天は二物を与えず
町につき、宿屋に入る。レオノーラの知人だという人のよさそうな女主人はヘルミナの恰好や言葉遣いに何かを察したようだったが騒ぎ立てることはなく、快く迎え入れてくれた。
「とりあえず、服を買ってこなきゃね。私とエリスとレオノーラ、アルは……まあいいや。三人で行ってくるから留守番してて」
そう言い残し、部屋には俺とミルカ、それにヘルミナの三人が取り残される。
「俺を置いて行ったのには何か意図があるのだろうか……」
「仕方ないよ、アルお姉ちゃん服の趣味悪いし」
ミルカは俺の一張羅である黒の外套を見ながら言う。
「これはかなり快適なんだぞ。動きやすいし闇夜に隠れやすい。何より暗器をいくつも隠せる」
「やっぱり連れていかなくて正解だったね……」
ずいぶん失礼なことを言っているな。まあ俺は男だから女の服など選びたくはないのだが。
「時に、ミルカ殿はメイオベル共和国の出身と聞いたが、あちらの話を聞かせてもらえまいか」
「はうぅ……」
ヘルミナがミルカに話しかける。しかし当のミルカは俺の後ろに隠れてしまう。
「み、ミルカ殿?」
ミルカに拒絶されたヘルミナは少し悲しそうな顔をする。
「おいミルカ、なんで隠れるんだ」
そう言えば謁見の時もずっと黙っていたな。
「だってミルカ、礼儀とかあんまわかんないから陛下に失礼なこと言っちゃうかもだし……」
「お前がそんなこと気にするタマか」
「するよ!アヤノお姉ちゃんじゃないんだから」
妹にまでこんなことを言われているぞ。アヤノよ。
「ミルカだって武人の家に生まれたんだから、陛下はミルカなんかが軽々しく口をきいちゃいけない相手だってことくらいわかるもん」
そう言えば初めて会った時、父のような立派な武人になりたいとか言っていたな。
とはいえこのまま両者に距離がある状況が健全とは思えなかった。
「あのなミルカ……」
「ミルカ殿」
俺がミルカを諭そうと口を開くのと同時に、ヘルミナが一歩前に出る。
「ミルカ殿が立派な武人だということは百も承知だ。それに、武人ゆえ、余に気を使ってくれているのだということも。しかし、余はミルカ殿のことを知りたい。立場など関係なく友人として」
「でも……」
「ミルカ、逆に聞くがお前は平民に話しかけられて鬱陶しいと思うか?」
「そんなことないよ!」
俺の言葉に、ミルカは首を横に振る。
「同じことだ。ヘルミナだってそうは思わない。お前だって立場に遠慮されて仲良くなれないことの方が悲しいだろう」
「……うん」
「年も近いのだし、仲良くしてほしい。これは皇帝としてではなくヘルミナとしての願いだ。駄目か?」
「ううん……いい、ミルカも陛下と友達になりたい!」
ヘルミナが差し出した手を、ミルカが握り返す。一件落着か。
「アル殿、ありがとう。おかげでミルカと仲良くなれそうだ。そなたは優しいな」
「いや……」
俺が助け舟を出したというよりも、彼女の器量によるところが大きいだろう。
「たっだいまー!」
扉が開かれると同時、間抜けなほど明るい声が聞こえてくる。
買い物を終えたアヤノ、エリス、レオノーラの三人が部屋に入ってくる。
「服、買ってきたよー」
アヤノはそう言いながら麻袋から服を取り出す。中から出てきたのは二着の服だった。どちらも町娘風の、麻でできた素朴なドレスだ。
「なぜ二着?」
替えかとも思ったが大きさがこの二着ではだいぶ違う。
「片方はヘルミナの分で、もう片方は……」
アヤノは大きい方の服を手に取ると、俺の方に突き出してくる。
「ん!」
……?
