第4話

 翌年の正月、マナちゃんは八王子の実家には現れなかった。

「ほんと、正直まさなおは正月には帰ってこないわねぇ」

 おばあちゃんとお母さんが準備してくれた鍋をみんなでつついているとき、ふとおばあちゃんがマナちゃんの名前を出した。「マサナオ」の響きは、マナちゃんとはまるで別人みたいだ。

「帰ってくるわけないよ」父さんが豆腐をすくいながら、鼻で笑った。「香奈にお年玉あげなきゃいけないからな」

「私のせい?」

「香奈ちゃんのせいじゃないよ」綾子さんがフォローしてくれる。「あ、椎茸食べる?」

「食べません」私は椎茸が苦手だ。

「食べなさい」お母さんの横槍が入って、私の器には容赦なくでっかい椎茸が載せられた。

「四十にもなってお年玉も出せんのは、あいつが悪いな」

 おじいちゃんまでが言う。

 本当にマナちゃんがお金に苦労しているのだとしたら、こちらには定食ほどに値が張るタピオカをおごらせてしまった負い目がある。なんとか助け船を出してあげなくては。

「マナちゃんじゃなくて、お年玉っていう風習が悪いのかも」

 とっさに出た一言に、大人たちが注目した。

「それはそうかもね」

「一理あるぞ、香奈」

「それじゃあ香奈ちゃん、日本の悪しき風習への抗議として、私たちにお年玉返す?」

「か、返しません」

 大人たちに大笑いされた。墓穴だった。もう少し口がうまければいいのに。孤立無援のマナちゃんへ向けて出発した援軍は、尻尾を巻いてあっさりと退却した。

「そういえば香奈ちゃん、夏にあげた本はどうだった? ほら、『吾輩は猫である』」

 ついに来たぞ、「課題図書」。

 私は昨日のうちに準備しておいた答えを、綾子さんに大発表した。

「最初は単に面白い話かなって思ってたけど、最後は猫が死んじゃって、悲しかった。猫、結局名前もないままだったよね。それがまた切ないっていうか」

 うんうん、と綾子さんは大きく頷いた。

「香奈ちゃん、文学の素養あるわー」

「昔から綾子さんがいい本を読ませてくださってるからかしらねえ」

 お母さんまで騙されて、ばかみたいだ。

 ただでさえ嫌いな椎茸が余計に臭く感じる。少なくともマナちゃんは、欲しくもない本を押しつけてきたり、家族の悪口を言ったりしなかったし、私に気を遣って煙草を吸わない程度の優しさだって持ち合わせていた。

 私だけはマナちゃんの味方でいてあげよう。年明け早々に今年の抱負が決まった。

 とはいえ私も、友達みんなには日付が変わった瞬間送ったあけおめLINEを、マナちゃんには送り忘れていた。本当のことを言うと、マナちゃんのことはほとんど忘れかかっていた。実の叔父さんといえど、夏休みにまずいラーメンを一緒に食べて、九月にタピオカをおごってもらっただけの仲だ。しばらく連絡も取っていない。その程度の関係だった。

 寝る前、私はマナちゃんにもあけおめLINEを送ることにした。マナちゃんのLINEは、「MANA」という名前で登録されている。


(「あけおめ」と富士山の後ろから登場する初日の出みたいなくまさんのスタンプ)〈元気?〉


 他に何を書けばいいのか一瞬ためらった。実家の面々があの調子じゃ、「お盆は帰ってきてね」とは言いづらい。かといって、また遊びに連れて行ってとも言えないし。

 まごついているうちに、マナちゃんから返事が来た。


〈おめでとう〉〈いま八王子の家?〉

〈うん〉

〈せっかくだから、いっぱいごちそう食べて帰りなよ〉

〈うん〉(うれしそうに「ありがとう」と手を振るくまさんのスタンプ)

 

「みんなによろしくね」とは言わない。マナちゃんはこのやり取りが、私の両親に許可されたものではないと知っているのだ。

 マナちゃんはいま、どこにいるのだろうか。ひとりなのだろうか。おいしいものを食べられているのだろうか。――気にはなるけど、マナちゃんが話したくなるまでは聞かないほうがいいのだろう。うん、それが本当の味方というものだ、と私はひとりでうなずく。


〈ねえ、マナちゃん〉〈ときどき、別に用事なくても、LINEしていい?〉

〈もちろんいいよ〉〈仕事中とか、すぐ反応できないときもあるけど〉


 返事はすぐに来た。なんだか嬉しかった。

 

(再びくまさんの「ありがとう」スタンプ)〈今年もよろしく!〉

〈こちらこそ、よろしく〉

 

 マナちゃんから返ってきた「よろしく」のスタンプは、ハートをいっぱいまき散らしている猫のキャラクターだった。

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