第9話

 両親は黙ってスマホを監視していたことを謝ってくれた。私が学校でいじめられたり、ネット上で何らかのトラブルに巻き込まれたりしないかが心配だったらしい。

 四十代半ばの両親にとっては、現代の子どもがどんな風にスマホを使うのか想像すらできず、ただ恐ろしかったのだ。ごめんね、もう二度としないからねと母さんは涙ながらに言った。もちろんものすごく腹が立っていたけど、謝罪されるまでもなくすぐにどうでもよくなった。

 それより私は、マナちゃんのことが気にかかっていた。

 あのチラシについて、マナちゃんは「おれだけど、おれじゃない」と言った。

 あのとき私はひどく動揺していた。両親にはスマホを覗き見られたうえに、マナちゃんには騙されていたと思ったから。本当は悪い大人なのに、優しい大人のふりをして私の相談に乗っていたのだと解釈して、私は大泣きした。

 でも、もし本当にマナちゃんは何も悪くないのだとしたら?

 マナちゃんは私が事故に遭ったと聞いて、急いで駆けつけてくれた。本気で心配してくれていたのだと思う。

 もう一度、きちんと話したかった。けれどもマナちゃんが去った後、LINEの友だち一覧から「MANA」がいなくなっていた。父さんの言いつけに従って私をブロックしたのだろう。もうこちらから連絡の取りようがない。

 夜が明けても全然晴れない心のまま、私は学校へ行った。

「元気ないね」「大丈夫?」と、ユウリたちが心配してくれた。私は「何でもない」と答えるしかなかった。クラスの友達には、一度もマナちゃんのことを話したことがなかったから。

 昼休みに三つ隣の教室を覗いてみた。最近ハルカと仲良しの榊原さかきばらさんが、今日ハルカは体調不良で欠席だと教えてくれた。小学生のときはめったに風邪も引かなかったのに、珍しい。

 私はハルカを心配するより、話し相手がいないことを悲しんだ。自分勝手で幼稚だ。優しくしてくれたマナちゃんに、本当のことを確かめないまま泣いていたのと同じだ。

 憂鬱な気分のまま、午後の授業が通り過ぎていく。

「カナ!」

 六時間目の終わり、その声は稲妻のように響いた。

 窓の外でハルカが私を手招きしている。驚くと同時に、萎えていた足に力が入った。急いで教室を出て、ハルカのもとに駆け寄る。

「今日体調不良で休んだんじゃなかったの」

「嘘も方便ってやつだよ。家でちょっと調べたいことがあったの」

 ハルカはまた私を図書室裏に連れて行き、「これ見て」と私物のタブレットPCを見せてきた。スマホのテザリングによって、ネットに接続されている。

 まず私の目に飛び込んできたのは、昨日見たのと同じ白衣を着たマナちゃんの写真だった。でもあのチラシではない。すっきりしたデザインで見たところ特に怪しくはなさそうな、ふつうのサイトだ。

 写真にはタイトルがついている。「眼鏡をかけた白衣の男性」。そのまんまだ。医学博士の水島教授ではない。

 このサイトには、他にもたくさんマナちゃんの写真が載っていた。スーツを着たビジネスマン風の写真もあれば、浴衣や、Tシャツとジーンズの写真もあった。あの変な豚のTシャツを着ているものも。

 表情も実にさまざまで、驚いて大げさにのけぞってみせたり、腕組みして怒っていたり、めそめそ泣いていたり、原型をとどめないほどのすごい変顔をしているものもあった。

「これね、『ふりふり』っていう無料の写真素材サイトなの」

 ハルカが教えてくれた。「ふりふり」とは、例えばWEBサイトやパンフレットなどの印刷物を作るときに、その素材として使える写真を無料でダウンロードさせてくれるサイトなのだそうだ。

「フリー素材』は著作権フリーってことで、このサイトは企業からの広告収入で運営してるから、使う人はお金を払ったり許可を申請したりせずに写真素材を使うことができる。とはいえ何でも自由に使っていいわけじゃなくて、あのチラシみたいな公序良俗に反する媒体への使用は規約で禁止されてるけど、それを無視して悪用するやつもいるみたい」

 難しい言葉をいくつか聞き落としたものの、私の頭はなんとか追いついた。

「つまり、悪いやつがマナちゃんの写真素材をダウンロードして、嘘の名前と肩書きをくっつけてチラシに載せたってこと?」

「きっとそうだよ。カナの叔父さんは、モデルはモデルでも、フリー素材のモデルなの。私が『どこかで見た』って感じたのは、いろんなところで写真が使われているからだと思う」

「それって、ちゃんとしたモデルのお仕事なの?」

「『ちゃんとした』の定義による」それもハルカは調査済だった。「『ちゃんと稼げるか』っていう意味なら、答えはノー。何回ダウンロードされても無料だから、モデルさんには一銭も入らないんだって。よっぽど有名にならない限り、さほどお金にはならないみたい」

 ハルカは素早くタブレットを操作し、画面を切り替える。

「でも少なくとも、カナの叔父さんは嘘はついてないよ。フリー素材モデルだってれっきとしたモデルさんだし、何も悪いことなんてしてない。……ごめん、私が悪かった。何も調べないで、あんたにあのチラシを見せるべきじゃなかった」

「これを探し出すために、今日学校休んだの?」

「私のことはどうでもいいの。これを見なって」

 フリー素材モデルたちの自己紹介が載ったページ。その片隅に、「マナ」はいた。

 プロフィール欄には、家族の誰も知らないことが書かれていた。「マナ」は、「ふりふり」の素材モデルのほか、映画やドラマに出るエキストラ専門の芸能事務所に所属していた。

 今までに出演した作品の一部が列挙されている。中には私が毎週欠かさず観ていたドラマもあった。「芸能関係の仕事をしている」というのは、嘘ではなかったのだ。

「マナ」の自己紹介の中で、もっとも私の目を引いたのは、最後の一文だった。


「マナ」は、「名前は『い』」の略です。僕の好きな小説から取りました。


 プロフィール写真のマナちゃんは、縞模様の猫を抱いて笑っていた。

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