星の降る夜は
玉手箱あかね
全1話
この村に越してきて、一番のお気に入りは丘の上にある露天風呂だ。
かけ流しの天然温泉に浸かりながら、ゆっくり星を眺めることができる。
星なんて、北斗七星とカシオペア、それによって導かれる北極星。
三つ並んでわかりやすいオリオン座。それだけしか知らなかった。
しかし、オリオン座の左上に双子座をみつけると、その下にある小犬座のプロキオンもみつかった。もちろん冬の大三角も確認済みだ。
あぁ 夜空がこんなにも美しいなんて。
やり直しの人生を、ここからスタートさせることに決めたのは間違いではなかった。
あんなにこだわっていた都会でのステータスは、若い頃の自分には必要だったけれど、沢山の挑戦をして得た答えは、がんばって豊かな暮らしをするのと同等に、がんばらないで質素な暮らしをすることも素晴らしいということだった。
公共交通機関もなく、深い山を車で進んでいくと、ぽっかりと空間が広がり、四十軒ほどの民家が集まる集落に辿り着く。
安い家賃で狭いながらも風通しと日当たりの良い家を選んだ。
wifiを引けば、自宅で仕事もできる。
遊ぶところもない村。
商店街もなく、ポツリポツリと点在する商店も夕方にはシャッターが下りる。
そんななか、この温泉だけは夜十時まで開いているのが珍しい。
お客さんはほとんど八時には帰宅してしまうので、そのあとはまるで貸し切りだ。
岩風呂のヘリに後頭部を引っ掛け、寝そべるように大の字になれば、星空の下で眠っているようだ。なんという解放感。
・・・カポーン・・・
風呂場に桶を動かす音がした。
おや?こんな閉館間際に誰か来たのかな・・・?
・・・おっと。ゆっくりしすぎてしまった。
もう閉館時間を五分過ぎている。
立ち上がると、内湯から露天風呂へ一人のシルエットが歩いてくるのが見えた。
「あっ!あなたは受付の・・・!すいません、もう閉館ですね」
この村には珍しい、垢抜けたような雰囲気の人だった。
掃き溜めに鶴とはこのことだ・・・と思って見ていたけれど、裸で呼びに来るなんて。
「大丈夫です。閉館を伝えにきたのではないんです。もう、他にお客様はいらっしゃいませんので、もし良ければもう少しゆっくりなさっていってください。従業員も、締めの人は自分も入浴してから帰宅していいシステムなんです。」
「そうなんですか・・・それにしても・・・」
「実は、ほかは清掃も終わっていまして、今の時間ここしか入れないんです。」
「・・・そうなんですか・・・では、せっかくですからもう少しあたたまって行くことにしますね。」
なんとなく緊張して、いっそ先に上がってしまおうかとも思ったけれど、ほの暗い露天風呂の中で見る姿にどうしても目が釘付けになってしまい、立ち上がることができず、しばらく無言の時間が流れた。
星空はキラキラとまたたいて、さっきより少し角度を変えている。
「この温泉は星が素晴らしいでしょう。星座は御存知ですか?私はさそり座のアンタレスが一番好きです。」
「そうですか。私は、おおいぬ座のシリウスかな。」
「あれですね」
空に向けて伸びた腕が、艶やかに白く光っているように見えた。
「・・・はい。・・・いつも、こうして最後はお客さんと一緒に入ってから帰るんですか?」
「まさか!・・・」
にっこりと子供のようにほほえんで
「こんなことをするのは初めてです。・・・おかしいですね。失礼ですよね。申し訳ありません。」
「いえ、私は全然かまいませんが・・・」
「そうですか?でしたら、安心しました。」
実は、今日はとても疲れていて、一人で暗い部屋に帰るのがなんだか嫌で。」
「あぁ、わかりますよ。そういうときありますよね。私はそんなときは、夜の首都高をドライブしていたりしました。」
「ドライブ。お気に入りの音楽を流しながらですか?楽しそうですね。」
「もし良ければ、今夜、下の街までドライブしませんか?」
「いいんですか?・・・では、もう少しだけ、星を眺めてから行きましょうか・・・」
森の中の急カーブをいくつも抜けて、カーステレオから流れるジャズボーカルを聴きながら、ゆっくり、ゆっくりと夜は更けてゆく。
星の降る夜は 玉手箱あかね @AkaneTamatebako
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