ヒルスキアの闇

 市場を回り、商人たちから話を聞く。

「どう、最近儲かってる?」

「それがさっぱり、戦争ばっかりで交易もままならないよ。治安が悪いから街道を歩くのだって命懸けだし」

 アヤノが聞くと、彼らは異口同音にそのようなことを口にする。

「やはり、民たちは疲弊しているのだな……」

「はい、いつ終わるかもわからない戦争に怯えて暮らす日々が続いています。とはいえ、軍人というのはえてして自分たちの治める土地を少しでも広げたいものですわ。彼らをうまく抑えることが肝要かと」

 レオノーラが説いて聞かせると、ヘルミナは俯く。

「しかし、余にそのような力は……」

 確かに軍人を抑えるには、経験に基づいた内政手腕と、彼らからの尊敬を集める権威が必要だ。彼女にはその両方が欠けていた。無理に抑え込んだところで軍人たちの不満は募り、やがて爆発してしまうだろう。

 その後も庶民の生活を見て回り、彼らから日常の不満などを聞き出す。ヘルミナは勉強熱心で、彼らの言葉に対し熱心に耳を傾けていた。

 しかし、それでもまだ足りないような気がした。帝国の現実は庶民ではなく別のところに映されている。俺は彼女の手を取る。

「まだ見ていない場所がある。こっちだ」

「ちょっとアルさん、そっちは……」

 レオノーラが俺を止めるが、それを無視して歩き出す。

 表の通りを抜け、路地裏に入る。俺が生まれた場所によく似ている、極貧層が集まる退廃地区だ。そこでは老人から子どもに至るまでが住む家を持たず、物乞いに身をやつしていた。

「アルさん、なにをしていますの?あまりにも治安が悪くて危険ですわ」

 レオノーラが小声で咎めてくる。確かにこの地区に入ってからというもののいくつもの視線を感じる。中には悪意のあるものもあった。

「姉様、ここは……?」

「身寄りのない老人、職を失った労働者、親を失った子ども、そういった連中が最後に行きつく場所だ」

「お嬢さん方、ここはあなたたちのような者が来る場所ではありませんよ」

 老人が俺たちに声をかけてくる。身なりは汚いが口調は丁寧だった。

「すまないな。用事を済ませたらすぐに消える」

「それがよろしい。あなたたちになにかあってもこの老体では助けられんでな」

「あ、貴方はなぜこのような場所に?」

 ヘルミナが老人に尋ねる。老人はじろりと彼女を睨んだがすぐに穏やかな顔を取り戻して話し始める。

「あまりそのようなことここでは聞かん方がよろしい。ここには過去を思い出したくない者しかおらん。まあこんな爺の昔話でよければいくらでも聞かせてやろう」

 老人は過去を語り始める。昔は国境近くの村で羊飼いとして暮らしていたこと、その村は自然豊かで皆幸せに暮らしていたこと、しかしある日戦争に巻き込まれて村が燃えてしまったこと、難民として各地を放浪するがどの町も余裕がなく住民との軋轢があったこと、そうして行きついたのがここだということを。

「アグピ村みたいなことって結構あるんだね……」

 アヤノの言った通り、珍しい話ではない。色々な場所を巡っていればそのような境遇の者は山ほどいる。しかし、ヘルミナには衝撃だったようで俺の袖を強く握るその手は震えていた。

「まあ、わしだけが不幸なわけじゃあないでな。ここにいてそんなことを悔やんでられんよ」

 自分の過去を明るく笑い飛ばす老人に諦念だけではない、人間としての強さを感じる。

 老人に礼を言い、通りを進んでいくと今度は子どもの物乞いが声をかけてくる。

「少しでいいので、どうかお恵みを……」

 その子どもは目が見えていない様子で、こちらに向けられた目からは光が失われていた。

「この前、水を飲んでから目が見えないのです。これでは働くこともままなりません。どうかご慈悲を……」

「水を飲んでから……?」

「おそらく、魔術実験ででた排水でしょう。あれらは人体に様々な悪影響を及ぼしますから……」

 ヘルミナの疑問に、エリスが耳打ちで答える。

「なぜ、そんな水を?」

「そんな水しか手に入らないからだ。特に、力のない子どもはな」

 俺がそうだったように、この子どもも泥水を啜って生きてきたのだろう。だが、彼は運悪く光を失ってしまった。

 ヘルミナは悲痛な顔をすると、手持ちの銀貨を数枚と、先ほど市場で買ったパンを彼女に手渡した。

「ありがとうございます。この御恩は一生忘れません!」

「頭を上げてくれ……」

 責任を感じているのだろう。涙を流し感謝する子どもからヘルミナは目を逸らす。

「視線が増えましたわ。もう戻りましょう」

 レオノーラが耳打ちしてくる。おそらくヘルミナが子どもに金と食べ物をやったからだろう。物を持っている相手は彼らからしてみれば恰好の餌食だ。

「もう戻ろう、ヘルミナ」

「わかった……」

 ヘルミナはまだ後ろ髪を引かれるような感じではあったものの、俺の手を取る。

 騒ぎが起こったのは、俺たちがこの退廃地区を出ようと少し歩いてからだった。

「へへ、これは俺が有効活用してやっからよ」

「そ、そんな!」

 声の一方は先ほどの子どもだ。振り返ると若い男が子どもからパンと銀貨を取り上げていた。

「お願いします。それを取り上げられては生きていけません!」

「うるせえ!」

 男は自分の脚元に縋り付いてきた子どもを蹴り飛ばす。

「貴様!」

 俺が止める間もなくヘルミナは男の方に駆けていく。

「今奪った物を返せ!それはわたしがこの子にあげたものだ!」

「なんだ、このガキ……」

 男は胡乱な目つきでヘルミナを見るが、すぐにそれは凶暴で悪意に満ちたものとなり、彼女に手を伸ばす。

 無論そんな狼藉は看過できない。俺は彼の手を掴むとひねり上げる。

「い、いでで、放しやがれ!」

「折られたくなかったらさっさと消えろ」

「くっ……」

 男が子どもから盗んだものを手放したので、俺は手を放す。しかし、男は周囲に視線を向けると、それに応えるように、うずくまっていた浮浪者たちがこちらに向かってくる。

「なめた真似しやがって……」

 一人では敵わないと見るや集団でかかってくるか。

「もう、だからこのような場所に来るのは反対したのですわ!」

 レオノーラがぶつぶつ言いながら身構える。

「問題ない。こんな連中は相手にもならん」

「ってんじゃねえぞオラァ!」

 ならず者が殴りかかってくる。俺はそれを躱すと、足払いをかける。それに激した他の連中も襲い掛かってくる。こういった連中の思考は読めていた。

 俺はその中でもひときわ図体の大きい男に狙いを絞る。奴が掴みかかってくる手を真正面から受け止めてやる。

 取っ組み合いのような形になる。自分の有利な戦いに持ち込めたと思った大男は嘲笑する。

「馬鹿が」

 そのにやけ面も収まらないうちに俺は大男を投げ飛ばしてやる。地面に頭を打ち付けた彼は気を失い動かなくなる。

「な、なんだこのアマは……?」

 仲間内で最も怪力だった男が力負けしたという事実に連中は怯む。

「とっとと失せろ。次かかってきたら命はないと思え」

 短剣をちらつかせると、男たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 どうやら他の仲間もならず者共を追い払ったようだった。

「その、姉様、ありがとう……」

「当然のことをしたまでだ。帰るぞ」

 俺は短くそれだけ言うと、震えるヘルミナの手を取りその場を後にした。

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