第12話
将来の夢はと聞かれても、どんな仕事につきたいかはまだ決まっていません。
でも、こんな風になれたらいいなと思える大人は身近にいます。親戚のマナちゃんです。
私が最初にマナちゃんを尊敬できると思った理由は、マナちゃんが誰でもなれるわけではないような、りっぱなお仕事をしていたからです。マナちゃんのように、周囲に流されず、自分の道を進んだ人は、本当にえらいなと思います。
でも、マナちゃんと話しているうちに、もっと尊敬できるところをたくさん見つけました。
いつも優しくて、私みたいな子どもに対しても決してえらそうにしないこと。私の話に真剣に耳を傾けてくれること。ためになるアドバイスをくれること。ためにならなくても、いっしょに楽しく話してくれること。一言で言うと、心があたたかい人である、ということだと思います。
私もマナちゃんのような、心があたたかい人になりたいです。それはどんな仕事につくかよりも、ずっと大切なことだと思います。
よく晴れた日だった。
マナちゃんのスマホから、綾子さんが手当たり次第に連絡をしたために、お葬式には思ったよりたくさんの弔問客が訪れた。
「ふりふり」の運営会社からは献花も届き、遺影にとマナちゃんがプロフィールに使っていた猫と一緒の写真を提供してくれた。マナちゃんはあの写真を気に入っていたのだそうだ。
フリー素材モデル仲間も、男女合わせて五人来た。マナちゃんと同年代くらいの男の人が、「マナは『せっかく病気になったから、病人のフリー素材を撮りたい』と言っていたのに叶わず残念だ」と人目も憚らず泣いていた。それを若くてかわいい女の人が写真に撮っていた。ふたりともどこかで見たような顔だった。
バイト先だった牛丼屋さんや、コンビニからも同僚が来た。みな口を揃えて、「マナさんは真面目だった」「すごく仕事ができた」と褒めてくれた。
上品な白髪のご婦人も来た。私たちにすっと一礼し、あとは何も言わなかった。
でもたとえ誰ひとり来なかったとしても、私はずっとマナちゃんのことを覚えているだろう。
確かに、マナちゃんは死んでしまった。けれど永遠の別れだったかというと、私は首をかしげざるを得ない。
マナちゃんの素材はいまでも著作権フリーで配布されている。マナちゃんがもうこの世にはいないことを知らない誰かがダウンロードして、いろいろな用途に使う。ネットの片隅の広告に、ポストに投げ込まれるチラシに、
やがて夏休みが来た。お盆には両親と一緒に八王子に行った。マナちゃんも帰ってきただろう。私はお仏壇に、あのまずい冷やし麺を再現してお供えした。
そして、宿題の読書感想文をやっつけるため、私はがんばって『吾輩は猫である』を読破した。冒頭はとても有名だが、結末のほうはあまり知られていないのではないだろうか。
――吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。
やっぱり、マナちゃんは嘘つきだった。(了)
※本文中の夏目漱石『吾輩は猫である』は、新潮文庫(昭和36年、平成15年改版)より引用しました。
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