第2話

 練馬の家に戻った後、夕飯の席で父さんから聞いた。

 綾子さんとマナちゃんは、仲が良くないらしい。正確に言うと、綾子さんがマナちゃんのことを良く思っていないようだ。

「姉さんはあの通りだからな、いい年してブラブラしてるマサが許せないんだ」

 発泡酒片手に、父さんの口はなめらかだった。明日も会社は夏休みらしい。ちなみに「あの通り」というのは、綾子さんが昔から学校一の優等生で、返還不要の奨学金をもらって有名な私大に合格し、外資系企業でバリバリ出世して、いまや部長さんにまでなっていることを指す。

「でも、マナちゃんだってちゃんと働いてるじゃない。モデルさんなんでしょ」

「モデル?」

 私の言葉に、父さんは目を見開いて、その後大笑いした。

「香奈、そりゃ、マサに一杯食わされたんだよ」

 まずいラーメンなら一杯食わされた覚えがあるが、そういう意味ではない。

「確かに、あいつが二十歳はたちかそこらのとき、原宿でスカウトされて、何回か雑誌に出たことはあったっけな。でもそれっきりだよ。その後は、お金持ちの女の人のヒモみたいなことやってたみたいだけど、いま何やってるのかはおばあちゃんも知らないって」

「ヒモって何?」

「ちょっと、あなた」

 母さんがじろりと父さんを睨んだ。

「まあその、なんだ、つまりブラブラしてるってことだよ」

 父さんは茶を濁した。教育的によろしくないヒモもあるらしい。

「父さんは? マナちゃんが嫌い?」

「うーん、そういうんじゃないけど」

 私が狙っていたラスイチの唐揚げは、ためらいのない箸さばきで奪い取られた。おいしそうにもぐもぐ頬張った後で、父さんはようやく答えた。

「少なくとも、香奈とはあんまり仲良くしてほしくないな。マサは悪いやつではないけど、悪い大人なんだよ。しれっと嘘をつくくらい、訳ないことなんだ」

 いいことを言った気になって、父さんは二缶めの発泡酒を開けた。

 実の弟に対して、ずいぶんドライだ。きょうだいとはそういうものなのだろうか。ひとりっ子の私には分からない。

 実はすでにマナちゃんとLINEを交換して、来月一緒に遊びに行く約束まで取り付けたことは、黙っていたほうがよさそうだ。


***


〈行きたい街とかお店があったら言って〉

〈考えとく〉(敬礼するくまさんのスタンプ)

 

 昨日交わしたLINEは私で終わっていた。


〈ねー、マナちゃんって、本当にモデルやってる?〉

 

 お風呂上がりにベッドに寝転がり、私はド直球に聞いた。送った後で失礼かなと思い直し、二分経ってからまた付け足した。


〈お仕事で撮った写真、持ってたら見せてほしいなって〉

 

 やがて既読がつく。返信まではさらに五分かかった。


〈こんなのしか持ってなかった〉


 送られてきた画像には、いまより若いマナちゃんがいた。マナちゃんはスーツをびしっと着て、カメラ目線で白い歯を輝かせている。髪もさっぱり切り整えられていて、清潔感があった。うさんくささは微塵も感じない。

 マナちゃんの隣には「即戦力! 中途採用ならジェイライジング」と、黒い太文字が踊っていた。想像していたファッションモデルとは少し違ったけれど、これはこれで立派なモデルのお仕事だと思う。


(「しゅごーい」と拍手するくまさんのスタンプ)〈できる男に見える!〉

〈そりゃどーも〉

〈これ、父さんに見せてもいい?〉

〈だめだよ〉〈恥ずかしいじゃん〉

〈どうしてもだめ?〉

〈見せたら、本読んでないこと綾子姉さんにバラすよ〉

 

 それは困る。先に弱みを見せてしまったのは失策だった。


〈わかった。うちの両親にはナイショにしとくよ〉

〈そうしてくれ〉


「おやすみー」と鼻ちょうちんをふくらませて眠る三毛猫のスタンプが続いた。企業のアカウントと友達になるともらえる無料のスタンプだ。

 この日のやり取りは終わった。

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