旅の始まり

 なぜ、こんなことになったのだろう。

 俺は街道の真ん中で妙な女に土下座されていた。

「結婚してください」

「お姉ちゃんやめてよー、はずかしーよー」

 おかしい、変な薬でも飲まされたか。いや、求婚されることは珍しいことではない。ただ、女からとなるとあまりないことだった。しかも、土下座で。無邪気な獣人の少女も姉の醜態に顔を赤らめている。

「私は美少女と結婚するのが夢なんです」

 ……なるほど。いや、それで納得するのは抵抗あるが。

「残念だったな。俺は男だ」

「俺っ娘……こんなに可愛いのに、はぁはぁ」

 女は俺の言葉に耳も貸さず、一人で息を荒げている。町長のおっさんと同じ手合いか。

「結婚が駄目なら、せめてワンチャン……」

 こいつの言葉は理解できなかったが、とにかくろくでもないことを言っているのだけはわかった。

「返せ!」

 俺は彼女の手から帽子をひったくる。

「ああ……なんでそんな可愛い顔を隠しちゃうの?」

 お前みたいな輩につけ狙われるからだ。

「とにかく、俺は男だ。お前の趣味には応えられない」

 俺は荷物を持ち、歩き始める。彼女とその妹もその後をついてくる。

「男がそんな可愛いわけないじゃない!」

 耳元で怒鳴られる。そしてこちらの耳鳴りがやまないうちにまくしたててくる。

「男なんて汚くて乱暴で欲望にまみれた意地汚い小鬼以下のゴミムシよ!こんな女神さまみたいに綺麗な子が男なわけないじゃない」

「残念ながら俺は汚くて乱暴で欲望にまみれた意地汚い小鬼以下のゴミムシだ。だから帰ってくれ」

「じゃあ見せなさいよ。男だって言うなら見せなさいよ!」

 何をだ。俺はとんでもなくタチの悪い奴に絡まれたようだ。途方に暮れる。

「風のうわさで絶世の美女が暗殺者をやってるって聞いたから探してみたけど大当たりだったわ~」

「すっごく綺麗な顔だったね。ミルカあんな人初めて見たよ」

 彼女たちは暢気にそんなことを話しながら俺についてくる。

 俺は振り返って彼女たちを睨みつける。

「ついてくるな」

「えー、目的地が同じなだけだよー」

「ねー」

 吹けない口笛を吹いてすっとぼける変態姉妹。ならばと俺は尋ねる。

「じゃあお前たちの目的地はどこなんだ?」

「魔王城です」

 聞き覚えのない声が辺りに響き渡る。

「げっ」

 変態女がぎくりと顔をこわばらせる。

 次の瞬間、俺たちの眼前に光の柱が現れた。それは呆れたような声音を出す。

「まったく、こんなところで油を売っていたのですか」

「ち、ちがうのよエリス。これは私のモチベーションに関わる重大案件で……」

「問答無用!」

 光の柱から何かが飛び出す。それは変態女にあびせ蹴りを食らわせると馬乗りになって彼女に関節技をきめる。

「このバカ勇者、また役目を放棄して女漁りですか!」

「ゆ、許して……ぴぎゃああ!」

 それは金髪の長い髪が特徴的な女性だった。とがった耳は彼女が亜人種だと物語っている。

 ミルカが慌てて彼女を止めに入る。

「エリスちゃんやめて!お姉ちゃんは運命のお姫様とキスしないと死んじゃう病気なの!」

「そんなものは嘘八百です。あなたもこの女の言うことをなんでも信用して悪事に加担しないように」

「戻る、魔王退治に戻るから!今運命の子見つけたから!」

 エリスと呼ばれたエルフの女はため息をつくと、地面をとんとんと叩いている変態女を解放する。

「戻ってもらえますね?今も魔王の脅威に苦しんでいる者たちがいるのです」

「わかったよ……でもあの子を連れてっちゃダメ?」

 変態女は上目づかいでエリスに懇願する。エリスはこちらを品定めするように見る。

「所作や身なりからして闇社会の者のようですが、信用できる方なのですか?」

「大丈夫、私が保証するわ!」

「あなたがそう言うのであれば、私は強く反対はできませんが……」

 こちらに対し胡散臭そうな視線を送ってくるエリス。

「安心しろ。勇者だかなんだか知らないが俺はお前たちについていくつもりはない」

