第6話

〈というわけで、作文の再提出をくらったんだけど〉(地団駄じだんだを踏むくまさんのスタンプ)


 家に帰ってすぐ、スマホで作文用紙を撮り、マナちゃんにLINEした。

 

〈嘘つくのも嫌だし、何書けばいいのかなあ?〉

 

 既読はすぐにつかなかった。仕事中なのかもしれない。単なるぼやきだし、返事はいつでもいい。そもそも本気で作文に書く内容を相談するなら、綾子さんのほうが適任だと思う。

 二十四時間営業のスーパーに勤めている母さんは、今日は夜勤シフトで朝まで帰って来ない。父さんはいつもながら残業だし、どうせ同僚たちと飲んで帰るだろう。私はひとりだった。

 自分で夕飯を支度せねばならない私のために、冷凍庫にはあらかじめパラパラ黄金チャーハンが備えられている。けれども、作文の再提出のせいで食欲も作る元気も萎えていた。

 静けさをごまかすためにつけたテレビは、もとより観る気がない。スマホが鳴った。マナちゃんかな、と思ったけど同じクラスのユウリからのLINEだった。

〈超面白い動画見つけた〉とURL付きだ。ユウリは自分からハードルを上げていくスタイルである。

 正直面倒くさいなと思いつつ、無視するのも気が引けるので動画を観た。「【やばい】記憶力画伯バトル【絵心なさすぎ】」とのタイトルで、駆け出しっぽい二人組のユーチューバーが、それぞれ記憶力だけを頼りに絵を描いて互いに何を描いたか当て合うという内容だ。

 と、言葉で説明すると全然面白くなさそうだし、実際に観てもやっぱりあんまり面白いと思えなかった。全部で十九分五秒もあったが、最初の十分くらいだけ観てやめた。

〈半分だけ観たわ〉と返事すると、ユウリは〈最後まで観ろよ〉〈最後のオチが神がかってんだよ〉となおも食い下がる。

〈分かった分かった、今度見るから〉とあしらって、だめ押しに「はぁーい」と気のない返事をするくまさんを送った。ユウリとの会話はこれで終わったつもりだった。

 またスマホが鳴った。しつこいぞユウリ、と思ったら、「どんまい!」と励ましてくれる猫のスタンプは、マナちゃんからだった。


〈おれは正直しょうじきでいいと思うけどな〉


 心がぱっと晴れる気がした。そう言ってくれるのはマナちゃんだけだ。さすが正式名称「正直まさなお」なだけある。


〈嘘をつきたくないなら、こうしたらどうだろう〉

〈何? 教えて〉(目をキラキラさせるくまさんのスタンプ)

 

 ところがマナちゃんの返信が止まった。五分経っても十分経っても、新着のメッセージは来ない。

 夕飯ができあがって食べ始めたのだろうか? ほかの人から電話がかかってきたのだろうか? さっきまではそれほど求めていなかった返信が待ち遠しくてもどかしい。

 スマホが鳴った。マナちゃんかと思ったら、父さんからの〈今日は遅くなるから、会社の人と飲んで帰るわ〉だった。心底うざかった。娘がひとりで待っているというのに酔っ払って帰ってくる父親には、さっきユウリに送ったのと同じ「はぁーい」よりもいっそう手厳しい「あっそ」を送ってさしあげた。

 退屈さを持て余して、私は「記憶力絵心バトル」の続きを再生した。前半に引き続き、いまひとつテンポの悪い編集と盛り上がりに欠けるネタが続く。ユウリはこれを全部観たのだ。どんだけ暇なんだよ、とひとり毒づく私もたいがい暇人だ。

 動画の残りはあと二分、神がかったオチらしき展開はいまだない。

 LINEが届いた。


〈ごめんごめん、ちょうど出前が届いちゃって〉(大げさに土下座する猫のスタンプ)

〈マナちゃんLINEの途中で死んだかと思ったw〉

〈勝手に殺さないでくれよ〉

 ちゃんと返事がきてよかった。出前を取れるくらいなら、そこまでお金がないというわけでもなさそうだ。私は二重の意味でほっとした。


〈出前何取ったの?〉

〈ココイチのビーフカレー5から

〈おいしそう〉〈でも5辛は辛そう〉

〈で、作文の話だけど〉


 危うく本題を忘れるところだった。

 

〈文字で説明するの難しいな〉

〈うちはいま誰もいないから、通話でも大丈夫だよ〉

 

 そう送ったのは自分なのに、なぜか緊張した。渋谷のタピオカ以来、マナちゃんには会っていないし声も聞いていない。

 ひと呼吸置いた後、マナちゃんから着信が入った。

「も、ももしもし」思わずどもってしまった。

「おつかれ。元気?」

「うん。作文は再提出だけど」

「将来の夢な」

 マナちゃんの笑い声は優しくて、大人っぽかった。懐かしく感じる一方で、こんな声だったろうかとも思う。

「なりたい職業じゃなくて、どんな大人になりたいかを書けばいいんじゃないか。優しい人とか、面白い人とか、真面目に働く人とか。カナちゃんの周りに、この人立派だなー、こんな風になりたいなって思える大人、誰かいるだろ」

「なるほど」その視点は持ち合わせていなかった。

「例えば、俊介……お父さんはともかく、お母さんは働きながら家事もしてくれて、立派だろ」

「そう言われてみれば、そうだね。お父さんはともかく」

 マナちゃんが笑った。

「いや、俊介は俊介で、それなりに立派なんだよ。おれからすれば、毎日仕事に行ってるだけで十分立派だぜ。俊介が気に入らなきゃ、綾子姉さんでもいい」

「確かに、綾子さんはめちゃくちゃすごい」

「だろ? 卒業文集に『綾子さんみたいになりたいです』って書いたら、卒業祝いと入学祝いが倍増するかもよ」

「わー、マナちゃんて悪い大人だ!」

「おう、おれは悪い大人だよ。いまさら気づいたのか」

 ふたりで大笑いするとお腹が鳴った。そろそろ私もご飯の時間にするべきだ。

「おかげで作文書けそうな気がしてきた。ありがとねマナちゃん」

「そりゃ良かった。がんばれよ」

 通話を終えた私は早速冷凍庫を開けた。密かな企みに思わず口元が緩む。

 マナちゃんが悪い大人なら、私はきっと悪い子どもだ。

 黄金色の米粒が、フライパンの上でおどった。

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