Cupid shoots to kill

08."Sadness!"

　夜の本番に向けて、ベラたちの最後のリハーサルが始まろうとしていた。

　四人のバンドメンバーはビルから大方の話を聞かされていて、ベラが自分自身で彼らを選んだことも聞き及んでいた。ベラを迎えた彼らの表情には、一様に緊張の色が浮かんでいた。寡黙で感情を表に出さないニックでさえも例外ではない。そうした中で最も冷静さを保っていたのは、実はベラだった。初の舞台だから実感が湧かずにいる、というわけではない。むしろしっかりと現状を認識している。このときジェイミーが妙な勘ぐりをしたのは、ベラの落ち着き払った態度が本物であるのかどうか試してみようという気持ちもあったのだろう。

「ツインズと俺たちを天秤にかけたとき、随分と迷ったんじゃないか？」

「いいえ、迷いはしなかった」

　そう答えたベラの態度は堂々としたものだった。

「少しだけ考えたことは事実よ。でも、それは迷ったというよりも、自分自身にその選択を納得させるためだったんだと思う」

　ベラは決断を下す前の沈黙の中で、完全に全てを受け容れていた。舞台に立てないレイのことを思いやる気持ちの余裕さえあった。

　あまりにもベラが堂々としているので、四人は心酔しきってしまった。ミュージシャンとして多少の場数を踏んできたニックが、ベラの歌唱や振る舞いにアドバイスを始めた。その一つ一つに頷きながら、ベラはあることを提案した。

「この先、もう二度とこのメンバーで演奏はできないかもしれない。それでも、今夜だけの演奏だとしても、私たちは一つのチームにならないといけない。そのために何か名前を付けたいと思うのだけれど、どうかしら」

　バンドメンバーは同意はしたものの、相応しい名前は思い浮かばなかった。ややあって、

「サッドネス！」

　と叫んだのはリードギターを務めるアレックスだった。

「随分と悲しい名前じゃないか、どうしてサッドネスなんだ？」

「一種の対位法さ」

　そう呟いたアレックスは、最初の自信を失いかけているようだった。そこへベラが、

「決まりね」

　と言ったので、彼らの名前はサッドネスに決まった。

　ベラドンナとサッドネスは、いよいよ最後のリハーサルに臨む。

　公演の時間はあっという間にやってきた。ビルとジェームズはスーツ姿に着替えてラウンジに姿を現した。客席からベラたちを見守ろうというのだ。

　日曜日のこの時間はいつもラウンジでショウが開かれると知っていて、宿泊客たちは一時間前くらいからぽつりぽつりと姿を見せ始めた。出演者に一部変更がある旨を掲示されていたが、それを気に留める者は特にないようだった。

「彼らは金を払ってこのショウを見るわけじゃない。偶然居合わせただけの客に過ぎない。だから彼女たちにとっては、厳しい体験になるかもしれないが……」

　ビルはジェームズに向けてそう呟いたが、ジェームズの方は何ともないような表情を見せた。

「私はベラと契約を結んでからしばらく経つので分かりますが、彼女は歌うために生まれてきたような存在です。言ってしまえば……、他に身を立てる術を持たない。だから彼女は、少しばかり躓いたところでくじけてはいられない。そう考えるはずです」

「酷な話だが、生きていくうえで傷を負うことを恐れてはいられない、というわけだね」

「そんなところです」

　そう言い切るジェームズは、もちろんベラの成功を願っている。いや、根拠もなく信じているとまでいえた。ベラの歌声には何かが宿っている、そういう確信がなければマネージメント契約を結ぶことはなかっただろう。ここまで来てしまっては、ジェームズはベラを信じることしかできない。

「信じよう」

「ええ、信じましょう」

　ジェームズが二杯目のカクテルを注文したとき、ちょうど新生したばかりのサッドネスが登場した。若いミュージシャンたちは疎らな拍手を受け、最低限の音合わせをしていく。やがて赤いドレスに身を包まれたベラが舞台に上がった。いよいよ、本番が始まる。