 それだけ言うと、俺は歩き出す。空は雲で覆われていて、こんな連中に付き合って雨にでも降られたらかなわん。

「……やだ」

 後ろで変態女の声が聞こえる。

「やだやだやだぁ!あの子が一緒じゃなきゃやだぁ!あの子が仲間に入るまで絶対魔王退治には行かないから!」

 いい歳をした女の言動とは思えず、ちらりと後ろを見ると彼女は地面に転がり駄々をこねていた。

 そんな彼女をミルカとエリスは困ったような、呆れたような目で見ている。

「お姉ちゃん、あの人にもつごーとかあるから……」

「そうですよアヤノ。あなたはこれを機に少しは他人の気持ちを考えるということを学ぶべきです」

「絶対ここから動かないから」

 二人の説得も空しく、変態女――アヤノは尚も地面に寝そべっている。

「はぁ……」

 エリスがこちらに歩いてくる。嫌な予感がした。

「先ほどは不躾なことを言ってしまい申し訳ありませんでした。もしよろしければ――」

「よろしくない」

 エリスの言葉を遮る。しかし彼女は食い下がってくる。

「魔王を倒した暁には、城が建つほどの謝礼を用意させていただきます」

 俺は足を止める。今の稼業を続けていつそれだけの金が貯まるだろうか。

 思い返す。初めての仕事で俺はマフィアのボスを殺した。依頼主から奴は下衆だと言い含められていた。だが、結果としてそんなものは大した慰めにはならなかった。奴の屋敷を去る時に聞こえてきた、奴の娘が泣く声は今でも夢に見る。

 それでも俺は殺し続けた。世間の言うところの下衆を。捨て子の俺は他に能がなかったし、血で血を洗い流したかったのかもしれない。殺人という行為を肯定するためにそれにふさわしい外道を探し続けた。

 悪の権化と言われている魔王を殺せば俺は自らの殺人を肯定できるだろうか。そして、どこかに家を建てて穏やかに暮らせるのだろうか。それができなくても城が建つほどの金があれば何か贖罪ができるかもしれない。いずれにしても、これは最後の殺しとしてふさわしいと思えた。

「……わかった」

 アヤノの表情が輝き、飛び跳ねる。

「やったー!」

 こちらが恥ずかしくなるほど喜ぶ彼女を見て、エリスは苦笑する。

「エリスです。旅に出る以前はエルフの里で錬金術師をしていました。どうぞよろしく」

「ミルカはミルカだよ。ワーウルフの英雄だったパパみたいになるんだ!よろしくね!」

 ミルカも明るく名乗る。

 そして、アヤノが一歩前に出て、手を差し出してくる。

「私はアヤノ、サエグサアヤノ。ニホンのトウキョウから来たジョシコウセイだよ」

 半分以上何を言っているかはわからなかったが、まあ変態のことを知る必要などないだろう。

「俺はアルだ。そこのエルフの見立て通り裏社会でこそこそやってる暗殺者だ。せいぜい寝首を掻かれない様、気を付けるんだな」

 俺の言葉に緊張感が走るが、アヤノだけは違っていた。

「はぁはぁ……ツンデレかわゆい」

 それどころか顔を上気させて息を荒げていた。こいつの故郷だったニホンのトウキョウとか言う場所はよっぽど倫理観に欠けた土地らしい。なんとなく、俺は自分が育った貧民街のような場所を想像する。

「……まあいい、それで魔王退治って具体的に何をするんだ?のこのこ魔王城まで行って魔王を暗殺できるわけでもないだろう?」

 魔王というのは魔族たちの王ということだ。一見秩序無く見える魔族たちにも損得勘定というものはあるし、自分たちの王が暗愚であればすぐ入れ替わるように動く。実際に先代の魔王は今の魔王に謀反を起こされ命を落とした。

 謀略によって魔族帝国の覇権を握った当代魔王は知略に長け、何よりその慎重さが近隣諸国で暮らす他種族の軍人たちを苦戦させていた。

 奴の代になってから、魔族の支配領域こそ狭まったが、それは半ば意図的に放棄したものであり、都市部の防備は強固になり、更には市場が活性化し、同盟や交易などといった手段も取るようになった。奴の持ちかけた同盟は近隣諸国を疑心暗鬼に陥れた。どこがいつ魔王の尖兵となって襲い掛かってくるかわからなくなったからだ。

