帝国の影

 翌朝、夜更かしが嘘のように俺は思いのほか早く起きた。それはアヤノや、他の連中も同様だった。しかし、それは何ら不思議なことではなかった。

「外、騒がしいわね。どうしたのかしら……」

 アヤノの言った通り外では何やら怒号やら抗議の声が聞こえる。昨晩の穏やかな村人たちを見ていたので、何事かと思い外に出てみる。

 外では村人たちと、甲冑姿の兵たちがにらみ合っていた。

「兵士……?」

「あれは……ヒルスキア帝国軍ですか。たしかここら辺も帝国領でしたね」

 エリスが言う。兵士が持っている大盾や、甲冑の上から着ている外套はこの村のレンガよりも鮮やかな深紅で、鷲の紋章が描かれていた。兵士の一人ががなり立てるように言う。

「この谷は国境防備のための砦に使う!住民は近隣の集落に退避されよ!」

「国境防備……帝国と隣国のデマリア共和国は友好関係にあったはずだろう。なぜ砦を増やす必要があるんだ?」

「その友好関係は新皇帝の即位により終わっています。先代皇帝の死に乗じてデマリアが帝国領に攻め入ったからです。一応和睦はしましたが両者の間には未だに緊張が走っているとみて間違いないでしょう。これは新皇帝の力を近隣諸侯に知らしめるための示威行為でしょうね」

 俺の疑問にエリスが答える。確かに、デマリア側から続くこの谷に砦を建てれば進軍を阻むことができるが……

「なにそれ、くっだらない!そんなことで村の人たちを追い出すの?」

 アヤノは納得がいかない様子で吐き捨てる。無論、村人たちも同意見だったようで口々に抗議の声が上がる。

「俺たちにも暮らしがあるんだぞ」

「ここを追い出されてこれからどうやって生活していけばいいんだ!」

「黙らんか貴様ら!」

 場は一触即発と言った雰囲気だった。しかし村人が強硬に反対したところで決定が覆るとは思わなかった。それどころか、帝国は武力行使も辞さないだろう。

「この村から出ていけ!」

 俺の懸念とは裏腹に村人の熱量は上がっていく、エリスも心配そうな顔をしていたが外から来た俺たちが止めて落ち着く勢いではなかった。

 兵士が剣の柄に手をかける。その時、一人の少女が前に出た。

 昨晩ミルカと仲良くなった少女だ。

「へいたいさん、わたしたちのおうちをこわしちゃうの?」

 俺の頭の中で警鐘が鳴る。止めようと一歩前に出る。

「おい……」

「やめてよ。ねえへいたいさん、おねがい」

「ええいうるさいぞ!」

 兵士が甲冑で覆われた腕を振り払う、それは少女の顔に当たり、彼女は地面に倒れた。

 一目散に少女に駆け寄ったのはミルカだった。後から少女の両親も村人の壁をかき分けてやってくる。

 村人たちの怒りはピークに達し、兵士ともみくちゃになる。

 俺の中で凶暴な感情が駆け巡り、今すぐにでも兵士を引き倒して甲冑の隙間に短剣を刺してやりたい衝動に駆られるが、憤怒の形相となったアヤノが剣を抜こうとしているのを見てはっとする。

「あいつら……!」

「やめろ」

 剣を抜いてそのまま斬りかかりそうな様子のアヤノの手を掴み、止める。

「止めないで、アル」

「お前が兵士どもを斬り捨てたところで帝国はさらに多くの兵をよこすだけだ。それで事態が好転することはない」

「くっ……」

 アヤノは悔しそうに歯噛みする。

「私たちにできるのはこの暴動を収めて村人の被害が出ないようにすることくらいですよ」

 俺たちはエリスの言葉に頷くと、武器を抜かずに村人と兵士のもみ合いを止めに入った。

 人死にこそ出なかったが、兵士は今日明日にも荷物をまとめて村を出て行けと一方的に言い残し去っていった。

 故郷を突然奪われた村人たちはみな悲痛な面持ちだった。強大な力を持つヒルスキアに逆らうことはできないのは彼らにもわかっていたのだ。

「しかし、これから俺たちはどうすりゃいいんだ……」

宿屋の主人が途方に暮れる。

「谷を抜けた先に村があったはずです。街道から少し外れますが……とりあえずそこを当たってみましょう」

 村人たちは沈痛な面持ちでエリスの提案を受け入れる。

 ミルカは重い空気を吹き飛ばすように明るい声を出す。

「魔族とか山賊が襲ってきてもミルカがやっつけるから、安心してね!」

 少し雰囲気が明るくなったが、おそらくそれはミルカの気遣いを無駄にしないための思いやりからだろう。しかし、それでも彼らは少しずつだが動き始め、家財を運び出し始める。ミルカもそれを手伝い、エリスは周辺の地図とにらめっこしている。

 しかし、アヤノはしばらくその場に立ち尽くしていた。

「悔しいよ、私……」

 目に涙を浮かべ、震える唇で言うのはアヤノだった。

 これくらいで泣いていては涙が枯れるぞと言ってやりたかったが、彼女がこういった理不尽に敏感なのは彼女自身の責任ではない。ここは前向きな言葉をかけてやるべきだろう。

「こういうことを防ぐには、エリスが言うように各地の争いを収めていくしかない。お前にはできることがあるはずだ。今も、これからも」

「……うん」

 アヤノは涙を拭うと、荷駄を整理している男たちの元に向かい手伝い始める。

 俺はエリスの元へ行くと村人に聞こえない様小声で聞く。

「いきなり難民が向かっても中々受け入れてくれるとは思えないんだが、何か考えはあるのか?」

「いえ……実際に向こうの状況がわからないとなんとも。普通こういった場合、国が話を通しておくべきなのですが、あれでは期待できませんね。まったく、これだから帝国は……」

 帝国の強引な拡大路線と、亜人種や先住民への不当な扱いは有名な話だった。エリスも、今回の一件とは別で帝国に思うところがあるようだった。

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