「これをどうしろと?」
「どうしろって着る以外にないでしょ」
なにを当たり前のことを聞いているんだと言いたげなアヤノの顔。
「俺の服なら間に合っている」
「間に合ってないから買ってきたの。いいから着なさい」
「この服は闇夜に紛れることもできるし、暗器を隠すこともできる。優れものなんだ。着替えることはできない」
先ほどミルカに聞かせたのと同じことをアヤノにも聞かせてやる。
「物騒すぎるわよ!」
「今更ですけどその恰好、変ですよ。ここ数日いい天気が続いているのに暑苦しい。道行く人が皆不審そうに振り返るので着替えてください」
「あまりにもアルさんの趣味が悪いということだったので三人で一生懸命選びましたの。着てくださいますわよね?」
「なん……だと……?」
一張羅をここまでこき下ろされる謂れはない。まともな人間がこの場にいないことに驚愕する。
「俺は着替えんぞ。これが一番目立たないんだ」
「どう考えても悪目立ちしてるでしょ……ミルカ」
「りょーかい!」
アヤノが視線を送ると、ミルカは俺を羽交い絞めにする。
「おい、何をしているんだ!」
「ごめんねアルお姉ちゃん。ミルカもその服は無いと思ってるから……」
ミルカの拘束を振りほどこうとするも、膂力の差は歴然で、びくともしない。
「私が着替えさせてあげるからね。げへへ……」
アヤノが手をわきわきさせながらにじり寄ってくる。
「へ、ヘルミナ……」
藁をも掴む思いで皇帝陛下に視線を向ける。
「この服はどうやって着ればいいのだろうか?」
「くっ……」
彼女は初めて見る庶民の服に興味津々でこちらに目もくれない。
「げへへ……観念しな嬢ちゃん」
「くっ……下衆が」
俺の罵倒にも動じた様子はなく、むしろ更に昂奮した様子を見せる。
「うっひょ、強気なアルちゃん可愛いよぉ。イッヒヒヒ、すぐ気持ち良くしてあげるからねぇ――あいた!」
息を荒くして俺の服に手をかけるアヤノの後頭部をエリスが叩く。
「ちょっとエリス、何するのよ」
「気持ち悪いです。アル、私がアヤノを抑えておきますので今のうちに着替えてください」
「ちょっと、邪魔しないで――いだだ、キャメルクラッチはダメ!ギブギブ!」
釈然としない気持ちを抱きながらも、アヤノに暴走されても敵わないので俺は皆に隠れて着替えを始める。
「髪もほどいてみて、その服ならそっちの方が可愛いと思うから!」
アヤノがちゃっかり要望を伝えてくる。
女物の服は暗殺でよく着たので作りはわかっていた。さっさと着替えを済ませて皆の前に出る。
「陛下のお着替えも終わりましたわ」
ちょうどヘルミナの着替えも終わったようでレオノーラが彼女を連れて出てくる。
「わあ、可愛い……」
並んで立たされた俺とヘルミナを見てアヤノが感嘆のため息を漏らす。確かにその素朴な衣装は、豪奢な貴族のドレスよりもむしろ彼女を引き立てていた。
「母様……」
何やらヘルミナがぼーっとこちらを見ている。
「こうやってアルと並んでいると、まるで妖精の姉妹みたいです」
「それはあまりにも図々しいだろう」
エリスが俺たちを姉妹のようと評するが、皇帝の姉などと、例えにしても僭越に思えた。
「余ではそなたの妹には不足か?」
見ると、ヘルミナがこちらの袖を引きながら上目遣いで見てくる。
「いや、そんなことはないが……」
「ならこの格好の間だけでいい。そなたを姉と慕わせてほしい」
「わかったよ……」
どこか熱っぽい表情で懇願してくるヘルミナを無碍にすることはできなかった。
「ずるい!アルばっかり懐かれて!」
「姉様……余に、わたしに俗世のことを色々教えてください」
「あ、あぁ……」
こうも真っすぐに姉と呼ばれるとどう振舞えばいいのかわからなくなるな。俺は男なのだが、それを言い出す機会も逸してしまったように思えた。
まあ、ごっこ遊びのようなものだろう。少し付き合ってやるか。
「アヤノに変なことされたらすぐ、俺に言ってくれ。懲らしめてやるから」
「何よそれ!私をダシにイチャイチャしないで!」
なぜ進んで彼女に頼られようとしているのか。自己嫌悪に陥るが、なぜか彼女の期待を裏切るのは罪深いことのように思えた。
「はい、頼りにしております。姉様」
「キイイイィィ!私はどっちに嫉妬すればいいの!?」
「うるさいな」
先ほどからずっとやかましいアヤノに注意をする。
「大丈夫。尊いとは思っているから」
いったい何を言っているんだこいつは。
「でも、アルにもちゃんと母性があって安心しました」
エリスがぽつりとつぶやく。そんなものはない。
「アルお姉ちゃんっていつもこーんな顔してるけど、ヘルミナ様と話してるときは優しそうだったね」
大げさに指で目尻を吊り上げてみせるミルカ。
「それで、どうする?」
失礼な連中は無視してヘルミナに視線を送る。俺は別に彼女を妹にしたくて連れ出したわけではない。
「うむ……今から街を見て回ることはできるか?みな疲れているとは思うが……」
「うん、いいよ。ね、みんな」
アヤノの言葉に、皆頷く。
こうして俺たちは街に繰り出すのだった。
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