 これまで破壊と略奪しか能のなかった魔族にとって、これは革新的なことだった。

 そんな深謀遠慮で知られる当代魔王が簡単に暗殺されるとは思えないし、人口が増え、秩序立った魔族帝国を下手に他種族がうろつくのは自殺行為とも言える。俺が今まで殺してきた連中とはまるでわけが違っていた。

「今、魔族の脅威で周辺地域は問題を抱えていて、それが不和の種となり団結ができないという負の渦に陥ってしまっています。それらを解決し、反魔王の連合を作ることが最上だと考えています」

 エリスが説明する。

「つまり、俺たちのやることは多種族の大軍団を魔族領域にけしかけるということか?」

「それもありますが、あまりにも大規模な戦争が続けば双方共に被害が甚大になることは避けられません。連合軍が綻びを作ってくれれば私たちも魔王の元まで行ける。もしくは魔王自ら軍を率いて打って出るかもしれない。そこを私たちが討ちにいきます」

「それで、頭が消えて秩序を失った魔族を焼き尽くすか?」

「いえ、個々の能力が高い魔族は魔王がいなくても頑強に抵抗するでしょう。穏健派の幹部を新たな魔王に据え和議を結びます」

「はっ、エルフらしい独善的なやり方だ」

「私は最も被害が少ない方法をやろうとしているだけに過ぎません」

 エリスの言うことには理があった、しかし自分を正義と疑わない彼女のその目が気に食わず、にらみ合いになる。

 険悪な雰囲気を打ち破るように、アヤノが割って入る。

「まあまあ、二人とも落ち着いて。そういうことはおいおい考えていけばいいじゃない」

「難しい話はいいから早く街に行こうよー、おなか減ったよ」

 ミルカもふくれ面で不満気な声をあげる。

「そうね、アルたんの歓迎会もしないと」

「必要ない。その呼び方をやめろ。ああそれとエリスだったか」

 俺の声に、エリスはやや緊張した面持ちで反応する。

「……どうしましたか?」

「お前の策に異存はない。お前の指示通りに動くことを約束しよう。それだけだ」

「調子の狂う方ですね……」

「ツンデレかわいー!」

 アヤノがわけのわからないことを口走りながら抱き着いてくる。帽子を取られると、陽が差し込んできて俺の顔を照らす。そして風が吹いたかと思うと花弁が俺の周りで踊った。

「おい、返せ」

「空も花も動物たちも、みんなあなたが素顔を隠してるのはもったいないって言ってるよ」

 俺が帽子を取り返そうと手を伸ばすと、アヤノはひらりと避けてから両手を広げてそんなことをのたまう。

「これは……アヤノが惚れ込む気持ち、私にも少しわかりました。不本意ながら」

「ねーねーどうやったらそんな美人さんになれるの?」

 エリスも感心したような声を出しており、ミルカは無邪気に尋ねてくる。

 だから嫌だったんだ。やかましくてしかたがない。騒ぎ立てているのは彼女たちだけではなく、どこからともなくやってきた鳥たちもさえずり始める。これでは片時も気が休まらない。

「目立つだろ」

「いいじゃない目立って。だって私たち勇者なのよ?」

「そんな胡散臭い称号は御免こうむる」

「じゃあお姫様!いつかアルをお姫様抱っこして自分の建てた城に入る!」

 勝手な妄想を膨らませるアヤノに胸やけを起こしそうだった。

「ここまで精霊に好かれている彼女に狼藉しようと企んでいるアヤノはいつか雷にでも打たれるかもしれませんね」

 エリスまでもが笑いながらそんな冗談を言い始める。本当に騒がしい連中だ。この胸を襲うむず痒い感覚は鬱陶しさだろうか。それとも――

「行くよアル!今の私なら邪神だって倒せそう!」

 アヤノが手を差し伸べてくる。

 俺はその手を無視して歩き出す。不服そうな声が聞こえてくるがあいにく俺は勇者に手を引かれる姫じゃない。もう自分の運命を決めつける必要はない。今までより少しだけ、この足を軽く感じた。

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