り進めていく。
「できたよー!」
あっという間に完成した雪洞は、六人が入ってもまだ空間に余裕があった。
「これからは一家に一人ミルカの時代ね」
「そうだな……」
相変わらず妙な言い回しをするアヤノだが、今は素直に同意できる。
「この吹雪はしばらく止みそうもないな……」
「この辺りは天候が不安定ですから。逆に急に晴れたりもしますの。まあミルカさんがいるならこうして急な天候変化にも対応できそうですし、思ったより簡単に辿り着けそうですわね」
「しかし、あまり長引くのも危険ですね。食料にも限りはありますし」
干し肉を大量に食らうミルカを見て、エリスが心配そうな顔をする。何事も裏と表があるということか。
「難しいなら仕切りなおせばいいさ」
山の女神は気まぐれだ。不機嫌な時に無理をする必要はない。
「ところでそのクリスタさんは、なんでこんな山に住んでいるの?」
アヤノが疑問を口にする。それに答えたのはエリスだった。
「征服によって領土を拡大した帝国ではあるものの、かつては皇帝、それにクリスタ様のもと、人間も亜人も獣人も、みな手を取り合って暮らしていました。自然豊かで美しい国だったのです」
「そうだったんだ。でも今はエルフや獣人は……」
アヤノは言葉を切る。言わずとも続きはわかった。彼らは奴隷になるか、そうでなければ僻地で貧しく暮らしている。
「風向きが変わったのは先々代の皇帝からです。彼は多数派である人間族を優遇することで、国内の不満を解消し結束を強くしようと考えました。軍は精強になり、領土は更に拡大しましたが、クリスタ様はこの方針に強く反対していました。自らがエルフだから、というだけではありません。この帝国の強硬な姿勢は外にも内にも敵を作り、長い戦いが始まることを予見したのです。それに、一つの種族を優遇することで、その価値観が暴走してしまうことも……」
エリスが目を伏せる。確かに自然を愛する他種族を尊重していれば、あんな毒々しい錬金術通りなどは許されなかっただろう。
「クリスタ様は度々皇帝に諫言をしました。ですが彼はそれを聞き入れるどころか疎ましく思いクリスタ様を遠ざけてしまいます」
古今東西、よく聞く話だ。そしてそういったことをする国は例外なく衰退している。
エリスは続ける。
「皇帝に失望したクリスタ様は、誰の目にも届かない山奥で隠居することに決めます。表向きは老齢のためだそうですが実際は違うでしょうね」
老いて隠居するならばわざわざこんな過酷な環境に身を置かないだろう。
「では、本当のところは?」
ヘルミナが訊ねる。
「これは、私の推測になってしまうのですがいいですか?」
「よい、おぬしの考えを聞かせてほしい」
「帝国が衰退していく様を目にも、耳にも入れたくなかったのでしょう。彼女は本気で帝国を愛していたのです。私たちエルフの間ではクリスタ様の逸話の数々が今でも受け継がれています。戦場で毒矢を受けながらも采配を取り続けたり、私財を擲って自ら学校を開いたり、そんな彼女が帝国に拒絶された苦しみ、私如きには計れませんが……」
どこか遠くへ旅に出ても帝国の噂は耳に入ってくるだろう。だから世を捨て山に篭ったのか……
「だから、もし陛下がクリスタ様に会っても、ひどい言葉で拒絶されてしまうかもしれません。それでも彼女に会いたいですか?」
エリスの試すような視線を、ヘルミナは正面から受け止める。
「会いたい。今の話を聞いて、余がクリスタを求める心は高まっている。彼女こそ忠義の士ではないか」
「では、行きましょうか。私が長話している間に吹雪も収まったみたいです」
エリスが微笑む。帝国を憎んでいた彼女だったが、今では未来への期待に目を輝かせていた。
雪洞を出て、ひたすらに山を登る。ミルカが先頭を歩いてくれているおかげで、雪が踏み固められ、かなり登りやすい。
「……見た目より重いのか?」
思わずそんな独り言を口にしてしまう。ミルカの耳がぴくりと動いたと思った次の瞬間、俺の顔面には大きな雪玉が当たっていた。
「頑張って踏み固めてるの!アルお姉ちゃんのバカ!」
「そういう繊細さに欠ける発言はアヤノの専売特許だと思っていたのですが、アルにもそいうところがあるのですね」
「私だってそんなことは言わないよ。今のはアルが悪い」
「姉様は人の感情に疎いのですか?」
「この際だから言わせてもらいますけど、アルさんは時々わたくしの胸も咎めるように見てきますわね。不格好なのはわかっているのでやめてくださいまし」
皆の視線が冷たい。女特有の価値観なのだろうか。重いと言われてここまで怒る気持ちが理解できない。
「だいたいアルが細すぎるんだよ。おりゃおりゃー!」
アヤノが俺の脇腹を掴んでくる。
「おいやめろ変態!」
驚いた俺は雪原に倒れる。アヤノが覆いかぶさってこようとしたので蹴り飛ばす。
「ぐえっ」
潰れた蛙のような声を出して雪原を転がるアヤノ。
「二人とも、遊んでないで早くいきますよ」
エリスに注意される。俺が悪いのか?
「ふざけているうちにまた吹雪いてきましたわ」
本当に吹雪いてきた。俺は素早く起き上がるが視界を奪われて仲間の位置がわからない。
「くっ!」
慌てて誰かの手を掴むも、あまりの強風に吹き飛ばされてしまう。はぐれてしまわないよう、手だけは離さないよう強く気を持つ。
吹き飛ばされているうちに何かに背中を強く打ち付ける。あまりの衝撃に肺から空気が全て出る。
俺は意識を手放した。
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